決定的に冷めてしまいました。
利休はきっとこう思った事でしょう。

「わしは今まで、秀吉公のために
色々と尽くしてきた。
曲げたくもない侘茶の心を曲げ
多くの大名達を懐柔してきた。
わしの大切な弟子も
懐柔のために、北条に送り込んだ。
道具の見せびらかしは嫌だったけど
我慢して、北野大茶湯をプロデュースした。
趣味が悪いけど、禁裏のためだから
黄金の茶室も作った。
わしま今まで秀吉公のために
曲げたくないものを散々曲げ・・・
あの猿めはわしから
大切な物を次々と奪い去った。
奪いに奪って、最後には
わしの愛弟子まで奪いよった。
わしに残されたものはもう、
侘茶しかない。
侘茶の理想を継いでくれそうなのは
宗二亡き今、
もう古織(古田織部のこと)殿ぐらいしかおらぬ。
ならばわしが出来ることはただ一つ。
古織殿に、侘茶の強さを知らしめ
秀吉公に侘茶の恐ろしさを思い知らせ
天下に侘茶の偉大さを広めることのみ。
その為ならば、この命など惜しくもないわ。」
きっとこのような心境だったと思います。
私が利休の立場だったら、
上記のように考えたことでしょう。
その心境を表現しているのが、利休の遺偈。
「人生七十 力囲希咄
(じんせいしちじゅう りきいきとつ)
吾這寶剣 祖佛共殺
(わがこのほうけん そぶつともにころす)
提ル我得具足の一ッ太刀
(ひっさぐルわがえぐそくのひとツたち)
今此時ぞ天に抛
(いまこのときぞてんになげうつ)」
意味は以下の通りです(私の解釈)。
「人生70年、気合いと根性で生きてきたぞ!
えい、やぁ、とおっ!!!
我がこの宝剣で
長く続いた侘茶に終わりを与えてくれよう。
極めに極めた侘茶と言う我が命を
今この時こそ、惜しげもなく捨てて見せよう!」

利休は宗二の死以降、
本気で秀吉に挑戦状をたたきつけるつもりで
命がけの侘茶に挑んだのでしょう。
だからこそ、惜しげもなく
自分の命を投げ捨てることが出来たのだと思います。
まるで武士が本懐を遂げたかの如く。
武士が本懐を遂げると言うことは
すなわち、やり残したことを徹底的に
やり尽くした、と言う意味を持ち合せます。
では、利休がやり尽くした事とは・・・??
と言ったところで、また次回。