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言葉で写真を撮ろうか

海津の手元には自分の写真がない。だから代わりに言葉で撮る。だって物書きだもの。


 晴れているような曇っているような、気象予報士が首を傾げる天気だった。一昨日から考えていたことを抱えてそのまま外に出た。

 線路の脇道を歩き、駅に随分近い踏み切りを渡り、また線路に沿って歩く。太陽は時折雲から顔を出して、申し訳程度にちりちりと肌を焼いた。

 しばらく歩くと、急な坂道に出た。線路の反対側は平野になっているから、坂を下ると随分落差があって、線路側は崖のように見え、崖を上がったその向こう側に街が広がってることを思うと狐につままれたような気分になる。というのは、反対側から見ると真っ平らに見えるからだ。

 東京の郊外の郊外もいいところな土地が余っているここらでも、ひとはわざわざこんな急な坂道に知恵を絞って家を、マンションを建てる。それを効果的に林が覆って、街中にぽっかり浮かぶ別荘地帯のような不思議な景観を生んでいる。横目に見たマンションは一見3階建てに見えて、この入り口が5階にあるから8階建てなのだ。

 坂道を下り切ると視界の端に橋が見えた。気の向くままに橋を渡る。橋の随分下を多摩川が流れていて、川の中腹にも拘わらず、底が見えるくらいに綺麗だった。何だ、上流まで行く必要もないじゃないか。


 川原の周囲には鬱蒼(うっそう)と緑が繁っていて、容易に河原へ降りられないようだった。視線を土手に沿って走らせると、草木のほんの隙間に土手に斜めに切り込むような下り坂が見えた。あそこなら降りられそうだ。土手に建つマンションを迂回すると、先ほど見つけた下り坂の先に河原へと降りる階段を見つけた。


 その階段はどこぞの建築家がデザインしたようなアーティスティックな造りになっていて、コンクリで作られた天板よりも支えが飛び出していて、また階段そのものが前のめりに傾いているから、視覚的に遠近間が取りづらく、躓(つまず)いて転びそうになる。作者は先の大震災だろう。

 降り際には丁寧に大木が横たわっていて、こちらの作者は雷と思われる。そういえば先月か先々月だったか随分雷が落ちて消防車が出動していたから、その時かもしれない。マンションの目と鼻の先の出来事に住民は随分驚いたことだろう。

 羊歯(しだ)を掻き分けて河原に出ると、目の前に下着姿の女の子が横たわっていた。面喰らって凝視したものの、よくよく考えるまでもなく水着だった。水着が下着に近づいたのか、下着に水着が近づいたのかよくわからない。たぶん、109とかで買ったのだろう。渋谷。

 女の子はもう一人いて、ジムのインストラクターみたいなスパッツを穿いていた。トップは肩口まで開いたTシャツだった。どちらも黒々としていたが、水着の子はわかるとして、スパッツの子は何をしたいのだろう?付き合いでいるのだろうか。


 そんなことを考えながら彼女らを背にして離れると、後ろから音楽が聴こえてくる。iPodにスピーカーを外付けしているのかそれなりの音量でトランスが流れている。多摩川でトランスか。何だか侘しい。


 オイルを塗って寝転がり、しばらくすると若いのか若くないのか、わたしと同年代くらいのサーファーのような格好をした男二人がきた。彼らは彼女らを挟んでわたしと点対称のような位置にビーチベッドを出して寝転がっていた。もしかしたら元々いたのかもしれない。


 こんなところに自分以外来ないだろうと思っていたから、女の子らに驚いて、それ以外に注意が向かなかったのだ。あの階段と木を乗り越えて来るあたり、地元だな。

 男たちは川辺で水遊びをしている。女たちはトランスをかけて寝転がっている。わたしは一人寝転がっている。シュールな絵だ。わたしは傍観者のつもりでそんなことを思ったけれど、あちらから見ればわたしが奇異に映るのかもしれない。ポロシャツにバミューダにスニーカー。それに大きくいくつもパンチングされたバッグ。コンビニに行くような格好だ。



 戦争のことを考えているうちに河に着いた。日光をたくさん浴びたくなった。日光は生憎そこまで強くなかったけれど、雲間から顔を出すとオイルの影響なのか、ギラギラと肌を焼いた。頭の上にある橋を車が幾台も通っていた。河の音と蝉の声に紛れて障らなかった。正午が来て、黙祷をした。


 夏休みのどこにでもあるような、人目を惹かない午後だった。そんなことを知ってか知らずか彼らも彼女らも無言だった。声が聴こえていないだけかもしれなかった。それでも、黙祷をみんなしていることにした。そう考えるほうがずっといい。


 しばらくすると、彼女らはいなくなっていた。わたしか彼らか、或いは両方が邪魔だったのかもしれない。黙祷を終えたからかもしれない。


 ゆっくりなようで川の流れは速く、胸の深さでもう流れに逆らって歩くのは難しかった。その流れに耐えるだけで筋肉が強張るのがわかった。


 壁みたいなことを考えていたから、安部公房の『壁』を持ってきた。『砂の女』のプロットのような作品だけれど、よく出来ている。戦争は砂の壁だ。掘っても掘ってもキリがない。考えれば考えるほどに積もっていく。縄梯子を外されて、傍らに建てられた小屋が砂に飲み込まれないように、掻き出すのだ。


 体が熱くなると川に逃げた。そして陽に体を当てて眠り、気が向いたら本を広げた。その間に二組の父子と、一組の中学生らしき少女の来客があった。川は悠々と流れている。

 あれよあれよと四時半になった。荷物を纏めて帰途に着く。それも半ばをだいぶ過ぎた頃、『壁』を忘れたことに気がついた。


 取りに行く?壁をか。