一休の悟り、こと
「誰しも必ず死に、骸骨に成り果てる」
と言う思想を
茶道具に顕したかったから
ではないでしょうか。
赤とは生き生きした色であり、利休の
「赤は雑なる心」
と言う言葉を借りるならば、
「生き生きした人の、移り変わる心のよう」
なのでしょうね。
移り変わるわけですから、
侘びていないのです。
ここで思い出していただきたいのは、
利休が極めようとした茶の湯とは、
「侘茶」
だったと言うことです。
侘びの美学を突き詰めようとするならば、
どうしても普遍的な「何か」を求め、
ほかの余計な物をそぎ落とさなくては
いけません。
ですから利休は、
その当時まで人それぞれ、
ばらばらの流儀で成されていた
茶の点前作法から
無駄という無駄を徹底的にそぎ落とし
現在の茶道の基礎を築き上げたのです。

で、利休がこだわったのは
点前作法だけではなかった。
茶道具に至るまで、
侘びの美学を徹底注入したのです。
すると残った色は、黒一色だった。
ですから利休が好んだ道具には
黒一色のものがかなり多いのです。
例えば上記写真の黒い棗(なつめ)。
漆塗りの黒、なので文字通り「漆黒」ですね。
利休はこの黒棗を基準にして、
例えば蒔絵を施したり、
赤漆の模様を入れることで
棗に変化を加えていきました。
ここまで黒に傾倒すると、
他の色が邪魔に感じてくるのは
致し方無いのかもしれません。
それに茶禅一味(茶の道と禅の修行は同じようなものだ、の意)の
考え方からすると、
利休の侘茶の理想はまさしく茶禅一味を
地で行くような考え方でした。
ですから、美学としても、
そして思想・哲学としても
利休は他の色に黒を邪魔されたくは
無かったのでしょうね。
それが故に、
秀吉が好んで使った赤楽茶碗を皮肉って
「赤ハ雑ナル心ナリ 黒ハ古キ心ナリ」
と言ったのでしょう。

ちなみに「黒ハ古キ心」の意味ですが
黒と言うのは、基本的に
喪服や不幸など、
死を直感的にイメージさせる部分があります。
古い、と言うのはつまり、
古代より連綿と続く人々の生涯に於いて
最も重要なイベント、すなわち「死」と言う
究極の普遍性を意味しているものだと思います。
古くから当たり前にある価値観、死。
しかしこの当時の
利休にまつわる人々の持つ
死に対知る考え方は、
今とは大きく異なる物でした。
と言ったところで、
続きはまた次回。