赤と黒 | 千利休ファン倶楽部

千利休ファン倶楽部

千利休の哲学や思想、
考案した茶の点前に関する
様々な事柄を記事にしていきます。

茶聖、と言うよりもむしろ、
人間、千利休に焦点をあてていきます

「赤ハ雑ナル心ナリ、黒ハ古キ心ナリ」

利休が黒楽茶碗を取り出して
わざわざ赤と比較したのは
太閤秀吉が赤楽茶碗を
好んでいたので、
それにはっきりと反意を示すためです。

つまり派手好きの太閤秀吉だったので
茶碗にも雅な侘びを求めていて、
それに対する利休は徹底した侘びを
追求するのが生き甲斐になっていたので、
太閤秀吉の価値観を
「中途半端だ」
と皮肉ったのでしょうね。

上の言葉は、秀吉の弟である
秀長に言ったものでした。



利休にとっての「黒」と言うのは
絶対的な存在でした。

前回書きましたとおり、
黒は全ての色が抜け落ちたとき、
最後に残る色です。

そんな黒を、人間の生死興亡にあてはめると
この世に生を受けた全ての物が
かならず最後に到達する部分、
すなわち
「死」
に直結してきます。



この、人の「死」を説いたのは
何を隠そう、とんち和尚で有名な
一休さんこと、一休宗純でした。

一休宗純は第67代大徳寺の住持であり
人の生死興亡を最も追求し
悟りを開いた禅僧でした。

そんな一休の逸話の一つに
正月早々、杖のてっぺんに頭蓋骨をつけて
街中を闊歩したと言うものがあります。

そんな一休の歌に、こう言うものがあります。

「門松は 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし」

「正月に飾る門松と言うのは、
 人が徐々に死に近付くカウントダウンの
 役割すらも果たしている。
 門松を飾るのは、めでたいことだけど
 めでたくないことでもあるなぁ」

と言う意味の歌です。
すなわち誰しも常に死に近付いているのだ。
誰も彼もが常に、死へと歩み寄っているのだ。

どんなに凄い人でも
どんなにエライ人でも
どんなにお金持ちの人でも
死ねば、ただの骸骨に成り果てる。

生きると言うことは、
すなわち死ぬ事と同義でもある、
と言う事を伝えようとしたのでしょう。



一休宗純の弟子に村田珠光と言う人がおり、
その珠光こそ、利休の茶の基礎を作った
侘茶の祖でもあります。

しばしば利休が侘茶の祖と勘違いされますが
それは間違いであり、珠光がそうなのです。

そしてその珠光の孫弟子に
武野紹鴎と言う人がおり、
この人が千利休の師匠だった。

つまり一休にとって千利休は
ひ孫弟子、と言う事になります。

利休が黒にこだわったのは、
その一休の悟りを
茶道具に顕したかったではないでしょうか。



と言ったところで、続きはまた次回。