そして
わたしは
2016年大晦日に
ベランダで
タバコを吸っていた
彼に
「離婚する」
そう一言だけ言い
部屋に戻った
ドキドキした
そして
わたしの言葉は
彼にとって
青天の霹靂だったようで
彼は
わたしの部屋に
飛んできた
そして
「俺が悪かった」
「離婚したくない」
と
見たことがないほど
取り乱し、泣き、謝り
それは
離婚を告げられた
というより
死を宣告された者のようだった
だから
まだ付き合っているときに
わたしが一度だけ
「別れる」
と言ったときに
「別れるくらいなら死ぬ」
と言った言葉を
思い出し
そのくらい
わたしとの別れは
彼にとって
突然で、想像外で
地を、命を揺るがすことなんだ…
と思った
だから
2016年の大晦日は
こうして
修羅場と共に終わり
2017年は
修羅場と共に
幕を開けた
そして
子どもたちの悲しみや
夫のショックからの怒りは
覚悟をしていたが
それは想像以上で
もう
終わったと思っていた
自分のなかに在る
過去の悲しみや怒りも
爆発し
それは
一旦開けた扉を
また閉じたくなる
ほどだったが
ここを
くぐり抜けなければ
真に幸せにはなれない
と思った
でももう
戦いは
散々してきたので
戦いたくはなかったが
夫は
夫という名の
わたしの中のエゴは
牙をむき
わたしを
試すかのように
常に
戦いを挑んできた
だからわたしは
それに翻弄されそうに
なりながらも
立ち止まり
わたしの言いたいことは
すべて言うが
彼の
彼を通した
わたしが聞くべき
エゴも
なるべく
すべて
聞こうと思った
わたしは
別れたいと言い
彼は
別れたくないと言い
わたしは
強引に事を
進めたいわけでは
なかったので
まずは
どちらが正しいとか
どちらが間違っている
ではなく
相対する
気持ちの両方を
大切にしながら
進めていこうと
思った
だから彼に
子どもも
猫たちとも別れ
お金も何も持たず
丸裸で1人で出ていけ
と
言われたときも
不器用で
我が儘で
迷惑をかけた部分は
たくさんあったが
家族を
純粋に愛してきた
わたしにとって
それは
この上なく理不尽で
悲しい言葉だったので
最初は
有り得ない
と思ったが
ふと
彼にも自分にも
試されているとわかり
まずは
聞くことにした
そして
子どもや猫は
わたしの分身のようだったので
それはもう
身が引き裂かれるようだったが
彼の言葉を
悪と決めず
今自分が聞く必要のある言葉
だと思ったとき
彼の
その言葉で
これが
一人で死ぬということか
とわかった
そして
彼らとは
物質的に離れても
精神的には
繋がっていることがわかり
それに
もし一時的にそうなっても
離れられない
運命であることが
わかったので
だからそれは
とてつもない幸せで
自由だとわかり
もしそうなったら
思いっきり楽しんでやる
とワクワクもし
何もないからこそ
すべてが
今ここに在ることが
わかり
そのように
一つ一つの
やりとりは
投げだしてしまいたいような
目を背けたくなるような
ものばかりだったが
わたしは
そこから気づき
学びを経て
悪役を演じている
彼に
感謝をしていき
ああ、これは
彼とわたしの
やりとりでありながら
わたしのなかの
自我と真我のやりとりだ
と思った