感謝 | 立教大学体育会水泳部のブログ

立教大学体育会水泳部のブログ

1年間で最も重要な大会としている「関東学生選手権水泳競技大会」、及び「日本学生選手権水泳競技大会」に向けて、日々練習に取り組んでいます。



こんばんは🌟






ついに
インカレまであと2日
となってしまいました







本日のブログを担当させていただきます、
4年副将の高原彩花です。





高校生の時からひそかに読み、
そして憧れていた立教のブログを書き始めて早3年。
そんなブログも今日で最後となってしまいました。





昨年、一昨年と先輩方の引退直前のブログを読み、感動し、その想いを受け継いできました。






そして今日まで同期の最後のブログを読んで、初めて彼らの心の内を知りました。







最後のブログ、ってやっぱり特別なものだと思います。普段は口に出さないけど心の中で考えていたこと、照れくさくて言えないようなことでも最後ってだけで書けてしまうのがいい所ですよね。
(最近の趣味は他大学のラストブログを読むことです)(本当に良すぎるんですこれが)





そんなラストブログですが、
いざ自分の番になると、何を書けばいいのか、
どこから振り返ればいいのか迷ってしまって、








結局、全部を書くことにしました。










 インカレに向けて



 これまでの水泳人生を振り返って



 大学水泳を振り返って






の3本立ててお送りします。





思い出話と自分語りが多いと思います。
そして恐らく、とっても長くなります。


大目に見てもらえると嬉しいです。







 インカレに向けて




インカレは

4年間の集大成を発揮する試合であり


水泳人生最後の試合です。








そんなインカレに私は、
万全の状態で臨むことができません。








インカレまで残り3週間となったあたりで


左肩を故障してしまったからです。













大学4年生になって、ラストイヤーということもあり、気合が入りすぎていたのかもしれません。







4年生で出場した春六・法明立・関チャレの全ての試合でベストを更新し、関カレでは個人種目2種目でのベストを更新しました。









インカレに向けてさらに追い込んでいる最中でした。






最後の最後で、
2週間の安静を言い渡されました。














そこで、張り詰めていた気持ちがプツンと切れてしまいました。












インカレに出れないわけじゃない。








分かっています。








記念に出場することはできる。






でも、タイムが出るわけじゃない。








練習しないで出る試合なんて、
タイムが出ないに決まっています。







タイムが出ないって分かっている試合なんて、そもそも試合に出る意味がない、と思っていました。










どうしようもなく情けなくて



リレーメンバーにも申し訳なくて



後悔してもしきれませんでした。







インカレ前、この大事な時期にみんなが最後の追い込みをしているのを見ながら、




気持ちが切れてしまった自分は、昔のことを思い返していました。







私の水泳人生は、思えばずっと、言い訳とわがままと逃げの連続でした。








小さい頃から、試合でタイムが出なかったら
「ターンで滑った」「スタートが上手くいかなかった」と言っていたような気がします。








自分の弱いところと向き合いたくなくて、








自分の弱いところを認めたくなくて、







常に、何かのせいにしていました。








試合の日に、お母さんが作ってくれたご飯のせいにしたこともあります。




「今日のご飯がパスタだったから今日の試合遅かった、本当はおにぎりが良かったのに」
「今日のお昼ご飯にフルーツ入ってなかったからじゃん」






口を開けばワガママばっかり。




タイムでないのも上手くいかないのも



本当は全部自分のせいなのに。






ごめんね、と困ったように笑う母を見て、



私はなんてダメな娘なんだろうと思いました。






本当に手がかかる娘だったと思います。







最後の最後まで迷惑かけっぱなしでごめんね。






インカレ家族で見に行くね、と言ってくれていたのに、電話で





「インカレどうせ遅いから来なくていいよ」






なんて言っちゃってごめんね。









そこで私は最後の最後まで、逃げようとしていたことに気づきました。







楽になろうとしていただけでした。








支えてくれる人がいる。

応援してくれる人もいる。







それなのに自分が逃げ出すのは、失礼だとも思いました。






そこから、やれることは全部やりました。




今まで練習してきた自分を信じて、
なるべく水の感覚を失わないように。




多少無理して泳いだところもあり、
バッタは泳ぐとまだ激痛が走ります。







それでもなんとかここまで戻すことができました。







病院を紹介してくださった安部さん、
送ってくださった山下監督、
本当にありがとうございました。











あとはやるだけです。







昨年のインカレ後に掲げていた目標は

200m背泳ぎ A決勝進出
200m個人メドレー B決勝進出
4×100mメドレーリレー A決勝進出
4×200mフリーリレー B決勝進出

です。






練習が積めていないという漠然とした不安があるため、正直、自信は全くありません。








それでも目標は変えるつもりがありません。








メドレーリレーのメンバーと
A決勝出れたら最高に楽しいだろうね、って
景色を想像したからです。
「遅くても大丈夫ですからバックは彩花さんが泳いで欲しい」なんて嬉しいことも言って貰えました。遅く泳ぐつもりなんてないけど。笑



8継は眞咲ともう3年も組んでいます。
眞咲から引き継ぐといつもの何倍も早く泳げる気がします。ちょっと生意気で、でも頼もしくて、優しくて、可愛い眞咲と最後のリレーを泳ぐために。



大学1年生の最初の関カレで2バックに選ばれてからというもの「彩花のバックにはまだ伸び代があるからやり続けろ」と言ってバックの才能を信じてくれた蟹和コーチのために。




そして私の個人メドレーのプライドのために。





全部泳ぎ切れるかは分かりませんが、限界まで。




いや、

限界を超えたレースをしたいと思います。














これで、インカレに向けてのパートは終わり!



ここまででかなり長い気がするけど大丈夫ですかね、、、、、。




最後までお付き合いいただけますと幸いです。















 水泳人生、振り返ると








水泳を本格的にやり始めたのは小学2年生。






当時スイミングスクールに週1で通っていても、バタフライがどうしても泳げなくて






じゃあ週2回通おう、週3回通おう、となり









最終的に週5で学童に通ってバタフライの練習をしていたところ、その根性を見込まれて選手コースに勧誘されたのが始まりでした。




(技術とかセンスで勧誘されたんじゃなくて根性なのがもう自分らしい)





結局バタフライの習得は週5で通ってもめちゃくちゃ時間かかりました。








そこから何があったのか覚えていませんが、


バタフライの選手になりました。











その時のモチベーションは
選手コースの友達とやっていたワンピースごっこが楽しかったこと









50mバタフライ、100mバタフライ
どちらも大して速く無かったですが、




小学校5年生のころには
当時のレベルでいうと最高規模の大会
2月にある九州カップという九州大会の10歳以下の区分で表彰台に乗れるか乗れないか、のレベルで戦っていました。







「あれ?」と思った人もいるかもしれません。






小学5年生で10歳以下の区分?





私は3月生まれだったので、
水泳用語で言う“特年齢”でした。




小学5年生の2月の九州カップの時には未だ10歳だったんです。



つまり、2月の九州カップでは学年的には全員歳下と戦っていたことになります。





全員歳下と戦って、
それで表彰台に乗れるか乗れないかのレベル?








まぁ端的に言ってしまえば、




才能はありませんでした。










戦っているのが歳下だろうがなんだろうが、
負けたら本気で悔しがって、
勝ったら本気で喜んで、



区分分けが年齢であることが多かったため、あまり同世代の速い子たちと戦うことの無い小学生時代でした。










中学生になり、痛い目を見ることになります。




「一緒にリレーで全中に出たいから、彩花ちゃんも中学で水泳やろうね!」




と1つ上の先輩に言われるがまま、そのまま水泳を続けました。




そして中学1年生最初の中体連






1バタ、市大会敗退





福岡市大会の6位以内に入れなかったため、県大会に出場することが出来ませんでした。





今まで同世代とまともに向き合ってこなかったツケが回ってきました。





そして、
そこでしっかりと向き合いバタフライを続け









るのではなく










人数が少ない4個メに逃げることにしました。







市大会でそもそも6人以上選手が出場しておらず、定員割れをしていた4個メに逃げることで県大会に出ようとしていました。


















中学2年生



逃げた先の4個メ、
県大会に出場できたのはいいものの失格。




しかも緊張しすぎて2個メと4個メを間違えるという訳のわからない失格理由。









それでもその後にはリレーがありました。





個人がどうしようもなくても





一緒に全国に行こうと言ってくれた先輩がいる




信じてくれた人がいる






ほぼ先輩のおかげですが、
何とか全中を突破し、初めての全国大会は先輩に連れて行ってもらったリレーとなりました。






その時初めて、リレーの凄さを実感しました。








私が頑張れるのは、
隣で戦い、信じてくれる仲間がいるからだと。



個人では考えられない凄い力がリレーでは出せるのだと。







この経験が私の今の原動力になっています。
朝美ちゃん史佳ちゃんまこちゃんありがとう。








中学3年生になり、個人でようやくJOや全中を突破できるレベルまで到達しましたが、その頃には先輩たちはいませんでした。










いつだってそうです。












先輩にもらった恩を返したいと思って



恩を返せるくらい成長した時には






先輩はいません。






中学だけでなく、高校や、
特に大学では
先輩という存在から
たくさんのものを貰いました。






それでも直接返せる人はもういない。






だからやっぱり






先輩からもらった恩は



後輩に返すしかないのだと思います。






インカレで出る予定だったリレー3種目

4×100mメドレーリレー
4×100mフリーリレー
4×200mフリーリレー




出場したかった4継は、肩の調子を考え、
後輩に託すことにしました。


出たかった。悔しい。


頼んだよ。桃香。



残りの2種目では、
私が水泳人生で先輩から受け取ったものを
全部後輩に託すレースをしたいと思います。










高校生になり、




200m個人メドレー、400m個人メドレーの2種目ではJO、インハイ、国体などの全国大会に継続して出れるようになりました。



地元の公立高校を選んだため、中学の時のようにリレーでインハイに行けることはありませんでしたが、個人種目ではベストを更新し続けていたため、かなり順風満帆と言える高校生活を送っていたと思います。



中学3年生で初めての全国大会出場となると、かなり遅咲きの部類なのかなと思いますが、その分高校生でベストをたくさん更新することができました。




そして高校3年生





コロナでインハイも、JOも、国体も中止





前年にインハイで14位になっており
最後のインハイで決勝を目指していただけあって、やり場のない怒りで文字通り三日三晩泣きました。






全ての練習が無駄になりました。






無気力状態がしばらく続いていた頃




2020年5月




千葉すみれさんから立教大学に来ないかと声をかけて頂きました。








思いもよらないチャンスが舞い降りました。







両親に話すと、心配もあったと思いますがまさかの快諾、速攻で受験を決めました。








未練もあったのかもしれません。







個人メドレーの選手で汎用性が高そうで、バックも泳げそうだから勧誘した、と入学してから小耳に挟みました。








確かにそうかもしれません。








私も高校最後のインハイが開催されていれば、恐らく水泳をやっていませんでした。








私が個人メドレーの選手であること、
その中でもバックが泳げたこと、
高校最後のインハイがなくなって未練があったこと。





全ての出来事が重なってこの大学とご縁があったのだと思います。







私と大学を繋げてくださったすみれさん、
安部会長、望月総監督、本当にありがとうございました。
















 大学水泳を振り返って





○ジャパンオープンの突破
○インカレでの決勝進出


を目標にして、友達もいない中、福岡から1人で上京し始めた大学生活。







授業の組み方、池袋への行き方、満員電車はどの時間のこの車両に乗るべきか、プールのルール、鍵開け鍵閉め、早朝練習の前の張り替えの時間、メールのマナーなど、、、







最初は覚えることばかりで、過ぎていく怒涛の日々。








先輩たちはみんな優しかったですが、やっぱりすぐに全てを曝け出せるわけではありませんでした。








家族が恋しかったです。






福岡が恋しかったです。






大学に入り、週の練習回数は6回から8回に増えました。










それでも練習は頑張り続けていました。










練習を頑張ればベストが出ると知っていたから。











どんな練習でもメニュー通りこなす。
どれだけきつくても、周りが流していても、個メ6セットのメニュー(しかも50もハードのやつ)が週に4回あっても毎日限界まで追い込む。
熱があっても練習に行く。











私は、上手い具合に手を抜く方法がわかりませんでした。










自分で4年間頑張ると決めたから、手を抜く方法なんてわからなくていい、甘えるな、この生活をやるのが当たり前だと思って過ごしてきました。













1年生の冬











だんだん、夜に眠れなくなりました。




ご飯が食べられなくなりました。




眠らず、ご飯も食べないまま早朝練習に行く日が続きました。














そして、

とある日の早朝練習の前に、意識を失ってしまいました。










 
すぐ目は覚めたため、そのまま練習に参加。









その後は念のため、病院を受診しました。




(あまり詳細に振り返ると心が持たないので省きます)






そこから1年にわたり薬が手放せない生活が始まりました。










練習に行けない、授業に行けない、
眠れない、食べれない、
外に出ると止まらない嘔吐、
薬の副作用もあり寝てるか起きてるかわからない状態で記憶も曖昧になっていく、























まさに地獄の日々でした。

















あの冬は、苦しかった。





















あの頃は練習に参加することが全てでした。




練習に参加出来ない、授業にも行けない、何もできない自分がどうしようもなく嫌で、




自分自身と、その時1番近くにいてくれた人に矛先が向きました。





そして深く傷つけてしまいました。









「水泳辞めて、水泳部やめて、大学やめて福岡に帰っておいで」




と母に泣きながら言われ、本当にそうしようか、と考えたこともありました。














それでも、


















私は続けることを選びました。






















やっぱり水泳が好きだったから。




水泳部の人達が大好きだったから。




恩返しがしたかったから。








続ける選択をしてからも、




沢山の人に迷惑をかけ続けました。








それでもその度に誰かが支えてくれて




本当にたくさんの人に支えてもらってここまで来れました。





本当にありがとうございます。







徐々に人に頼る方法を覚えて、




手の抜き方(言い方は悪いけど)を覚えて、




心から水泳を楽しめるようになった頃には、




二個下の後輩が入学しようとしていました。















入学当初目標としていた4個メの短水路でのジャパンオープン突破は、大学で3回チャレンジレースをしたけど、切れませんでした。
(4年生の関チャレでやっと切れたよ!)




悔しかったけど、それでも楽しかった。









大学3年生



まさかの2バックで、ジャパンオープンを突破。初めてのB決勝出場。そして優勝。




4年目への期待が膨らみました。




そうして迎えた104代




歴代の先輩たちとのギャップに悩まされました。




私は、ありたい先輩像とはかけ離れた姿でした。



こんな自分のことしか考えていないような、余裕のない人が上に立っていいわけが無い。



102代の舞夏さんはもっと周りが見えていた、103代の真衣さんはもっと優しかった、など、上の立場になってから、たくさんたくさん考えました。





その結果、そのままでいることにしました。






練習でしょっちゅう泣くし、威厳も無い。





それでも絶対練習での声出しは欠かさずやる。自分に出来る練習を精一杯する。




そうすれば、誰かに伝わると思ったから。






どちらかと言うと入学してから出会った101代、102代、103代の先輩方は、「言葉で伝える」代だったと思います。




そんな中で私たちの同期はあまり多くは語らず、



「背中で見せる」



タイプが多い、不器用な人達でした。






もちろん私もその中の1人です。





この同期だからこそ、一緒に最上級生できたと思います。本当にありがとう。






後輩のみんな
ここまで104代に付いてきてくれてありがとう。




せっかくだから各学年に一言ずつ



本当は個人個人に言いたいんだけど、ちょっと照れくさいからインカレ後に話せたら嬉しいです。写真撮ってね。




1年生
明るくて雰囲気良くて、すごく楽しそうな代。そして競技面ではこれからの成長が期待できる代。今年の関カレでは悔しい思いをした人が多いはず。見守ってるよ。今の1年生が4年生になった時のインカレが今から楽しみ!!見に行くね。


2年生
内に秘めたり、表に出したりは様々だけど、みんな有り余る情熱がある代。104代を積極的に引っ張って盛り上げてくれてありがとう。特に珠稀はいっぱい隣で泳いでくれてありがとう。おかげでどんなにきつい練習でも頑張れた。これからお互い支え合って、105代もいっぱい盛り上げてね!



3年生
他の4年生も言ってる通り、ほぼ同期。
生まれた年で言ったら全員同期。
みんなしっかりしすぎてて、頼りがいがある代。105代、全く心配してません。人数少なくて大変だと思うけど、上手く後輩を頼るんだよ。絶対乗り越えられるから大丈夫!!あとはインカレ後にたくさん話そう。




4年生
この9人で一緒に成長出来てよかった。
感謝しかありません。本当にありがとう。






先輩方
これまで立教大学体育会水泳部を繋げてくださり、ありがとうございました。代々繋げてきた想いがあるからこそ、今の水泳部があると思います。多くのことを学び、成長させてくださり、ありがとうございました。



関わってくださった全ての方に感謝です。






4年間のうち、
後悔や失敗も沢山ありました。




でもそれはきっと、
これからの人生にきっと活きてくるし、
数年後には、それさえも愛おしい記憶になっていると思います。











立教大学の水泳部に入ってよかった。



最後に

お父さん、お母さん

水泳をやりたいようにやらせてくれてありがとう。立教大学に進学することを快諾してくれてありがとう。ここで水泳やれて本当に良かった。いつだって応援してくれてありがとう。
上京してから、お母さんのありがたみがわかりました。お父さんのすごさがわかりました。
お母さん、どうしてもお母さんのご飯食べたくて無理言っちゃってごめんね。いっぱいご飯送ってくれてありがとう。
2人とも、いっぱい心配かけちゃってごめんね。
最後のインカレ、全力で戦うから見ててね。





まとまりがなく、文章も拙く、長くなってしまいましたが、

これまでお付き合いいただきありがとうございました!




「闘紫❤️‍🔥」


立教大学体育会水泳部
104代 副将 高原彩花





































(恐らく届かないけど)河野先生
全国にも行けないような、大した選手でもなかった私のために、これほどまでに力を掛けてくれるコーチは初めてでした。JO切れるように色々な方法を試してくれたこと、試合前は願掛けをしてくれたこと、絶対忘れません。たくさんたくさん貰ったのに、目の前でいいタイムを出せたことはあまり無かったと思います。恩をお返しできなくて本当にすみません。ありがとうございました。


(同じく届かないけど)岸先生
全国に出て満足している私に喝を入れ、もっと上の景色を教えてくれたコーチでした。ブレがダメなら得意で攻めろ、個メ諦めるな、逃げるな、攻めのレースできないで何になる、最後の気持ちは絶対負けるな、と口癖のように言っていたコーチ。名だたる選手を排出した岸先生の記憶には残らないかもしれないけれど、私の大学水泳は岸先生から教わったことが基礎になっていました。ありがとうございます。



































チームジン
女子の同年代ほぼおらんくなって正直楽しくなくて、でも2人がいてくれたおかげで楽しかった。3人で練習してお風呂入ってバカやってた時間は宝物だったんだなって。大学であったこととか、しょうもないこととか、「何があってもこの2人には話せる」っていう安心感は心の支えでした。2人ともありがとう。3人で昔話して感傷に浸ろうぜ。


和馬
主将お疲れ様。メニュー作ってチーム引っ張って、ほんとすごいわ。
今年もインカレで会えるの楽しみにしてる。
やっぱ個人でインカレ切ってるところ見たい。

元気
厳しい環境にいると思う。劣等感も半端ないはず。でも負けんな。絶対レギュラー取ってインカレ出てくれ。見に行くから。元気ならできる。




















みなみ
後輩との距離感とか、人との接し方とか、私みたいに八方美人にならずに自分らしく生きれることが羨ましかった。でもみなみも私のこと羨ましがってたって聞いて面白かった。ずっと少し前を行くみなみがいるから私も絶対追いつく!って思って頑張れた。得意な距離も性格も正反対だけど、お互い高め合えてここまで来れたなら、もうそれは最強じゃん。インカレは負けないよ!!一緒に組める最後のリレー楽しもう。メリレになるか8継になるか分からないけど、最後の瞬間までよろしくね。


心成
見ている人の心を揺さぶるレースが出来るのは心成のすごいところだと思う。私もあんなレース出来るように頑張ろうってひそかに目標にしてた。あと優しさが分かりづらいよ(笑) 大1の時、体調悪い中無理やり練習来てた私に対して、「帰れば?」って心成が言ったの冷たく聞こえるけど実は優しさなんだよね~!知ってるよ。気づいてくれるのすごいなって思った。内に秘めた闘争心と負けず嫌い度は同期で1番だと思う。最初で最後のインカレ、関カレみたいに緊張して寝れなかったら言ってね。インカレ一緒に楽しもうね。


友貴
入部は2年生の4月からだったけど、1年生のGWで体験来た時に出会ってるから他の同期と変わらんくらい年月過ごしたよね。どうしても同期になって欲しくて一緒に水泳やりたくて、あの時はめちゃくちゃに勧誘してごめんね。約2年のブランクがあったのにも関わらず、体育会水泳部で水泳やる覚悟決めた友貴は本当にすごい。友貴のおかげで入るようになった後輩もいて、途中から入部する前例を作ってくれたことで今の水泳部があると思う。同期の中でも大人びてて、俯瞰して物事見れるところ尊敬する。相談いっぱい乗ってくれてありがとう。同期になれて良かった。


修一
頭脳明晰、冷静沈着、計画性抜群で自分に無いもの全部持ってる人だった。加えて人と話すのも上手で、修一いるだけで場の盛り上がり方が違うから凄いなぁって思ってた。それなのに全然自分のことは話そうとしてくれなくてちょっと寂しかったよ。練習楽しくなさそうにしてた時期は本当に心配だった。そのくせ強がりすぎ(笑)だからこそラストブログ超良かった。修一こんなこと思ってたんだって。インカレ後の同期飲みでいっぱい話せたら嬉しいな。あと関係ないけどドライヤー1年の最初から借りパクしてごめん(笑)ちゃんと覚えてます。返します。


響生
気遣いが女子。もちろん褒めてる。同期の中のバランサーの役割を果たしてた。言葉で後輩に伝えたい女子と、背中で見せたい男子の間を取り持ってくれたのは常に響生だったと思う。響生がいないと成り立ってなかった。本当にありがとう。響生自身は「早く水泳やめたいなー(笑)」って大学入学直後から諦めたように言ってたのに、ここ数ヶ月の練習は、とても辞めたいと思ってる人の練習だと思えなかった。後輩巻き込んで盛り上げて、モチベーション上げれるところ、すごいなっていつも思ってるよ。1年生から変わらず、悪ふざけとか変顔でたくさん笑わせてくれてありがとう。


慈瑛
もう頭が上がらない。水泳人生で1番きつい時に支えてくれてありがとう。本当に助けられたし、冗談抜きで水泳続けられたのは慈瑛のおかげだと思う。たくさん迷惑かけてごめんね。ごめんばっかり言いたくないからありがとういっぱい言うね。水泳部でやりたいこととやらなくちゃいけないことのギャップで潰れそうになったこともあったかもしれないけど、堪えて、耐えて、続けてくれてありがとう。ここまで成長させてくれてありがとう。おかげで結構頼り甲斐ある選手になったと思わない??話変わるけど練習の時タイム聞き取れなかったのを表情から察してもう一回言ってくれるのかなり嬉しかった。(笑)選手のベストを泣くほど喜んでくれるくらい人が良すぎる慈瑛。感謝しかありません。
最後ベスト出すから見てて。


結生
1.2年生の時には「俺は俺のやるべきことやる。やらん奴は知らん。」って言ってたのに、主将になってから、周りのことたくさん気にかけるようになって、不器用ながらも後輩にたくさん声掛けてて、本当にすごいと思った。
これがインカレ優勝を目指す人の姿だと、堂々と背中を見せれるかっこいい主将。有無を言わさない圧倒的な結果で部員を引っ張っていくこと。これは誰でもできることじゃなくて、結生にしかできないことだと思う。それを1年間全うしてくれた。後輩だけじゃなくて、同期である私たちも結生の姿見て頑張れてた。今まで見てきた主将の先輩たちはもちろん凄かったけど、結生は成長面でも競技面でも歴代を超えるくらいすごいと思う!私たちの誇りの主将です。


自分の生活を犠牲にしてまで4年間選手のために、水泳部のために動いてくれてありがとう。選手の前で弱音吐いたり、マイナス発言してるところほとんど見たことなかった。それが本当にすごいし心強かったよ。女子選手よりメンタル強いかもしれん。結構好き勝手やる選手たちだったから、柚の意見をぐっと抑えることも多かったかもしれないけど、耐えて続けてくれてありがとう。私もOWS出たいとか帯同してとかわがまま放題で苦労したと思う。ごめんね。どれだけ自分の仕事で手いっぱいで余裕がなくても、それを表に出さない強さを尊敬してます。いつだってポジティブ発言で励ましてくれる柚、人に寄り添った優しい言葉を掛けられるところが好き。だいすき。最後のレースまでよろしくね。







たまらなく不器用




それでいて優しい 最高の同期。




愛しています。