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言葉で写真を撮ろうか

海津の手元には自分の写真がない。だから代わりに言葉で撮る。だって物書きだもの。


海津は歩くことが大好きです。休みの日は大抵携帯電話をほっぽり出してそこらへんを歩いている。ウォーキングというのはあまり好きではありません。目的が健康、健康と露骨で嫌になっちゃう。

例えば、5km歩くとか、1時間歩くというよりも、休みの日に寛(くつろ)げる喫茶店を探していたら1時間歩いていたというほうが楽しくありませんか?

歩く距離は変わりません。健康の為だけに歩くのは勿体無い。そして歩くことは色んなことを教えてくれるのです。

高校生のとき、授業で使う地図を開いて自分の住む町を見ていました。北海道は大きいから14の支庁に別れていて、支庁の大きさはまちまちですけれど、小さい支庁でも東京都くらいある。わたしの住んでいた檜山支庁はその東京都くらいしかないんだけれど、檜山支庁には住んでいた当時で町が10しかない。今は合併したからもっと少ない。ですから町の一つ一つがとても広いのです。そこにたぶん5万人程度しか人が住んでいないのです。とーっても田舎です。

わたしは高校卒業までに北海道の檜山支庁の三つの町の中で6回の引越しをしました。ですから、この三町についてはよく知っていると何となく自信があったものです。

地図を広げてみて町の形をじっと見るていると、へんてこな形をしているななんて思うと同時に、あれ、わたしの知っている町ってこんなだっけ?と思ったのです。わたしは自分の住む町の何を知っている?知るって何だろう?

わたしはその時、わたしの知る町は点と線でしかないなと思ったのです。例えば一ヶ月のうち、自分の行き先はいくつくらいと考えてみると意外と限られているものです。それを結ぶと細い線にしかならない。

市街地に行くと色んなお店があるでしょうが、それでも見たいお店や看板しか目に映っていなかったりして、それ以外は雰囲気であるとか、模様として見ているだけで、空間というには歪(いびつ)で平面に近く、平面にしても線に近い。たぶん、それを「知っている」とわたしは思っていた。

なんだかそれは違う気がして、とりあえず歩けるだけ歩いてみた。三町を跨(また)いだから、丸一日近くかかったんだけれど、途中、歩いてきた道や町並を見下ろしたなってちっちゃい山に登ってみたり、いつもは通らないような裏道を通ってみたり、疲れてそこらへんに寝転んだり、近くに川が流れていて、汗も掻いたから泳いでみたり、そうそう、もともとこの川は清流日本一の川なのです。楽しかったな。

歩いている中で得られるものはそれだけではありません。歩くと足を使うから地面の感触もわかってくる。昼と夜じゃアスファルトの固さが違うだとか、野原の土が柔らかいのは草だけじゃなくて根が張って土がほぐれているからだとか、緩んでいるのは近くに川や水溜まりがあるからだとか、粘度質でここは固いとか、草の種類で感触が違うとか色々わかる。裸足で歩くとまた違うし。

わたしのポリシーなんだけれど、いかにも歩く気まんまんですみたいな格好は嫌で、ちょっと小綺麗なくらいなんだけれど、泥まみれも気にしない。そしてどれだけ歩こうが汚れようがあくまで散歩です。

歩いていると考えごとは進むし、進むから考えごとをするときは歩く。ずんずんと歩けばそのうちに金(きん)になれるかもしれない。成金ていうてしょう?

町中だと夜には夕飯の匂いがあちこちからして、焼魚や炒めもの、これは醤油で味付けだな、あれはソースだな、鍋を反す音、廻す音、そんなことがわかる。

ピアノのタッチを聴いてどう弾いているかわかるように、足音は歩き方を教えてくれるし、疲れていたり、ウキウキしていたり、だるかったり、すれ違ってひとをよけたりすると、リズムもかわる。

そういえばベースを弾く、とある大学の先輩が裏取りの練習に、ひとの歩くリズムの裏で歩くことをしているとかいってた。試しにやってみると、慣れるまでは鳩みたいな歩き方になるし、慣れたら慣れたでスムース過ぎて気持ち悪い。

森の中を歩いていると、澄んだ空気を味わえるんだけれど、せっかくだから『澄んだ空気』について考えてみたりして、それが水分を含んで冷えた空気のことなのかと思ってみたり、土や木々、草花の香りが織り混じっていたり、ちょっと歩けばそのバランスが違ったり、口の形を変えた呼吸をすれば味も、口の中や喉を通る感覚も違ったりと、澄んだ空気について考えてみても様々。

史跡があって、新旧の家々があって、そこに流行り廃(すた)り、世代があって、営みがある。そこに記されない歴史や文化がある。

散歩をするという行為は、能動的なんだけれど、そこで五感でもって感じたものは教えてもらったという気持ちがして能動的なようで受動的だ。それをわたしは勝手に『接(ふ)れる』と充てて呼んでいる。ひとに対してもそう。ひとに、接れる。

町を知る、『知る』ってことはたぶんそういうことだ。


書を捨てて町へ、野へ、山へ出て、遊ぶ。家へ帰ればたくさんのお土産が自分の中にある。どうですか、散歩って楽しいでしょう?


という話。








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