わたしが
と言ったのは
2016年
大晦日で
半年くらいは
話し合ったり
していたが
だんだんと
わたしたちは
同じ家に居ながら
自然に
話さなくなり
会わなくなり
自然に
家庭内別居と
なっていった
でも
わたしたちは
25年以上のパートナーで
三人の子どもたちの
親でもあるし
決して
悪いことだけでなく
あったし
という欲求は
直感だったけど
わたしは
家庭内別居という
その現象だけでなく
その現象の
裏にも表にも
上にも下にも
奥にも
アンテナを張り
流れや
タイミングや
自分の欲求を
大切にしながらも
自分の欲求や
直感や
離婚を疑う視点を
持ちながら
慎重に
進めていった
そして
夫のお弁当も
作ったり作らなかったりを
繰り返してきたが
あるとき
もう完全に
お弁当を作りたくない
と思うようになり
でも
作らなきゃいけない
と作ったら
ある日夫が
お弁当を
二日連続で
持って行かなかった
ことがあった
いつものように
用意をしていると
帰宅した彼が
要らないと言ったり
無言で
食べなかったりして
長いときはそれが
一週間や10日も
続くことがあった
でも
わたしは
翌日誰かが
食べたらいいや
と思っていたし
離婚するとは
思ってもいなかったので
いつか変わるだろうと
20年以上
一度も文句を
言わずにいて
それまでは
わたしもそれを
許してきたので
それで良かったのだ
と思う
でも
夫が変わる気配はなく
むしろそれが
強固になっていったとき
ふと
今まではそれで
良かったし
夫が
一生変わらない
というなら
それは
彼の自由だけど
わたしは
もうこれからは
こんなことや
こんな人が
パートナーなのは
嫌だと思った
そして
彼が
持って行かない
食べないを
自由にするなら
わたしが
作らないというのも
自由でいいのか…
それが平等か…
なのに
自分の欲求を
許さないから
わたしは
被害者になり
だから
不機嫌になるなど
加害者にもなってしまう
とハッとし
その出来事が
起こったことで
わたしは
彼にお弁当を
一切作らなくなった
それでも
夕飯だけは
まだ作っていたが
あるとき
夕飯に作った
参鶏湯が美味しくて
子どもたちと全部
食べてしまったことが
あった
だから
帰宅する夫の分が
無くなり
作りたくないな
と思いながらも
また作っていたら
猫たちが
それを鍋ごと
ひっくり返したことが
あった
そして
すぐにまた
似たようなことが
起こり
ああ、
もうこれは
作りたくないなら
作らなくていいということか
とハッとした
そして
わたしは
夫のご飯を
作らなくなり
それは
夫に
銀行のカードと
クレジットカードを
取り上げられる
ということも同じで
わたしは
こうして
身を委ね
自分の欲求も
相手の欲求も
受け入れていった
そして
わたしが
10月に夫に
離婚届けを渡し
でも
それを
出すか出さないか
出すならいつか
というのも
全て夫に委ねていたら
12月に
夫が
届出を出した