言葉で写真を撮ろうか -14ページ目

言葉で写真を撮ろうか

海津の手元には自分の写真がない。だから代わりに言葉で撮る。だって物書きだもの。


 8月15日は終戦記念日です。正午には多くの人々が黙祷を捧げたことと思います。

 わたしの初期の戦争感は原爆と一緒につくられたといってよくて、それというのも小学校一年生の時に読んだ『はだしのゲン』の影響です。

 あらすじは書きませんけれど、それを読んで、わたしは戦争は悪いことだという感覚を強く思ったし、それ以上に原爆は恐ろしいものだと思いました。


 原爆の恐ろしさというのは、それまでの兵器と比べて桁違いの破壊力であることがまず挙げられる。広島には『リトルボーイ』、長崎には『ファットマン』という原子爆弾が8月6日、9日にそれぞれ落とされました。ほんの一瞬で2都市で十数万、半年で30万人もの命が奪われたわけです。原爆は別名『ピカドン』ともいいます。ピカッと光ってその後にドーンという衝撃が走ったからです。Wikipediaで調べてみたところ、その時の爆風は秒速で440M(メートル)を超えるもので、音速を超えているのです、逃げられるはずもありません。爆心地から半径500M以内は即死、即日死が90%、500M~1KM以内は即死、即日死60~70%。これが11月の集計ではそれぞれ98~99%、90%となっています。

 わたしが原爆を知った当時、衝撃的だったのですが、『影になった人』をご存知でしょうか。影になった人とはあまりの熱量で自分の影を映す壁に影の形のまま焼き付いてしまった人のことです。それはヒロシマの資料で、原爆が投下された8時15分に止まったままの時計と合わせて見ると、その空間がその時から一秒も経っていないような錯覚に陥るのです。それ以外にも皮膚が溶けて垂れ下がり、引きずって歩く人々、爆風で飛んだガラスが全身に刺さった人々、水を求めて川に行くも体を支えられず、落ちて死んだ人々、手足のちぎれた人々、体から内蔵こぼれている人々、倒壊した家の下敷きになった人々、焼け死ぬ人々、そんな人々が街中に溢れて、家族を求めて、或いは逃げ惑うのです。

 原子爆弾の強烈な爆風によって巻き上げられた粉塵は両市民から光を奪い、特徴的なキノコ雲を作りました。それは大気によって冷やされ、黒い雨となって数時間降り注ぎました。黒い雨は放射能を多量に含んでいて、それに当たると強く被爆します。
 
 原爆の恐ろしさというのは、それだけではありません。放射能がもたらすガンや白血病がさらに人々を死に至らしめ、原爆症(たぶん強力な放射能を浴びたことによる様々な病気の総称)といって全身の毛が抜けて、怠くなり、倒れて死ぬ。これらはいつ発症するかわからなくて、その死の影に怯えながら人々は生きていく。長崎、広島市出身というだけで結婚を断られたり、知識が乏しかった当時では触れるだけで被爆すると考えられていて、被爆していることを隠さないと仕事に就けなかったり、被爆しているひとのことをピカドンから取って『ピカ』と呼ばれたり、様々な差別に苦しみ、その苦しみは今尚世代を越えて続いています。絶望して命を絶ったひとも少なくなかったと聞きます。


 戦争が終ってもずっとずっと今日まで苦しめられているのです。戦後から67年経った今もです。ですから、原爆については広島・長崎の人々は、特にその時代を生きた人々には嫌悪感と恐怖しかないと思います。


 わたしは、高校の修学旅行の時に幼い頃から望んでいた広島平和記念資料館に行くことができました。原爆ドームにも訪れました。草木が咲いて穏やかな綺麗な土地でしたが、この地には深い深い悲しみがあるのだと思いました。資料をいくつもいくつも眺めているうちに、それまでに知り得たことや、聞いたこと、感情がどっと押し寄せて、落涙せずにはいられないのです。無念というのでしょうか、怖さというのでしょうか、悲しみというのでしょうか、憎しみというのでしょうか、そんなものがとめどなく溢れてくるのです。資料館を出るまで一言も言葉にならなかったのを覚えています。


 わたしが訪れたのは広島だけですけれど、長崎もまた同じでしょう。機会を見つけて訪れたい。


 観光で訪れるアメリカの人々には、まずこの2つの土地に訪れて欲しいと思う。何も語らない、献花も求めない、ただ見て欲しい。広島、長崎の人達はまた違う気持ちがあるのかもしれませんが。


 これ以外にも、唯一国内で戦場になった沖縄の話であるとか、各地の空襲であるとか、日本の各地には先の戦争の傷跡は大きく残されているわけで、そこについて戦争を知らない私達の世代は見たり聞いたり調べたりすることは意義あることに思うのです。



 第二次世界大戦というのは、列強と呼ばれる帝国主義の成れの果ての戦争というイメージがわたしには強くあります。


 日清、日露、第一次世界大戦と日本は大国相手に勝ち続けてきたわけで、民族としての優越感というのか、驕りがあったようにも思うのです。主義主張の行き着く先というべきか。

 もう一つ思うのは、政治家と一般大衆の溝。


 前者は感情が足りないように思えるし、後者は論理が足りないように思える。


 どちらが優劣とわたしは思わないのです。敢えて言えば役割の違い。


 わたし達は過去の大きな歴史を知ることが出来るわけで、それを知るだけの学力も時間も場所もあると思う。


 それでも、政治家と私達にはまだまだ大きな差があるように思うのです。

 何故、望んだことをしてくれないのだろう?何故望んだ世の中にならないのだろう。そう思ったことないでしょうか。


 個人、市町村、都道府県、国、諸外国。個人から離れていくほどに、人々は多くなっていき、世界は広くなる。


 だから、世界に広がるにつれて望むこと、託すことも人々をより巻き込んだものにしなければいけないと思うのです。集団ために生きるというわけではありません。


 わたしはわからないんです。例えばなぜ推した候補が国会議員になると、その地元に道路が出来るのか。地方交付税交付金が増えるのかが。


 そんなことに意識向けてたら、国会議員はどんどんやること小さくなると思うんですよね。国会議員のやるべきことを理解しないと、やっていることを理解出来ていないと、グレーゾーンはどんどん広くなる。建前と本音の本音はいつも出てこない。


 すると外国の声はもっと聞こえない。文化が違うから感覚がわからない。そんなの外国に限らず関西と関東でも違う。沖縄と本土、北海道、四国、九州、結構違う。

 外国の声が聞こえなければ、どう思われているかわからない、何を考えているかわからない。恐怖心は募って無闇にセキュリティは上がる。使えるはずもない核兵器を大国が何故持つか。常任理事国はすべて核兵器持っています。


 核兵器を単純に否定するのではなくて、その持ちたがる心理を理解しないと、たぶん色んなことが理解出来なくなる。理解することと、肯定否定は違うことを知らなければいけない。


 たぶん彼らは言うはずだ。


核兵器を使いますか?


「NO」


では核兵器を放棄できますか?


「NO」



 例えば、人と話をしていて、この人わたしのこと理解していないなと思ったら、適当に話を合わせて切り上げるでしょう。或いは、その人が興味持ちそうな話を、わかる範囲で話すようにするでしょう。

 逆に、理解していると思えば、話はどんどんと進んでいく。そこに新たな考えが生まれたりする。



 わたしは次にこの国で戦争が起きたとき、それは国民の責任と思います。反対することに意義を見出だすのではなくて、止めること、そしておこらないことに意義を進めなければいけない。それを誰かが導くのではなくて、コモンセンスとして共有することが課題だと思います。望むなら。


 ライ麦畑で捕まえてに確かこんな一文がある。


 「若者は高貴な死を選ぶ。大人は卑しさを知って生きる」


 わたしは出来るなら、卑しさを赦して品を損なわずに生きたい。



終わります。