そして
ソイの死を
受け入れられたころ
火葬をする
段取りも
整ってきた
ソイの死は
予測できたことだったが
わたしは
先のことを考えず
今を生きているので
もしそれが
わたしたちに起こるなら
きっと
わたしたちに
ぴったりの
最高の出会いがある
と思い
ソイが生きているときに
葬儀については
下調べも準備も
何もせずにいた
そして
やはり
ソイが亡くなり
わたしの心の整理が
ついてきたと同時に
ぴったりの出会いがあり
22日20時
自宅に火葬車に
来てもらい
家族も
猫たちも見守る中
ソイとお別れをした
わたしは
ソイのお別れの場所を
見つけるとき
いつも
ように
自分の
好き嫌い
心地良い悪い
直感
を大切にした
そして
たどり着いたのは
合同火葬より
個別火葬で
後日の火葬でなく
立ち会い火葬で
斎場でなく
自宅で
御骨は
お寺に納骨でなく
お墓に埋葬でなく
空に散骨する
ということで
さらに
住職の供養なども
一切いらず
出来れば
わたし一人でなく
娘たちも立ち会え
なるべく家族だけの
純粋な空間で
見送りたい
ということで
それは
ソイの願いでもあると
思った
そして
ソイが
亡くなった翌日
二人の娘が
仕事から帰って
しっかりお別れをした
20時頃
自宅に
火葬車が来て
自宅の駐車場で
わたしたちの目の前で
火葬をしてもらい
その翌日には
台風の影響で
雨風が強かったが
この日は
月も星も輝き
涼しい風も吹く
本当に心地良い夜で
家族の立ち会い
だけでなく
三匹の猫たちも
そばにいて
二階のベランダから
ソイの兄弟猫のラテが
火葬車を見守ることもでき
どれもこれもが
完璧すぎて
娘たちには
このお見送りは
お母さんが経験したなかで
一番素晴らしい
お別れだったと
話した
それは
日々わたしが
わがままに
生きているからだと
思った
わたしは今
自分の幸せの責任を
自分で全て引き受け
日々
自分が機嫌よく
自分を幸せにするために
今の環境の中で
全力で
妥協せず
わがままに生きていて
その積み重ねが
ソイの素晴らしい死や
ソイとの素晴らしいお別れに
繋がったことを
改めて感じ
わがままに生きるとは
自分を幸せにする
ということで
人は
わがままに
生きなければいけないと
強く思った