こちらは2023/1/23に限定記事にしていましたが

2024/3/31に、投稿日時はそのままで全体公開しました。



祖母について記録してみようと思う。


長男の嫁として、嫁いだ母でしたが

吃音や神経発達症の関係で

祖母には大変嫌われていた。


長女を身ごもりましたが

出産予定日の当日に

臍の緒が首にまきつき

死産するというお別れをした母でした。

お誕生日だったはずが命日になった。

祖母は、そんな母に対して

本当はお父さんと

結婚してほしくなかったとやけど

子供が出来たちいって

そんなら仕方ないてなったとやけど

結局

お母さんは産みきらんやったやろうが。

わたしが小学生の頃

祖母は当時の事を振り返ってそう言った。


毎日手を合わせている

姉と兄のお地蔵さんの死に対して

なんて事を孫のわたしに話すのだと

そう思った。


でもその話を聞いてから

なぜ祖母が

これまで わたしに対して

あたりが強かったのかも分かった。


わたしが幼稚園の頃

祖母と両親が勝手口から部屋に入り

わたしもそれに着いていくように

追っかけた日があった。

その日は風が強い日で

わたしがドアノブに触る前に

扉がバンと強い音を立てて閉まり、

その勢いでドアに付いているガラスが

バリバリと割れ 

目の前にガラスが飛び散った。


わたしはガラスを身体中に浴びた事と

大きな音に

とても驚いて立ちすくんでしまった。

ところが

祖母はわたしにこう言った。

あんたがドアを強く閉めたと?

石でもなげたんか?

なんでそんなことをするん?

この子は悪い子

わがままで甘えて育っとる。

本当にこんな甘やかして育った子

ばーちゃん すかん!!

あんたはろくな大人にならんばい


なにもしとらんよ。

かってにドアがしまったとよ

祖母の勢いと表情の怖さに

おそるおそる言葉にした。


今度は嘘ばつくとね!

嘘つきは泥棒のはじまりっていうやろが。

あんたは泥棒ね?

わがままに育った子は

ごめんも言い切らんとね?

叩かんとわからんとね?

本当にばーちゃん すかん。

あんたのことすかん


ごめんなさい…


幼稚園の頃でしたが

この日の出来事は衝撃的な思い出でした。

ガラスが飛び散って浴びた身体を

心配をするのではなく

ガラスを割ったのはわたしだと決めつけて

一方的に嫌いだと言われた理由が

母の娘だからなのだと

後になって悟った。



祖母の母に対する苛立ちの矛先は

些細な事でもあった。


祖母の家でみんなでメロンを食べている時

わたしは

おいしいね!おいしいね!

といいながらご機嫌に食べていた。

父は

りもちゃん そんなに美味しいなら

お父さんのちょっといるか?

と言った。

すると

いかんいかん。

この子はわがままやけん

そんな甘やかすけん

悪い子に育ったとやろうが。

この子に余計にあげたらいかん。

祖母はそう言った。


わたしは『おいしい』って言って

メロンを食べただけなのに…と思い

哀しくなった。

なんでおやつを食べる事も

楽しくすごせないんだろう

そう思った。



一方で兄は祖母に可愛がられていた。


長女の死産の後 兄が生まれた。

この家の男の子の初孫であったこともあり

大変可愛がられた。

その後

母は3人目を身籠ったが早産になり

1週間程生きて亡くなった。

父は亡くなるとわかった後、(亡くなった後かも…)

3人目の子を車にのせてドライブをした。

今世を病院だけにしたくなく、

自宅にも連れて帰り

母は入院だった為 ふたりで一緒に過ごした。

父は精一杯出来る愛をそそいだ。(4/12追記)


父は

この家にいたら子供が育たない

と思い

わたしがお腹に宿ると実家を出る事を決め

◯◯市へ引っ越した。


祖母からすると

わたしが母のお腹に宿った事で

同居が解消された事もあり

長期休みの度に祖父母の家を訪ねても

わたしは歓迎されなかった。


兄は祖母によしよしと可愛がられ

よく抱きしめられている一方で

わたしは

どうしてこんなに怖い人のところに

兄は行くのだろうと思っていた。



祖母と二人になると

母の悪口が止まらなかった。

吃音に対する偏見も大きく

わたしはそんな祖母の話を静かに聞いた。

わたしが聞くから

絶対にお母さんには言わんでほしい。

ここで全部だしてしまえばいい。

1ダースのチョコを食べ切ったら無くなるように

祖母の愚痴も

わたしが1ダース全部たべてしまえば

消えてなくなる事を信じていた。



祖母に対するもやもやを持ったまま

成長していったある日

わたしの入院先に

祖母も入院してくる事になった。

福岡の病院といえども

数多くあるのにも関わらず

たまたまわたしの入院している大学病院に

祖母は紹介状を書いてもらったようだった。


同じ病棟だった祖母の病室に

わたしは時々通った。

ある日 祖母はわたしにこんな事を言った。

本当言うと ばーちゃんは

あんたのこと 嫌いやったとよ。

あんたは 他の孫たちと違って懐かんし 

お母さんのところばかりおったやろが。

お母さんがいい加減なところがあるから

あんたもそうやと思いよったんよ。


こんなにいい子やったなんて

ばーちゃん なんも知らんかった。

あんたのこと なんも知らんかった。


一緒にこうやって入院しとらんかったら

あんたのこと わがままな子って

ずっと思い続けよった。

今ごろ気付いたとー?

おばあちゃん

わたしわがまま言ったことないよ?照れ


ようやく 

おばあちゃんとちゃんと話せた時間だった。

17年かかった。


この奇跡的な時間は

神様が計らってくれた時間なのだと

そう感じながら 自分の病室に戻り

これまでの祖母からの傷を癒す事ができた。


それからというもの

わたしに対する姿勢も祖母はすっかり変わった。


自分から放った言葉や想いが

歪まずに届くって

とても幸せな事なんだと思った。


ガーベラ


昨年末に帰省した時

デイサービスから帰宅した90代半ばの祖母は

あんた綺麗かね と言って

にこにこと笑った。


その時 どこまで祖母は

わたしと話した事を覚えているのだろうと考えた。

わたしの事を嫌っていた事も

一緒に入院した事があった事も

色々な事を話した時間も忘れていて

どうやら この目の前にいるのは

自分の孫らしい。

そんな感覚でいるのだろうと思う。



ガーベラ


わたしはなぜ

祖母のことを記録したくなったのかを

考えてみた。

幼い頃 毎度のように聞かされた

祖母の言う母の愚痴が

抱えきれなかったんだとわかった。



昔の人は苦労人? 努力家?

昔の人は優しい人? 情に熱い人?

昔の人は凄い人? わかっている人?

物知り? 

戦争を経験し生き抜いた強い人?

聖人君子?

昔の人を敬う?

おばあちゃん子はいい子?


そんな言葉達が

無意味に堰き止めていた事が

あったのかもしれない。



でも

だれであっても

どの時代であっても

みんな未熟で未完成で勘違いする

それぞれの

見たい残像フィルターを持っている。


そういう

かわいらしさが人間らしさなのだ。


これを

あの頃の自分に教えてあげた。


これにて完結。



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