どうもおひさしぶりです。
先日、流行に目覚めて、スマートフォンに携帯を換えまして、波に乗った海津です。
流行に疎いといったら海津、海津といったら流行に疎い、は皆さんの知るところですが、実は3台目なんですね。意外ですか?ははは。
定額制の映像系のアブリがありまして、映画に飢えていた海津は、お目当ての映画が配信されていなかった結果、『北斗の拳』に辿りつき、勢いで夜通し見ていたんです、マックス-ウェーバーの『社会主義』を片手に。
懐しいクリスタルキングに哀愁を感じながら、アニメを見ていて気づいたんですが、やたらと日本のアニメは展開を引っ張りますね。焦らしに焦らされて、つい本に手が伸びる。
世紀末な話に社会主義っていうのは、なんだか生々しさがあるのですが、マックス-ウェーバー自体は資本主義な思想なはずなので、この本では批判なわけです。
『北斗の拳』をよく知らない人の為に簡単に説明するとですね、現代?の水戸黄門、もといモヒカンてこんなに種類があるんだ、へーって話です。漫画をご覧になった方はわかるかと思うんですが、作画を担当している原哲夫さんの登場人物はコマ割りと気分で縮尺が変わるのも特徴の一つです。主に敵キャラと馬ですが一人の身長について大体2~5mの幅があります。物語のイメージが湧かない?あ、そう。わたし、優しくないんです。
で、全体を通じて屈折した愛が展開されていきます。人間愛と呼べなくもないですが、拳で語り合うことしか出来ない不器用な男達を常としていますから、やっぱり根本的な問題が孕んでいるのは否めない。愛すべき見切り発車?なストーリー展開がそもそもの原因かもしれません。
主人公であるケンシロウは非常に分かり易い思想の持ち主で、悪に対して更生の余地を与えません。
「お前に今日を生きる資格はない」
と、はっきり言い切り、躊躇いなく命を断ちます。個性の尊重など存在しません。人が人を裁くわけです。ワイドショーのコメンテーターが見たらキーキー言う事こと受け合いです。
中でも、海津のお気に入りのセリフに、
「弟よ、遊ぼうぞ~」
というのがあります。筋肉質で巨躯(きょく)の大の大人が二人で一体何をして遊ぶのかが気になって気になって仕方がないわけです。
この「遊ぶ」について適当な意味を求めることは甚(はなは)だ文学的じゃないですか。非常に趣がある。ですが、『北斗の拳』そのものにはありません。
そんなこんなで、エッセイで書くことはたくさんあったにも拘わらず夢中になっておりました。
で、おにぎりついてなんですが、厄祓いとして出すのが、「鬼切」ということからおにぎり、お祝い事など、縁結びとして出すのが「おむすび」といいます。一般的なのはおにぎりという感じしますけれども、こんな意味だったりするのです。
といいますか、コンビニではなくてたまに自分でおにぎり握って食べると美味しいよね、だって屈折していない愛がこもってるもんね!
っていう話。
安心してエッセイごとお召し上がりくださいませ。
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