大阪在住のライター RINのブログ
よく芸能人が、「週刊誌にあることないこと書かれる」と怒りを露にしているのを見て、
いろいろな思いが頭をよぎる。
まずは「事実ではないことを事実のように書くなんて、とんでもない」という単純な驚き。
週刊誌記事にかぎらず、日常のあらゆる書き物において、
そんなことをしたら、「ウソ書いてる!」と信用をなくすだけだろう。
だって、虚偽なんですもん。
そして、同じ文章を書くということを仕事にしている者の一人としては、
「よくそんな恐ろしいことするなあ~」という、驚きと呆れ。
書き終わった直後の推敲から最後の最後の校正まで、
「もし間違ったことを書いていたらどうしよう」とつねにドキドキしている私は
小心者であるということは横に置いておいたとしても、
間違った情報がどこにどんな影響を及ぼすか、
それによって誰にどんな思いにさせてしまうか、
そして私はその責任を取れるのかを考えると、
恐ろしくて恐ろしくて、適当な文章を世に出すなんて到底できない。
情報として「正確」であり、「誤りのない」記事を世に出すことは当然だと、
それは今さら確認し合うまでもない、大前提だと思っていた。
大作家でも有名ライターでもなんでもない、
業界の末席を汚しているだけの無名ライターの私であっても
書いた記事――それが地域の一部の人だけが読むミニコミであっても――が
世に出る時の緊張感はとてつもないものだというのに・・・・。
しかも、それなりの雑誌であれば、原稿をチェックする人が他にも必ずいる。
デスクや編集長、校閲担当者。
それらを全部スル―して世に出ていることに、ただただ驚く。
私が書く、読者も少なく、社会にほぼ何の影響も及ぼさないであろう記事にも
少しでも誤解を与えそうな表現などがあれば、誰かから必ず指摘される。
その緊張感のなかで原稿を書いているだけに、
「あることないこと」が名の通った雑誌で大々的に展開されること、
本当に本当に不思議なのである。
母体の大きさからの慢心なのだろうか。
影響力を過小評価しているのだろうか。
読者の読解力や判断力を甘く甘く感得ているのだろうか。
少なくとも、大阪の、私の周りの人達は
表現一つにもしつこく真摯に向き合っている。
それは過大評価することではなく、当然の向き合い方だと思う。