反日石碑テロとの闘い(1) | 的場光昭の反日石碑テロとの闘い

的場光昭の反日石碑テロとの闘い

もう釣りどころではありません。北海道の反日勢力のウソと悪業の数々、我慢の限界です。
私たちの祖先の名誉回復と現在そして未来の日本人へのいわれのない謝罪要求の大ウソを白日の下にさらすことに余生を掛けることにしました。

戦闘開始

平成二十四年六月二十一日北海道新聞で東川町における、「朝鮮人強制動員感謝の碑建立へ」の記事を見た私は早速東川町役場に電話を入れて総務課に詳細を問い合わせたが、納得できる回答は得られなかった。そこで私の患者である町民から町内事情を聞き、協力が得られそうな町議会議員数名に手紙とこの問題に関する参考資料を添えて、質問と問題解決に関する協力要請を行なった。

 しかし、東川町は記事(写真1)にあるように、「東神楽町、旭川市も含めた農業、商工、住民、日韓友好団体が賛同。来年1月に発足する実行委には1市2町の首長も委員に連なる」、上川地区中央部の政治・商工会・農業団体・住民のいわゆる名士を揃えて実行委員会を立ち上げてしまっていたのである。

 

 それまではいわゆるアイヌ問題に取り組んでいたのであるが、何としても史実を無視した朝鮮人強制連行を石に刻ませることは阻止しなければならぬと決意した。

 まず、東川町長・東神楽町長・旭川市長には、史実を踏まえた文献を添えて、石碑建立に対する各々の考えを明らかにするよう公開質問状を出した。また不誠実な回答のまま強行するようなことがあれば、内閣の判断で増減できる特別交付税の3自治体に対する減額もしくは停止を求める運動を展開する旨を書き添えた。

 また、名を連ねる主だった実行委員にも史実を説明する文書を送付した。

 また長く私が巻末エセーを担当している地元紙『北海道経済』にお願いして関連記事を載せていただいた。

 上記質問に対する三首長の回答を踏まえたうえで書き上げた論考をまとめたのが月刊誌『正論』(2013.4)掲載論文(写真2)である。

それまでアイヌ関連を中心に六回ほど私の投稿や依頼原稿を掲載してくれていたので編集者にも快諾をいただき大いに感謝している。

この正論の記事がその後の、美瑛・猿払延いては現在進行中の群馬の森裁判に大きな影響を与えることになろうとは、この時点では編集者も私も知る由もなかった。

 毎年行われている北電藻岩発電所の〝強制連行された朝鮮人〟の慰霊祭(写真3)のようなものを、東川町に定着させることは断じて許せなかったのである。