言葉で写真を撮ろうか

言葉で写真を撮ろうか

海津の手元には自分の写真がない。だから代わりに言葉で撮る。だって物書きだもの。

Amebaでブログを始めよう!
わたしはお風呂が好きでして、といっても家ではもっぱらシャワーで、休日に隣駅まで歩いてサウナ付きの、色んな湯槽がある温泉に行くのが習慣です。

ただ最近は風邪をよく引いてたものですから、治療がてら、家にて熱いお湯を張って浸かり、冷水を浴び、を何度か繰り返しておりました。

余談ですが、この方法、薬飲んだり、病院行くより余程效果的なんじゃないかと思っております。最後に水浴びするのがポイントなんですけれど、湯冷めしようがないことと、繰り返すうちに体調がよくなっているのが実感としてありました。

で、熱いお湯を張っている最中(さなか)、小学生の頃を思い出したんです。

家から程近い同級生の友人宅では、今となってはどこまで日本の習慣として残っているかわからないけれども、家長というか、祖父が一番風呂に浸かるわけです。祖父以外は特に順番がなかったような気もするけれど。

当時の家というのは、蛇口を捻(ひね)るとお湯が出るというわけではなく、お風呂にはボイラーがついていて、水から湯を沸かすのが一般的だったと思います。北海道は一軒家が多いから、建替えでもしてない限り、今でも多いんじゃないのかしら。ちなみに、蛇口を捻ってお湯が出ることに加えて、ボイラーの設備もついていて再加熱することを追い炊きという。

わたしもそうですが、友人もまた家では風呂掃除をしてお湯を沸かす係りで、友人宅では確か17時までに祖父が風呂に入れる準備を整えなくてはならない。それをサボると容赦なく母親のビンタが飛ぶ。友人は北海道で空手で二位取っているくらい強くて、当然打たれ強い。そいつが母親にビンタされて必死に泣いて謝るわけです。それを見たときに心中「こいつが泣くの!?」と、かなり驚いた。

ですから、それからというものその友人の家で遊ぶ時は親の言いつけであったり、風呂掃除の時間になるとどんなに遊びが盛り上がっていても、「サボれよ」なんて言う事もなかったです。で、ある時、一人で待っているのも退屈なので手伝うことにしまして、彼は浴槽、わたしは洗い場を掃除しました。

二人でやると掃除も早いですし、しょうもない話もしたりして楽しくて、ピカピカにすることによくわからない情熱が燃えたりするわけです。もうそろそろいいだろうというところで、彼の掃除した浴槽を見ると、我が家には見慣れない温度計がありました。

彼はわたしの視線に気づいたのか、「あー、温度計って合わせないと怒られるからね」と言うわけです。彼の母親の怒った怖さを知っているだけに、内心、(細か~)と思いつつも、「大変なんだなー」と言いました。

水から湯を沸かすとなると、1時間はかかるわけで、それを考えると今の世の中って蛇口を捻ればお湯が出て、10分もすれば湯船に湯を張れる訳ですから便利ですよね。びっくりしちゃう。

この友人宅で風呂掃除の手伝いをしたとき、手伝いをした手前最後まで見届けたいこともあり、そういえば温度計使って何度に合わせようとしてんだろう?という疑問を解きたいのもあって、湯加減を見に行くという友人についていったのです。

で、温度計見るとおかしいわけです、明らかに。何故なら60℃を温度計が指しているから。一般的にお風呂の温度は40℃前後なのです。「温度計使ってる意味ないじゃん、おじいちゃん煮えちゃうよ?」と、友人の母親の怖さを知りつつも、あまりのズレに堪えきれず笑いながら言うと、彼は「いや、良かった調度良い」真顔で言うわけです。

彼曰く、「俺もこんなの熱くて入れないんだけど、爺ちゃんこれじゃないと温いっていうか冷たいみたいなこというからずっとこの温度なんだ」そうな。温度計挿してるのも、この温度だと熱くて手を突っ込んで湯加減わからないから挿しているという理由からだそう。わたしはそれを聞いて人智が及ばないというか、俄(にわか)に信じ難い話だったから、「へぇ」と言うしかなかった。さすがに入ってるところ見るわけにもいかないから確かめようがないし、生物学的に細胞が耐えられるものか疑問なんですよね。何分湯船に浸かるか知らないけれども、一般的な人間なら全身火傷になってると思うんだけれどどうだろう。

今思い返してみると、爺ちゃんが一番最初に入っていたのは、古き家長制度としての意味合いでもなんでもなく、単に温度の問題だったのかもしれないな、という話。











Android携帯からの投稿