「ちょっと、これはマズイんちゃう?」
なんで、誰もそう考えて立ち止まらなかったのだろう。
(もしくは立ち止まったけれど、結局そのままGOとなったのだろうか?)
メジャーな番組の中での表現が、「差別表現」だと指摘される事例が続いている。
テレビ番組というのは、何十万人、何百万人というおびただしい数の人が目にするものだ。
それだけに、一つひとつの表現がどういった影響を与える可能性があるのか、
作り手は、慎重になりすぎて丁度いいぐらいのはずなのに。
私が関わっている紙媒体の中には、数千または数百という、
「マス」ではなく「ミニ」コミに分類されるものもある。
しかし、それでさえ、「もしかすると、誤解を与える恐れがある」
「この表現で傷つく人がいるかもしれない」「これは差別に当たらないだろうか」などなど、
複数の人数で、何重にも、そして何回にもわたって、チェックをする。
差別する意識が作り手にはないとしても、当事者が少しでも嫌な思いをするのならば、
あえてその表現を使う、選ぶ、もっともな理由が必要だろう。
でも、(たとえ一人であっても)誰かを嫌な気持ちにさせてまで
どうしても使わないといけない表現なんて、そうそうない(あるわけない)。
それは表現者として、どういうメッセージを世に発するのかというところに立ち戻るべき話だ。
それだけに、メジャーなテレビ番組がチェック作業を怠るということ、
または、チェックした上でGOを出してしまうということ、
どちらだったとしても、その軽さに本当に驚く。
私のような末端かつ末席にいるような表現者で、影響力がさほどないにもかかわらず、
そういった部分は一番緊張感をもってチェックしているというのに!
影響力の大きな媒体に関わる人達の緊張感の無さに、脱力してしまう。
