茶人であり、
政治家であり、
商人であり、
茶道具の名プロデューサーでした。
利休が遺した美は
現代にも引き継がれています。
そんな利休の
最高の作品の一つと言えるのが、
今日のテーマでもある
「黒楽茶碗」。

楽長治郎と言う人物が
ろくろを使わず、
手ごねによって生み出した茶碗です。
これに対して、もう一つあるのが
「赤楽茶碗」。

利休は黒楽茶碗と赤楽茶碗を
引合いに出して、
人の価値観を皮肉ったりもしています。
「赤ハ雑ナル心ナリ、黒ハ古キ心ナリ」
この黒と赤に秘められた
利休の価値観の真髄とは
一体、なんだったのでしょうか。
黒と言うのは、様々な色素を
全て排除した結果として残る色です。
可視光線と言う可視光線を失うと
そこには黒のみが残るのです。
例えば赤や青の綺麗なワンピースも
一切灯りの入ってこない暗闇だと
黒いワンピースになってしまいます。
つまり、色の中にある全ての邪魔を
さっ引いていくと、
最後の最後には黒しか残らないのです。
利休はここに、
人の魂を見たのではないでしょうか。
利休は禅の修行をしております。
それだけに、利休の茶には
禅の思想がたんまりと詰まっております。
その禅の境地とは、まさしく「無」。
その「無」の色とは何でしょう?
とくると、先ほどの理論からして
黒しか残らないのは
簡単にご理解頂けると思います。
といったところで、続きはまた次回。