大徳寺の山門など
一般的に知られている問題にあるのではなく、
実は、闇に葬られた謎が原因だったとすれば
どうでしょうか。
私の考える利休賜死の理由は
前回の記事で書いたとおり、
朝鮮出兵への強い反対だと睨んでいます。
朝鮮出兵がなされた要因の一つとして
スペインに対抗意識を燃やしたことにあります。
スペインは日本にキリシタン信仰を持ち込み
それを通じて日本を制圧しようと目論みました。
一時は日本国内でも伴天連信仰と言うことで
キリスト教が流行の兆しを見せたのですが、
ポルトガルを含む一部の船団が
日本の女性達を拉致し、
奴隷として船に積み込んでいた事実が発覚、
その事実が時の太閤秀吉に知れたことで
キリシタン信仰が一気に弾圧されることになります。

キリスト教が弾圧される中、
いわゆる隠れキリシタンと呼ばれる人々がいました。
見えないところで密かにキリスト教の信仰を
続けている人々のことです。
そう言う人々は、誰にも気付かれないように
十字を切ったり、マリア観音(マリア像のこと)に
祈りを捧げるなどしていました。
その中でも有名な人といえばやはり、
高山右近や大友義鎮、大村純忠、有馬晴信、
小西行長、黒田孝高、蒲生氏郷、筒井定次などが有名。
そして面白い事に、高山右近や蒲生氏郷をはじめとし
キリシタン大名にも、利休の弟子が多く存在しました。
キリスト教の思想と言えば、自由・平等・博愛。
人を奴隷として売り渡すくせに、
何が自由平等博愛だと言いたいところですが
とにかくその考え方が当時、
とてもエッセンシャルだったのは間違い無いでしょう。
これは飽くまでも私の個人的な見解ですが、
千利休もまた、キリシタン信仰の影響を
受けていたのでは、と考えています。

例えば濃茶を頂くときの回し飲みは
利休の時代から始まったものであり、
キリストの最後の晩餐にある
「ワインの回し飲み」
をベースに考案されたのでは、と考えられます。
貴賤平等と言う考え方も、
元々は一休宗純の禅の思想に依るところが大きいでしょうが、
キリシタンの影響が無かったとは言い切れません。
他にも茶室の躙口では
誰もが平頭しなくてはいけないのですが、
そもそも「何に対して」平頭しなくては
いけなかったのでしょうか。
それがひょっとすると・・・
実は「神」だったのかもしれません。
そういった勘ぐりを始めると
キリが無いのですが、
とにかくまぁキリシタンの影響があったのは
ほぼ確実だったろう、と私は考えています。
ここからは、利休がキリシタン信仰を
庇護していた、と言う前提で話を進めます。
と言ったところで、話が長引きそうなので
続きはまた次回。