大阪在住 フリーライターの日々笑い泣きブログ
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歳を重ねるということは、別れの経験も増えていくということ。
そして、「別れ」ほど「生」を突きつけてくるものはない……と、
人生80年だとしたならば、その折り返しをちょっと過ぎた時点にいる
今の私は、痛切に感じている。
この2年で義父、叔父、伯母、尊敬していた先輩を見送った。
仕事でとてもお世話になった方も失った。
別の叔父も末期がんで年を越せるか越せないかと言われている。
どうしてこうも別れが続くのかと気が重くて仕方なかったけれど
別れを一つ経験するごとに、
「生まれたものは、みな死ぬ」ということを
少しずつではあっても、生物の摂理として受け入れられるようになっている自分にも気づく。
いつかは自分もいなくなる。父母もいなくなる。夫もいなくなる。
叔父・伯母もすべていなくなる。友人もいなくなる。
順番はわからないけれど、必ずみんないなくなる。
だからこそ、自分の有限の「生」も、大事な人たちの有限の「生」も
大切にしなければと思う。
会える時間、話せる時間は有限であり
しかも突然に別れがやってくることもある。
そう考えると、つまらないことで、いがみあいたくなくなる。
少しでもいたわりたいし、少しでも楽しい時間を共有したい。
年をとると丸くなるというのは、そういうことなのか、
いや、違うか、などとふと考える、そんな2015年秋。
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歳を重ねるということは、別れの経験も増えていくということ。
そして、「別れ」ほど「生」を突きつけてくるものはない……と、
人生80年だとしたならば、その折り返しをちょっと過ぎた時点にいる
今の私は、痛切に感じている。
この2年で義父、叔父、伯母、尊敬していた先輩を見送った。
仕事でとてもお世話になった方も失った。
別の叔父も末期がんで年を越せるか越せないかと言われている。
どうしてこうも別れが続くのかと気が重くて仕方なかったけれど
別れを一つ経験するごとに、
「生まれたものは、みな死ぬ」ということを
少しずつではあっても、生物の摂理として受け入れられるようになっている自分にも気づく。
いつかは自分もいなくなる。父母もいなくなる。夫もいなくなる。
叔父・伯母もすべていなくなる。友人もいなくなる。
順番はわからないけれど、必ずみんないなくなる。
だからこそ、自分の有限の「生」も、大事な人たちの有限の「生」も
大切にしなければと思う。
会える時間、話せる時間は有限であり
しかも突然に別れがやってくることもある。
そう考えると、つまらないことで、いがみあいたくなくなる。
少しでもいたわりたいし、少しでも楽しい時間を共有したい。
年をとると丸くなるというのは、そういうことなのか、
いや、違うか、などとふと考える、そんな2015年秋。