ソイの死 3. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.





















そして
21日になり
ふと目を覚ますと











ソイの
呼吸も
鼓動も早く










荒々しく
口で
呼吸をしていた












山場を越えた
と思っていたので
驚いたが











今までも
何度もこれを
越えてきたし











わたしは
どうすることも
できなかったので












ソイが
少しでも楽になる
イメージをしながら












一人で
夢うつつの中で
それを見ていた





























でも
何時間経っても
それは
治まらなかった











そして
夜が
開け始めた頃










ソイの心臓が
突然
止まった












そして
慌てて
ソイの心臓の辺りを
マッサージし












娘たちの元へ
ソイを連れて行き
それを告げた












すると
お別れをするかのように
一瞬ソイの心臓が
動いたが











結局
そのまま
息を引き取り











2018年08月21日(火)
朝の4時半頃












山場を越えて
ソイは










そのまま
空へ還っていった












山場を越えた
というのは
そういう意味だった































わたしは今
日々
生と死を意識し
生きている













そして
生も死も
同じくらい
美しく












死は
解放で
喜びだと
思っているので












ソイが死んでも
あまり
悲しくないのかもしれない
と思っていたが












猫たちも
子どもだと思っている
わたしにとって











子どもの死は
今まで経験した中で
一番の悲しみだった



























それは










死より障害が怖く
それがそのときの
一番の悲しみで











今度は 
障害なんて
どうでもよく











ソイが
いなくなることが 
何よりの悲しみで













人生は本当に
その時の自分に
ちょうどのことしか
起こらないのだなと
改めて思い











その悲しみに
必死で
向き合った



























でも
それに向き合うのが
辛くなったとき
ふと










ソイに伝えたいのは
悲しみではなく










大好き
という言葉だなと
思った












だから
大好き
という言葉を
溢れさせたら












愛が
これでもか
これでもか
と溢れ












喜びが
溢れてきた













そして
大好きを
溢れさせるほど
地に足が着き










あんなに
嫌だったお別れを
受け入れられるように
なり










そして
大好きは
悲しみのように
向き合うのが
一切辛くならず











気がつけば
大好きを
溢れさせると










自然に
悲しみが
癒されていて













ああ
わたしらしいのは
こっちだなと
思った










そして
やはり
生も死も
喜びで











なんて
素晴らしいのだろう
と思うように
なっていた