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言葉で写真を撮ろうか

海津の手元には自分の写真がない。だから代わりに言葉で撮る。だって物書きだもの。


 原発に関して賛否両論というか、反原発が圧倒的に優勢な世の中です。

 海津は賛成とも反対とも言い難いところで、賄えるならそりゃリスクが少ないほうがいいに決まっている派です。


 そこに関連してと言うべきか、結びつかせるに至る大きな不幸な事故が震災に重ねて福島に起こり、陸路を分断し、復興を停滞させ、後世への深い懸念を呼んだ。心のどこかを、フクシマと言う言葉が過(よぎ)った方もいるかもしれない。その感情はしばし押し留めておこう。似て非なるものだと思う。チェルノブイリのように被曝が原因で翌日から多くの命が奪われることがなかったのは救いだ。福島の野菜は機会があればバリバリ食べてます。野菜好きですし、そんな応援の仕方もあるかな、なんて思ったりして。


 世の中が発達して便利になる一方で、複雑になってくると、勉強しなきゃいけないことは増えてくる。

 キーポイントは省人化じゃないかなと思ったりします。


 例えば、工場で働いてわたし思うわけです。とある仕事を1日、半日で覚えたとします。その時、これやばいな、とわたしは思います。

 何故かと言えば、マニュアルが進んでいるか、作業の機械化が進んでいるかのどっちかで、企業側の雇用リスクが減っているわけです。雇用リスクは色々ありますけれど、ここでいうのは研修に時間がかからない。つまり、解雇されやすい。生産量の増減に応じて、人員の増減もまた容易になりますから。


 わたしのしていた仕事は、やってみて思ったんですけれど、別に日本人じゃなくていいわけです。仮に言葉の通じない外国人がいたとして、わたしジェスチャーで習熟させられる自信があったから。


 大量生産の工場が必要としているのは、卓越した業を持つ職人ではなくて、工場、或いは企業としての技術。これは消費者の立場で考えたなら、すぐわかると思うんです。買った製品が、作る個人によって品質が変わったら嫌じゃないですか?

 それが車だとかの高価なものなら尚更そうだと思うのです。

 となると、作業者個人に求められるスキルはどうなるかというと、マニュアルをより合理的に進めること、そして作業が秀でているなら、その作業レベルを多くの人に伝えること。違いますか。

 これを抜きにしても、客観的に言って一作業者も管理職です。何故なら、労働を機械に委ねて、その機械を管理して、作業をしているわけですから。労働力というものも時代とともに質が変化、進化するわけです。

 依って自然の流れとして、求められることは向上していく。

 じゃあ、このことが原発に関してどんな関わりを持つかといえば、工場というのは一般的に、他の業種よりも電力を使うわけです。変圧してますから家庭用と違いますけれど、溶接ロボットなんて一台数百A(アンペア)なわけです。その数は工場の規模や雇用者の数にもよりますけれど、少なくない。

 工場で使う電気料金が工場のコストのどれだけを占めるかはわかりません。ただマニュアル化が進んだ大規模な工場を持つ企業であればあるほど、人件費がかからない国外に生産拠点を持ちたくなるわけで、今、すべてではないにしろ国内にあるのも雇用対策というのか、社会貢献としての側面は否定できない気はする。そこで電気が賄えなかったり、電気料金のコストが上がると、人件費以外の理由でも産業の空洞化が進む気はするんです。取り敢えず追い風な話ではないでしょう。計画停電の時に工場は生産稼働調整が入ったりしています。ちなみにわたしの働いていた工場だと、わたしが辞めるまで半年ちょっとで人員は4分の1ぐらいになっていました。2年後にラインごと中国に移転するんだそうな。今更中国なのかと思わなくもないけれど。


 日本ほど産業が進むと、求められるのは特化された技術分野や、その研究者、管理者、或いは日本人向けの日本人でなければならないサービス業、或いは営業、販売の分野にどんどんと移行する。

 皆が管理職か経営者、或いは資本家になりなさい、という話。労働者は他国に譲るとして。これがグローバル経済の推移じゃないでしょうか。中国における租界、上海とか、香港もそうなのかな。当時は国家による支配ですけれど、今は経済による実質的な支配というところでしょうか。そういうこともあって日本は難民を受け入れられない側面があると思うんです。日本人の就業率は下がりますから。こう考えると、国益というものにいまいち馴染みのない、意識しない日本人も、イメージしやすいのではないでしょうか。


 仮説をもう少し進めてみます。産業の分散によって環境破壊が問題になるとして、その要因が発展途上国の技術と資本によるものであるなら、先進国の企業、そしてその技術を入れて、現地の人を雇えばいいんじゃないでしょうか。

 産業の空洞化は国内の産業の衰退と、企業の利益追求という目的を露骨に示す一方で、国際貢献という側面もあったりする。

 中国に進出している企業は、今はどうかわからないですが、資本比率が日本企業側と中国企業側で50%50%にしているはずです。

 資本比率がイーブンですと、中国側は企業の技術を共有することで産業が育ち、資本の一方的な搾取を牽制でき、日本企業側は低コストで生産が行えるなどのメリットが生まれる。


 この時、労働者としての日本国内の日本人、そして消費者はどう考えるべきか。


 資本主義に抑制をかけて、人件費や他の生産コストを価格に転化されても消費者として買って、国内の雇用を守るのか、雇用場所は失われるけれども、電力を抑えるために工場等の第二次産業から第三次産業へより移行させるのか。ちょっと偏った乱暴な物言いですが、電気と産業は密接な関係があるということを言いたいのです。省電力は工場だけでなく、多くの産業に悪影響は出ると思う。産業に限らず消費は冷え込むんじゃないでしょうか。電気は家庭で節約していても、行き先で間接的に消費しているのです。様々な快適さの為に。


 原発の単純なメリットというのは、低コストで電力をつくれるということ(将来の処理費用を組み込むと安いわけでもない)よりも、大量の電力を安定的につくれるということと、処理と管理の徹底すれば平時はクリーンな発電が出来ることかなと思うのです。

 デメリットは有事の際の圧倒的な環境破壊と、人体への影響、そして核廃棄物の処理問題。素人ながらの観点でも、MOX燃料を使う原子力発電に疑問がある。核廃棄物の保管する場所が決まらないだけで、お金はどんどんかかる。地方自治体や住民と交渉するにも、新たな候補地を探すにも人は必要なわけで、よってお金はかかるわけです。


 仮に脱原発をシュミレートするとして、電力量の問題なら、家庭用電力は省電力の電化製品で電力消費を抑えつつ、ソーラー発電なんかに設備購入の補助金を出して、各家庭ごとに切り換えてもらう。或いは海津みたいに、月々の使用料金を2000円くらいに抑える。わたし、エコでしょう?個人で出来るのってこんなもんじゃないかな?

 企業だと省エネの為の設備投資は限度があるから、生産以外の電力消費を抑える。或いは、国内の工場を閉鎖して他国に移す。そこが原発で賄っているのなら、元の木阿弥ですけれども。


 原子力に代わる代替エネルギーとなると、安定性、発電力の点で火力発電所になると思うんですが、建設にはお金もそうですが、建設に10年以上の時間がかかる。地質調査をして、一定の土地を確保しなければいけないわけです。後は排煙による環境破壊と、化石燃料の需要増加に伴う価格上昇は考えられそうです。どこの自治体が受け入れてくれるのだろう?


 ソーラー、風力は天候に大きく左右されますから安定性にかけると思いますし、水力は発電も少なく設置場所に制限が多そう。


 で、原子力発電を止めるときに、随分アバウトですが、燃料棒の冷却に10年から20年かかることと、核廃棄物の処理をどうするかということです。誰が受け入れるんでしょう。福島の瓦礫処理も目処が立っていないのに。

 わたしは脱原発に反対しているわけではないんですね、それに伴う波及効果を安易に考えないほうがいいかもしれないと思うのです。後は放射線に対する知識も個々の差が大きくないでしょうか。楽観的なのこともいけないと思いますが、恐怖心をやたらと煽るのはどうなのでしょうね。震災の当時、わたしは誤情報に踊った苦い経験があります。

 即原発廃止を唱えるのではなくて、電力使用量の推移、代替エネルギーのバランス、その時のコスト増減、環境影響、切り換えまでにどのくらいの年月が必要で、どういう過程が望ましいか。大事なのはそういう情報だと思うのです。ここらへんが明確であるなら、誰でも脱原発に賛成するのじゃないでしょうか。


 原発0状態の産業構成をシュミレートしてみて、産業の移行、移設、委託、解体をして、労働者の方には、相応な能力向上なり、起業するなり、自給自足なり努力して頂きまして、問題を核廃棄物の処理に特化するのもありです。たぶんスラム街出来ると思いますよ。弱肉強食ですから。


 核廃棄物処理が感情的な問題に終始して、技術そのものが確かならば、国会議事堂や、首相官邸、原子力関係の家の人々の地下に埋めたらいいんじゃないかな。そしたら、受け入れてくれる自治体も出てくるかもしれない。


 原発賛成派が反対派が互いに押し付けてそれらを受け入れるって話ではないと思います。もちろんそこに外国も含めてです。国民の共有事項とわたしは思いますけれども。


 もし、福島の瓦礫が国のギャランティ(保証)のもとに放射線を出さないように鉛かなんかで固められて、ガラスのオブジェが販売されたならわたしは買います。それでも自治体や近隣住民の購入許可が必要かもしれないですが。反対されるかなぁ…




 こんなことを書いたのは、この文章も十分挑発的かと思うのですが、ネットで見る限り反対派も賛成派も過激な発言が散見して、そんな風に書いても例えば逆の立場の人が、意見として受け入れることが出来るか疑問だったのです。


 賛成するにしろ、反対するにしろ、リスクは付きものです。そこを排除して物事を求めるのはどうなのかな。そんな旨い話が世の中にあるなら、苦労は随分減ると思う。原発に限らずこういう傾向は最近多い気がします。


 わたし自身知識のなさも否めませんし、問題提起に終始して明確な解決策は示せないのが申し訳ないところです。これから先知らなければいけないことたくさんありそうです。


 取り敢えず出来るのは電気節約の継続かな。