余流をそしる | 須佐木寛の小説箱

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素人が書く小説集です。時代小説が好きなのですが・・・・

兵法に余流をそしる其人は ごくい(極意)いたらぬゆゑとこそしれ

 

これは柳生石舟斎の道歌です。ほかの流派を悪くいうのは極意にたっしていないからだ、愚か者め、というわけです。

むかし、修行の足りない生半可の武芸者は自流が一番だと思い、自流と違う流派の剣術を見ると、ここが違うあそこが違う、だめだなあの流派は、という思いになることが多かったんでしょう。しかし、自流を極めれば(極意に達すれば)見方が変わり、他流のよって立つ剣理が理解できるので、なるほどそういう技かと自流との違いを認めることができるようになる。

最近は、ネット上で自分と関係のない他人のしくじりや失言などを誹謗する人たちが多いようです。そういう人たちは自分の判断の正しさに自信があり、また正義感が強いために他人の言動(余流)をそしるんでしょうね。他人のしくじりをそしる人たちもこの先いろいろ経験し、見聞をかさねてゆけば自分とは違う考え方、生き方、しくじりへの理解が広がるのではないかと思うのですが。

テレビを見ていて、ときどきテレビ相手に「そりゃ違う、こうだよ、あうだよ」と自分の考えをつい口にすることがあるんですが、たいがい妻に「うるさいわよ」ととがめられます。まだまだ人生の「ごくい(極意)いたらぬゆえ」ですね。