東京で
ビジネスを学びたい!!
 
 
それは
まだ福岡のワンルームマンションに
同棲していた時の事だった。 
 
 
彼は 自分が描く未来の為に
コツコツと勉強を始めた。
 
 
結婚する前に2人で東京にいこう!
社内恋愛だった事から
彼のエンジンがかかる瞬間から
ずっと見ていた。

なんのツテもない東京に婚約後に行き
彼は大手の企業に就職した。
 
 

★。o○o。。o○o。。o
彼は
父子家庭で育ち
父親が病を患い
15歳で社会人になった。

学校には行かなかったが
働く事の喜びを掴んだ。
 
夜寝る時
明日になるのが楽しみで眠った

彼の口から当時のこの気持ちを聞くと
涙が出てしまう。 

15歳の子が
たった一人で掴んだ光が
働くということだった。
★。o○o。。o○o。。o



東京での面接で
彼からでるエネルギーを
感じ取ってくれたのでしょう。
東証1部上場のベンチャー企業が
福岡から
面白い人が来た!採用しよう!
会社設立して
学歴が中卒止まりを採用したのは
彼がはじめての事だった
と後から知った。
 

働いていくうちに
彼は次第に
会社経営に興味を持ち始めた。

りも…
おれ 自分の会社を作りたい。
いいね!やろう!爆笑
彼が30歳で
わたしが23歳の頃だった。



彼が会社経営を目指したのは
今は亡き父親の
経営者としての姿を見ていたからだった。
 
 
そして
 
2008年
たった一人で会社を設立した。
 
わたしは 長男が生まれ育て
彼は 会社を創り育てた。
 
 
最初はほんの小さな部屋のような会社だった。
6畳ほどの広さで
デスクが3つ並べてあった。

 
彼には一緒に働きたいという仲間が
どんどん増えていき
オフィスは引越しをするたびに広くなった。
 
仲間が増えていくたびに
彼の笑顔も増えていった。
 
時には
会社のキャッシュフローが追いつかず
何ヶ月も収入がない時もあった。
 
自分の報酬を他の社員やバイトに当てた。

 
その日々は
友人が野菜を分けてくれて
心の中は不安よりも
感謝に満ち溢れた期間となった。
 
 
そして
会社はみるみる成長した。
 
 
引越しを重ね
セキュリティ万全のビルに移動していった。
 
アットホームだった小さな会社は
わたしが気軽に入る事ができないほど
大きく成長した。

もう ほとんどの社員やバイトさん達は
知らない人ばかりになった。

東京だけではなく
九州にもオフィスが出来た。
 

彼の事を
社長!と言って頭を下げる人たちが沢山いたが
彼は
社長って言わないで。名前で呼んで。
と言った。
会社が成長すると共に
仲間が増えていっても
みんなに名前で呼んでもらえていた。
 
 
ところが

2019年

創業10周年を越え
自ら作り上げ
育ててきた会社から身を引いた。
 
会社が大きくなりすぎた事で
共同経営をしてきた方と
方向性の違いが出てきた。

自分はバイアウトして
ゼロイチで作る事を描くようになった。
 
 
自分で作った会社だけど
身を引いていいかな?
彼はわたしに話してきた。
 

人生はやりたい事をやるもんだよ!
そういって 彼の意向を受け入れた。
 
 
その時期に
彼と同じように生きてる人達に向けて
エールの詩を書いた。

 
会社の荷物を片付ける日は日曜日だった。

家族みんなで行った。
セキュリティの問題で
立ち入れる場所は限られていたが
彼と共に頑張ってくれたデスクや
共用部分などを感謝しながら掃除した。

送別会は金曜日にあり
その日は定休日で誰もいない。
声をあげれば 響きわたるそのオフィスに
家族みんなで
今までわたし達やみんなを支えてくれて
ありがとうございました
頭をさげた。

六畳のたった1人から始まった会社が
最後は見上げるほど大きくなっていた。





そして
彼は 直後
新しい会社をまた作った。

知らせを聞いた人達は
誘ってもないのに
●●さん! ●●さん!といって
会社をやめて
集まりついてきてくれた。

新会社を設立し
2019年の半年間 無収入の状態だった。
これも
一緒に着いてきてくれた仲間への給与と
会社の経費を
滞りなく払うためだった。

かつての経験も踏まえ
いつなにがあるか分からない事から
身の丈に合う生活を貫いてきた事で
生活や支払いは
貯金から間に合う事が出来た。
※わたしにとって身の丈というのは
収入に合わせた生活という意味ではなく
精神性の器に合わせた身の丈という意味です。
収入が増えてもライフスタイルは変えず
万が一の為に残しておいた事で何とかなりました。


創立7ヶ月目で 
今月から報酬を
ほんの少しだけ頂く事にします。
みんなよく頑張った!
この時は家族で円陣を組んで抱き合った。

それから
少しづつ役員貸付していた分のお金が
我が家にもどってくるようになった。
【役員貸付】 経営者である我が家のお金を会社へ貸す事。

 
東京に続いて
九州にもすぐにオフィスが出来た。

 
業界では名が知られるようになり
日本最大級のビジネスサイトで
優良企業として◯◯アワードに受賞された。

口コミや評判が広がり
問い合わせが加速していった。
 
 
オリンピックの延期や
コロナの打撃は大いにあったが
リモートワーク中も
東京本社と九州オフィスの全てのスタッフに
減給を一切せず
通常通りの給与を支払い
仕事のやり方は軌道修正を重ね
今だからこそ出来る事を探す事で
整える事ができた。

 
 
このご時世においても
新卒採用や中途採用を受け入れている。
◯◯人を新たに採用する!



彼は履歴書をみない。
こんなの紙切れひとつ。

大切なのは 
質問に正確に答えると言う事と
正直である事。

スキルなんて後から付いてくる。
 
 
彼の軽やかな考え方によって
人生を楽しむ仲間が
どんどん増えていく事を思うと
嬉しくなる。 


会社が成長し 仲間が増えても
兄貴としてみてくれ
一生付いていきます!!
と慕ってくれる人たちがいる。 

新会社を設立した時は
安定するまで給与がなくてもいいです!!
●●さんの横で働きたいです!
 と 一緒に力になってくれる人たちがいる。
※実際は規約通りの給与は支払いましたが、
そこまで覚悟をしてついてきてくれる事に感謝です。


仲間になってくれた人たちが
増えていくたびに
家族が増えたという気持ちになる。

その仲間が結婚したり、子供が出来ると
わたし達の子供のように大切に思うし
モチベーションにも繋がる。

俺を信じて付いてきてくれる人には
絶対に幸せにする。
 

 
事業拡大に伴い さらに広い場所へ
九州オフィスは1月に引越し
東京本社も2月に引越し
 
そして
我が家も春に引越しをする。
子供達は転校になる。
 
 

九州オフィスも
東京本社も
我が家も
全部バラバラに動いていた事だったが
なぜか このタイミングに
ガチっと時期が重なり
大移動の大転換期を迎える。
 
 
 
 
 
バックパーカーのように生きたい
これは彼が言っていた言葉。
 
その時 
住みたい場所に住む。
やりたい事をやりたい時にする。
いつでも好きな時にどこにでも行く。
彼の視点は国内に限らない。

離島に住みたいとわたしがいえば
きっと彼は 二つ返事でオッケーを出すだろう。


ある時聞いてみた。
育ててきた会社を手放す時
寂しくなかった?
それは全くない。
ただの建物でしょ。
色々な事を学んだ。感謝してる。

シンプルなほど 気持ちいい答えだった。
かつての会社も
社名からロゴからHPから… 
彼が手掛けた愛は 今でも生き続けているが
そこへの気持ちも一切なく
水に流したように
スッキリとカラッとしている。


 
彼のロケットの助手席に乗ってきたわたしは
人生の変動の大きさに
たまに乗り物酔いショック!
のような状態になる事もあるけれど
彼の言ってる事は
わたしの人生の中では大正解だ。
わたしには持ってない勇気や太い信念がある。
 
人生とは
彼のいうように
バックパーカーのような
ものかもしれない。
 


地球で思いっきり
楽しみ 挑戦し 遊ぶ。

お空には 何も持っていかないからこそ
地球にある物に触れてみて
動いて 体験する事が喜びになる。

身軽がいいんだろうな。


そんなリアリストの彼は
わたしの事を他所では
モラリストだと話しているらしい。

わたしは天使が好きだけど
彼はゾンビが好きだ。

わたしは白で 彼は黒。

わたしは新月で

彼は満月。



まったく違う視点を持ち
いつも背中合わせ。


もしかしたら
これを読んでいる人の中にも
会社とご縁のある人がいるかもしれませんね。
案外 世界は狭いものです。


このコロナ禍で
経営者として出来ることはなんだろう…
与えるが先の精神でやっている中でも
現実は色々な事がある。


わたしが彼と
共に働いてくださる方々と
繋がる方々に
これからもサポートできますように。





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UMAくんりもっちのあるがママなすがママ

●新会社を設立する時にblogの更新を控えた時期
●逆境こそ宇宙図書館にある自分の本に目次を付ける
●共に夢を叶えるという事
●恩を受け取るという事