利休の本懐 | 千利休ファン倶楽部

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千利休の哲学や思想、
考案した茶の点前に関する
様々な事柄を記事にしていきます。

茶聖、と言うよりもむしろ、
人間、千利休に焦点をあてていきます

利休が遂げようとした本懐とは何だったのでしょうか。

それは、利休が人生をかけて完成させた
侘茶の理想にあります。

侘茶の理想とは、和敬清寂の一言に尽きます。

和敬清寂の背景にある思想は、
儒学に基づく礼の考え方と作法、
禅に基づく無の境地、
キリシタン思想に基づく自由平等博愛、
この三つです。

ジャンヌダルク

これら三つの背景を見直してみましょう。

儒教は儒学として日本で伝承されました。
つまり宗教としてではなく、
治世の学問として採用していたのが日本だったのです。


利休が属していた仏教の宗派である臨済宗は、
禅の宗派でもあります。

禅の理想とは、宗教的云々と言うよりも
無の境地であり、そこには神も仏もなく
「自分」と言う呪縛からも放たれた
究極の「己」と言う名の器の存在に気付く事。

つまり、単純な宗教と言う概念にとらわれない、
どちらかと言うと思想的影響が強かったのです。



そしてキリシタンの思想・・・
ポイントはここです。

利休がどこまでキリシタンに傾倒していたのか。

何度となく言っていますが、
利休の弟子にはキリシタン大名が多く、
利休自身もその思想的影響は多分に受けています。

茶の回し飲みにしても、
茶室の躙口に秘められた考え方にしても、
(これは茶に修道している人ならわかるでしょうが)
袱紗の四方さばき(よほうさばき)に見られる十字にも
その影響は顕れています。

一番あからさまなのは、草の袱紗さばき。

誰が見ても解るように、
十字を切っています。

縦の線は勝手付きで、
横の線は体の正面で、
少し外して十字を切るのです。

そうやって少し形を崩すことで
伴天連追放を命じた秀吉に
十字を切っている事に、気付かせまいとしたのでしょう。

袱紗構え


つまり、下手をすると
利休自身がキリシタンの信者だったのでは、
とも思えるぐらい、影響は顕著です。

と言ったところで、続きは次回。