漂流教室を読み直す③ | 生きてる缶詰

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楳図かずお著 「漂流教室」(1972年~1974年)
 
軍神、池垣君について
彼は絶対はずせないキャラクターの一人。
 
イメージ 1
 
 

未来の砂漠で何故か巨大怪虫が出現!!
校舎に侵入してきた怪虫から3階の全生徒を守る為、3階の防火シャッターを閉じさせ
ここでくい止めよう、と斧一つで白兵戦に挑む池垣君たちであったが、、、、
なんと悲惨な別れ。号泣する翔に感情移入してしまう。
翔たちが泣く場面はやたら多いが、この場面だけは問答無用にクル。
本作では仲田君や美川さん等のような特攻死が幾つかある。
 

当時までの漫画・劇画というのは過激な表現が多かった。僕ら子供もそれを感動と呼んでた。
ずっと後の方で、関谷が軍的教練で仕込んだ特攻隊が無駄死にする場面も描かれるが
これはアンチテーゼとしての表現だから別枠ですが。
ところがこの1970年代の末にもなると、例えば「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストに対し
各メディアがその特攻死を否定する論調になっていきます。
時代で意識はどんどん変わる。
現2010年代の人権意識も10年経てばまた奇異な目で見られるでしょう。
未来はどんな漫画が描かれるでしょう。
その時自分が先入観で凝り固まってなければ良いなとは想いますが。

それはそれとして
この物語の終結後、全人類は大和小学校の数百名しかいないわけで。
彼らが救援物資のお蔭で生き延び、農耕に成功し、子孫を増やし続け、数百年~数千年経ったら、、、
「大和小学校国」の歴史を編纂する者は、宇宙船の残骸をオーパーツと称し、母の手紙を大和国最古の文献とし、翔たちが残した記録を大和書記と称し、池垣君の墓を前記の伝説と結び付け「池垣神社」と称するか。
歴史ってそんなものかもしれません。

おぉ漫画脳www
 
 
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※今回再読にあたって「えんぴつ、えんぴつ」と念じる場面が無いなぁ、、、と思って探してしまった。触覚で人間の思考を読み取り攻撃してくる怪虫に対し、椅子に成りきる場面はあったけど、、、あれ?
検索してみるとそれは同じく楳図センセが描いた「ウルトラマン漫画版」のザラブ星人の回でした。ハヤタ隊員にフラッシュビームを渡すとき、思考を読みとるザラブ星人を攪乱するため「えんぴつを渡さなきゃ、えんぴつ、えんぴつ」と念じたわけですか、、、
子供の頃どっかで両方読んでたんですかね。混同してたw
そういや仲田君の描いた絵→怪虫  亡くなった子の描いた怪獣の絵→カバドンとか
ペスト事件のミイラ  ドドンゴの飼い主のミイラとか
使い回しって結構あるな
 
 
 
                続く