敵をただ打つと思ふな | 須佐木寛の小説箱

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素人が書く小説集です。時代小説が好きなのですが・・・・

敵をただ打つと思ふな身を守れ おのづから漏る賤(しづ)が屋の月

 

千葉周作の北辰一刀流の中目録免許にのっている道歌です。敵を打ち負かすことことばかり考えて逸(はや)らず、まずは打たれないように自分の身を守れ。そのうちに相手の心が動いて見えるようになる。勝負はそれからだ、ということでしょうか。あるいは、打とう打とうとばかり思っていると相手に心を読まれるぞ、かもしれません。いずれにしても心を読め、読まれるな、ということになります。

敵を知れ、という言葉があります。むやみに攻めても敵の手の内が読めなければ負けるぞという警告でしょう。大相撲で、立合いで相手力士が横に変わって、攻めていった力士が一瞬で前のめりに土俵に手をついて負けるのを見かけます。力士は仕切り中に相手の心を読むんでしょうが、自分の作戦にばかり頭を使っていると相手の心が読めないんでしょうね。それだけではないかもしれませんが。

相手の心を読むということは、勝負の世界だけでなく、あらゆる人間関係の上で欠かせないでしょう。人生のしくじりの大半は人の心が読めないことに起因しているかもしれません。

熟年離婚もそのしくじりの一つかな。自分では家族のために働いてきたつもりなのに、じつは家族にとっては生活費を稼いできただけのことで、家族の思い、本当に求めているものが読めなかった。そこでそういう結果になるのかもしれません。

私自身は・・・・・たぶん・・・・・だいじょうぶ。