家庭内の空気は冷え冷えとして居心地が悪い。
これまでと違って、心の中の糸が切れた分、見ないようにしてきたことも見えてしまうようになり、フツーのヒトと思っていたダンナはある種の人格障害者ではないかと思えてきた。
考えてみれば、ちょっとフツーではない家の全くフツーではない家族の事情があれば、なかなか伸び伸びと育つものではないだろう。加えて生まれながらの性格もある。
独り旅で訪れた地で【占い】の看板を見つけるとたいてい入ることにしていた。そしてダンナとの相性を鑑てもらうのだ。
以前にブログに書いていたのを見つけて貼りつけた。
2010年4月 巣鴨にて
商店街を歩き始めた時に「四柱推命鑑定」の看板を見つけていたのだが、帰りにやっぱり入ってみようとドアをノックした。旅先ではよくやること。
関西弁のおばちゃんがニコニコと迎えてくれて、「四柱推命」と「姓名判断」と「手相」で占ってくれた。私も多少かじっているので、「話がわかりやすい」といろいろ説明してくれた。
「四柱推命」と「姓名判断」と「手相」が暗示することは全て一致
「旦那さんいる?へぇーいるの。後家相やけど。結婚生活はしんどかったやろ。よう我慢したなあ。あんたは男の生まれ変わりで頭領運やから、女として生きるにはしんどい。旦那がいいひん方がええんやで」
ほとんどがすでに分かっていることばかりなのだが、占い歴40年のオバサンにズバズバ言われると、「今更、女だの妻だの母だのの役割にこだわってんと、この人生での【仕事】を淡々と果たそうやないか」という気になった。
また会いたいオバサンだった。元気もらって鑑定料:金二千五百円也「あんたは絶対占い師に向いてるからやりなさい!」とも言われたけど…
2013年2月
今回の東京行きの目的の一つが、私が【巣鴨のババ】と名付けた(【巣鴨の母】は他の有名な手相占い師のタイトルのようなので)大阪出身のおばさんに占ってもらうこと。どうしても気持ちの整理がつかなくて、出口のない考えを巡らすばかりの日々が続いていて、自分を納得させるための資料が欲しかったのだ。
居てはりましたそのおばさん、【巣鴨のババ】。私が四柱推命を齧っていることもあって、「普通の人にはここまで言わへんけど・・・」と、鑑定してもらったことは、ことごとく「その通り!」の現実
期待しても無駄なことがわかったり、自分が頑張るしかないことがわかったりして、かえって気持ちが落ち込んでしまった。「ご先祖様が助けてくれる」ということが一縷の望みとなっただけの、「夢もチボーもない」占い結果だった。
2015年 川越市
ぶらっと入ってお参りして、他の末社を横目に、ぐっと引きつけられてしまったのが、【誕生日と手相からの開運指南】という看板。前日に、巣鴨で四柱推命をみてもらうつもりが廃業していたので、渡りに船とばかりに乗り換える(?)ことにした。
運よく(?)先客もなく、すぐに白衣を着た指南役が現れた。75歳くらいの品の良い女性で、カウンセリング的な導入。老後に抱いていた生活のヴィジョンが崩れたことや、今後のダンナとの生活の不安を話した。
誕生日からの占いというので、四柱推命かと思っていたところ、その命式は今までに見たことのないものだった。自然法算命学という占い方らしい。四柱推命の鑑定結果とほぼ同じ見解だったが、違ったのは、ダンナの切り捨て方。
要するに、「お人好しはほどほどにして、何事にも縛られずに自分の好きなことをして生きなさい。それだけの運と力と守護がある」ということ。
この歳になれば、そうすればいいのはわかっている。しかし、現実の生活に戻れば、そうはいかないこともわかっている。それでもなお、この人生の指南役のオバサマの応援は百人力だった。
私とダンナの相性は、誰が見ても良くないし、ダンナの方が私を切り捨てたいという関係性。ダンナは自我の強い私が気に入らないのだろうが、私のこの気の強さが無ければ風前の灯だったポンタ家をフツーの家庭まで引き上げることは出来なかった、と私は自負している。
こうして改めて読んでみても≪期待したらアカン≫ことはわかっていたはず。しかし、〈いつかはわかってくれるだろう〉〈老後は仲良く穏やかに暮らしたい〉という私が期待を持ち続けていたわけで…。
ヒトは変わらない。私も変わらないのだから。今度こそ、期待をしないで、気を遣わないで、自分らしく生きよう!まともに怒るほどの相手でもない。
今日はモールへ行って、美味しいと評判のコ○ダ珈琲店のカツカリーパンをテイクアウトしてきた。