山下結生の全てを賭けて | 立教大学体育会水泳部のブログ

立教大学体育会水泳部のブログ

1年間で最も重要な大会としている「関東学生選手権水泳競技大会」、及び「日本学生選手権水泳競技大会」に向けて、日々練習に取り組んでいます。

ありがとう。


























































今の僕から出る言葉は
これしかありません。 




















































みなさん、
ブログでは2ヶ月以上ぶりと
お久しぶりです。






立教大学体育会水泳部
104代目主将の

山下結生です。



とうとうラストブログが回ってきました。

高校生の頃から
この時期の4年生のブログを見るのがアツくて
とても楽しみでした。





ついに書く側になったのか、、、











そしてラストブログということは、










始まります
明日から



ラストインカレ









僕の最後の青春です。





今回は
ブロぐっていうより
詩です。笑



非常に長いです。
本当ですよ。

また、主観的な話や
僕にまつわることも多く出ます。笑





お時間があって、
僕の詩に興味があって、

読んでもいいなー!

って人だけお読みください。笑









それでは
早速テーマに移ります。









104代を振り返って














今回は
後輩や同期全員のブログを見ました。











率直に3つ感じています。


「104代こんな楽しんでくれてたんだ」

「立教選んでよかった」

「同期が君たちでよかった」


です。




















1年前

前主将の高野さんからこのタスキ(主将)を受け継ぎました。

高野さんは僕が尊敬してる人の1人です。

周りがしっかり見れて、アドバイスも的確。
辛い時は真摯にお話を聞いてくださる。

主将として完璧です。人として完璧です。












、、、






僕は、104代始動が
正直本当に不安でした。
高野さん達が、またそのもっともっと前の
103代分の先輩方が大切に大切に、
受け継いできたタスキを上手く継げることができるのか。


この感情でいっぱいいっぱいでした。

その感情から主将という重圧で結果を残せなくなったらどうしよう。
と、考えていた時期すらあります。



今思えば後者の感情は僕の弱い部分です。笑













でも、最後の最後にみんなのブログを見て


・頼りになる
・憧れだった


などの言葉が見受けられました。


















よかった


みんな心からありがとう






















このブログを読んでくれてる人がどれだけいるかわからないし、
みんなお世辞で書いてくれたかもしれない笑












でも、僕は本当に嬉しかった


みんなついてきてくれてよかった


今はそう心から思います。
























「十人十色」

という言葉があるように、
まさしく人にはそれぞれの
考えや行動があります。




部員のみんなは個性に溢れていて


ほんとに可愛い後輩。
ほんとに元気な同期。


そんなみんなに恵まれて、
僕を主将という立場にさせてくれて、


様々な経験を積むことができました。








みんなの主将ができてよかった
本当に良かった

















































ここからは
105代になるみんなへ


まず、
次誰が主将になるかわからんけど、、、

重く考えない方がいいよ
(経験談)



僕は、
高野さんのような
組織の中心人物が務まる、
そして周りがしっかり見れて
みんなの頼りになるような
主将にはなれませんでした。
(頑張って努力はした)













でも、
完璧なんて

普通はできません。


だから次期主将。
重く考えないで!

困った時は
へっぽこな104代主将に連絡ください。
なんでも相談のるよ


















主将ってロボットがやるもんじゃなくて
やっぱり人だし
様々な考え、感情を持つもんです。









105代は人数が少なくて
特に大変かと思います。




だから
3年生のみじゃなく、1.2年生、全員で支えてあげてください
そして主将を中心に僕ら以上にいい代にしてください





次上に立つ3年生

僕が主将になって感じたこと言います
参考程度にしてください笑




・後輩から意見を取り入れるのは非常に大切
・主将はみんなのやりたいことを応援して、見守ってあげたり支えたりする





この2つは僕が主将になってモットーみたいな感じで
大切にしてきました。


気付いた人いるかな笑




誰かわかってくれたら嬉しいな




















まぁ、長いこと後輩のみんなに書きましたが

辛いこと言うかもだけど
人数少なくてそれだけでも大変やのに、
理不尽なこともきっとあります。

でもそれは付きものです。
上の学年になることの宿命です。

 

それをどう乗り越えるかは105代のみんな次第です。
一つずつ乗り越えて
団結していってください。




105代のみんなならできます。
頑張って





























ここからは同期へ。


まじで元気やな(特に漢)

エネルギッシュでこいつらまじか
ってたまに思う時もあります。




でもその元気さに正直何度も救われた時ありました。




響生
お前本当に疲れるんかってくらい元気で、、、
きもいし、唇だし

でも、水泳に関しては天才だと思っています。
怪我とかなかったら1.51
いや1.50くらいちゃんと練習したら出てたと思う


まあインカレで出してもいいっすよ。
ラストだよ、おもいっきり頑張ろ



修一
初めて会った時
朝倉海だし、骨格ゴーレムだし、筋肉だし

水泳だと、フィン履くと人変わります。
フィンスイム行ったら日本一取れんで。笑

なんて冗談はさておき、この1年は
タイムもあんまり出なくてきつい思いしてたと思う。
あんまり弱いとこ見せんタイプやから、
自分でなんとかするっしょ。

って修一のラストブログ読む前からこう書いてたけど、
やっぱり人だもんな。信頼する人にだけでも良いからこれからの人生でも弱いところは見せるんだぞ

でも人生ラスト。魅せてくれ



47




間違えた
心成
1年生の時、あんまり寮で見ませんでした。
昼夜逆転生活かまして、、、

こいつと仲良くなれるかて思ってた。
でも、いざ仲良くなると
ほんときしょくて、、、笑

レベチでキチガイです笑

でも練習速いし
こいつ化けるなって思ってた

ラストイヤーベスト率1番高い君なら
インカレでは超特大ベストできてくれるでしょう。
頼みます

みんなにイイトコ魅せましょう。




黒澤
謎い。結構今もおもてる

でも、水泳のことは真剣に考えてる
ドライもしっかりやってるとこ見てた

また、後輩の面倒見が非常に良い。

そこに助けられてた

優しい先輩でいてくれて
ありがとう



彩花
練習すごく頑張ってる

しっかりその頑張りが報われてほしい

200Ba
決勝残ろう。
去年果たせなかった雪辱を晴そう

インカレでの雪辱はインカレでしか
返せないよ。

本番強いから出来るよ!
一緒に頑張ろう


みなみ
いーなーーーて思ってる笑

本番で出す強さのことね。
練習のわりに、試合強いところまじ尊敬

これは悪い意味で捉えないでください。笑
ポテンシャルをほめています

今年もインカレで大暴れしてください!





慈瑛
声がすごい。
試合会場どこにいたって
君の声はスって入ってくる。
まじですごいね

趣味でレース分析もしてて
助けられました。

もうこれから先、
タイム読んでもらえない
スプリット書いてもらえない

って考えると非常に悲しいです。
今回が最後。
僕が泣かせるレース魅せる。
一生記憶に残るようなレースをみせてあげるよ







最後に

この1年はチーフとして頑張ってくれて
本当にありがとう。


頑張ったで賞


があるなら、
あなたです

色んな理不尽に耐えながら
頑張ってくれました。

チーフと主将という立場で
自然と部について考えることが多かったね

僕が迷惑かけんかったかな、それだけが心残りです

でもJにも言ったけど
ここから先、タイム測られないとか
考えると本当に悲しい。

だからこそ、
200Baで一生記憶に残るような
1番いい色のメダルかけさせてあげる。
期待して









個性が超溢れる同期で4年間水泳できて良かった。








先輩方


僕は生意気だったと思います。
年下のくせにでかい態度もとってたと思います。
でも、これまで関わっていただいた先輩方のおかげで
ラストは「主将」という大役を1年任せてもらいました。

インカレで優勝するので、
これからも可愛がってください笑

(特に野口・浅野パイセン)






そして、
監督コーチのスタッフの方々

素晴らしいサポートをこの1年間ありがとうございました。

104代の締めくくりのインカレ


最高の形で104代の幕を終えますので、
どうか最後までサポート、応援のほどよろしくお願いいたします。














































ふーーーー












長いなーーー
て思ったそこのあなた。


まずはここまで読んでいただき
ありがとうございます。


ここまで読んでスクロールしてくれてるなんて
僕のファンすね。









嘘です。
読んでいただいて感謝してます




でももっとやばいこと言いますね。






まだ半分くらいです。





でも言い訳させて、
ラストなんだよ





最後くらい語らせて。笑































ってことで
ここからは僕の生い立ちについて書きます。
(求められたので)





話したことある人にはまたかーー
てなる話ですが。



僕は最初全く泳げませんでした。

プールは苦手
小学校2年生の時
泳げなくて夏休み学校のプールへ補習に行きました


そこで母と4種目くらい
泳げるようになろうとなり、

秋くらいからコパンスイミングスクール知多店に
通い始めました。








通い始めたら
意外と水泳に関しての才があったらしく。笑






ぽんぽん進みました。
(飛び級もいっぱいした記憶ある)


まあそれでも週1回
通ってただけなんですが、、、

















そんなこんなで
小学4年か5年生のころ








「育成コースに上がらないか」





と声をかけていただいたのが







この人生を歩むことになるキッカケです





当時は部活動でバスケもしていた訳ですから
二刀流ですねーーーー。笑
(バスケ部でキャプテンだった)




でもこれまた週3回、1時間半練習でしたが、、、


そして、中学生に上がる時
バスケか水泳かで迷い









個人競技の水泳を取りました。
そこから選手コースに上がり

週4日の1時間半練習になりました。
トビウオハイにも出たのもいい思い出です









そして、中学生に上がり
初めて朝練も経験しました。







土曜日の朝に起きて
練習をする。






なんとも不思議な感覚でした。
ねみーーーー
と思いながら、家族にプールまで送ってもらっていました。笑







そして
週に5回練習するようになり
タイムが出始めました。








1年ちょい経った中学2年生



2017年の春に
初めてJOに出場しました。







200Ba 2.08.50 28位






短水路です。笑

2.05持ってたのに、ベストプラス3秒という

結構イカついデビュー戦でした。

全国大会むずーーて。笑











でもその年の全中は
初出場

2.07.24 5位


おーーー

決勝行けた!

僕の代のトップ選手たちと初めて泳げた瞬間でした


でも不思議と嬉しいて感覚じゃなくて
もっとこの人達と競って
戦いたい!
って向上心に火がついた大会でした















そこからは
あの豊川高校から勧誘きて


僕のレベルでいけるかなって思いながらも








「速くなりたい」









って思いの一心で
入ることを決めました。






でも、この高校3年間が
肉体的にも精神的にも














非常にきつかった













1年目、
僕よりすごい先輩
(めっちゃ怖かった)


監獄のように練習を監視する

間違えた

練習を見てくださるスタッフの方々

人数の多さ、
またとてつもなくシビアな環境に

僕はついていけませんでした。














今まで週5回1時間半練習から
週10回2時間以上の練習
それにウエイト



潰れかけました。
ストレスも今までを含めて人生で1番かかりました




















ほぼ毎日のように
両親に連絡していました。







きつい、帰りたい












でも、励ましてくれる両親のおかげで
1年目を耐えることができました。







結果が出始めたのは2年生から
IH 決勝
JO 決勝
オープン突破




順調に結果を残していくことができました










とんとん拍子にベストが出て
きつかったけどその分、楽しかったです







そして、
















今年こそはいける。



そう臨むはずだった



















3年目
































コロナでIH中止









寮も閉鎖








































なんで。



こんなのあんまりじゃん。























3ヶ月以上泳げませんでした




6月末くらいから
またみんな寮に集まり
全体練習が始まりましたが、




3ヶ月も休んだことのない僕は

泳ぎが崩れ

絶好調からは程遠い




自分になっていました。




それでもめげずに練習頑張りました。



代替え試合の県大会
覚悟を持って挑みました



が、
2.05.27
ベストプラス3秒































僕のラストイヤー終わりか。





















なんて毎日
寝る前考えていたけど、
やっぱカッコ悪いよなって
そんな最上級生


やる前から無理って決めつけるのは良くないよな

って



そこから最後の試合までの1ヶ月




今は近畿大学に進んだ
一個下の後輩と




死ぬほど努力しました
過去1したかも???笑























そして迎えた通信大会
4年前だけど

鮮明に覚えています







2.01.54
56.86






1ヶ月で4秒上がりました
ナショナルも切れました











1番怖かった先生に
めっちゃほめられて
大泣き。笑








 

でも本当に嬉しかった


水泳の楽しさ









やる前から諦めることがいかにダメなことか







改めて気づいた
そんな大会でした。












最終的に高校を卒業する時には



100が 56.32
200が 2.00.44



と、かなり高校期間でタイムを縮めることができました








ちなみに中学卒業時は




100が59.73
200が2.07.24





でした
伸びたな〜笑





















そこからは
この立教大学に進学することを決めましたが











周りからは
なぜ立教???


という声が非常に多かったです。

 


まあ、なんとなく理由はわかっていました




当時立教は
シード校でもなく
1部2部を行き来する大学でした。



決して強豪校ではありませんでした。























でも僕にとって



そんなことは関係ありませんでした。





高校から尊敬していた、
野口さんがいました。



プラス

僕は

「大学なんて自分の頑張り方次第」


と考えていたからです。



どこに行っても伸びる





と言う根拠のない自信がありました。





そんなこんなで、

入学、入寮したわけです

























"立教大学を有名にする“





そんな野望を持ち
意気込んでいました。







しかし、、、






大学1年生
環境の変化についていけず



非常に
苦しい1年を過ごしました。






「残れたはずのインカレもスタンドから見る」







水泳人生で1番屈辱的で
悔しい経験でした。







スタンドで同学年の活躍を見ていました。





ほんっっっつとに

あれほど悔しいことは
今後あるのでしょうか。


ってくらい悔しかったです







ただその経験があったから
来年は絶対にそんなこと経験したくないと思い
努力できました。


またその要因の一つとして、

蟹和さんやその凄い人脈から

日本代表と接点をいただいたり



貴重な話を聞き、アドバイスをもらうことができたりと






2年目から
これまで以上に結果を残せました




インカレ 決勝
オープン 決勝
選手権  決勝








レベルアップ↑↑↑






こう見ると大学水泳
ぱっとみ




順調ですね。笑




なんやかんやで小学生から
10年くらい毎年ベストも更新しています。








まぁそれなりに頑張ってここまできました。







そして、


1年生から掲げている 

























インカレ優勝



















ほんっとに


簡単なことではありません。










上を見れば


オリンピックに出た日本代表
去年のセスイ ファイナリスト
ユニバーシアード 銀メダリスト


そして、ライバルはまだまだいます。







今年も激戦が予想されます







きっと
レースも泣きたくなるくらい
きついと思います。














でも、もう僕は
どんだけお願いしても
泣いたとしても
















「ラストインカレ」














なんです。




あと


1回

2回


ないんです









達成するしか残されてない。










カンカレが終わってから
半月以上




朝8時半に起きて

水泳教室の準備をして


10時から
15時半まで


ちびっこにプールの楽しさを教えて


そこから練習










練習始まる前から
練習終わりのきつさが身体にはあって





時には
そんな中で2回練もして、、、、













体調も崩さず、
みんなよくやったよ。





憶測ですが、










多分1番きついことしてるのは

この立教大学体育会水泳部

だと思いますよ。笑







そんな中で
みんなインカレに向けて



しっかり準備して





明日を迎えるわけです。
















強くなってるに決まってるじゃん



いけるに決まってるじゃん



















それを僕が


初日
















優勝















という形で
証明します。






全部全力で

妥協せず、
積んできました。
















高校の恩師 
深田先生、堀畑先生

大学の恩師
蟹和さん

応援してくださる方


















両親





1番いい色のメダルを持って帰ります。














人生で













1番
頑張るよ。


























書いてて、
いろんな思いが感情が浮かんできて
泣きそう。笑











































恒聖、至輝、壱紳、健太、京吾


僕らがいなくなった後
先頭となってしっかりやるべきは君たち。



ちゃんと練習から引っ張って行くべきだと僕は思うよ。
声出しとか、練習に対する姿勢とか。





僕から学んだことあると思う。
しっかりこれから後輩に受け継いでいって。
立教を強くするために頼むよ。











もう僕はお願いすることしかできません






でも君たちならできると思う
だって僕の後輩ですから









三友さん
和田さん

あなた達には今後
非常に期待しています。




















そして、両親、妹




本当にありがとう。
もうこれしか出てこないよあなた達には。








文句も言わず、
高いお金を、大事な時間を
僕のために使ってくれて、ありがとう。



反抗期がひどかった僕を
高校で寮に行かせることを決意した時




あきちゃん泣いたと聞きました。笑







でも行ったら行ったで、
「あんたいなくて楽だわー」

って楽観的で。笑
僕は高校1年生の時寮出たかったのに。笑



























、、、










そんな今となってはいい思い出も
たくさんの仲間ができたのも
両親、妹のおかげです。

 
 








一生の宝を僕にくれてありがとう






























結果で恩返し


















ずっと想っていました











やっと






挑戦できます







明日が来るのをずっと待ってたんです。





どれだけ勝つ
イメージをしながら練習したか。















 







最期は

















俺が勝つ





































はあ、

本当に

終わっちゃうんだな


僕の青春











もう2度と来ない。






















嫌なことも辛いことも

いっっっぱいあったけど












それもひっくるめて


青春なんだなぁ。



















水泳してて


色んな仲間や
友達に

出会えて良かった。






























立教大学を選んで良かった














大学選択をしたあの日は間違いではなかった

































水泳に感謝





















これまで関わってくれた
全ての人に感謝





































立教大学体育会水泳部
104代主将


山下結生








「闘紫」