[ロリ・マドンナ戦争] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

力道の映画ブログ&小説・シナリオ

映画ブログです。特に70年代の映画をテーマで特集しています。また自作の小説、シナリオもアップしています。

リチャード・C・サラファン監督。スー・グラフトン原作・脚本。ロドニー・カー=スミス脚本。フィリップ・H・ラズロップ撮影。ブレッド・マイロー音楽。73年、アメリカ映画。


スカパー、シネフィルWOW W OWの録画にて鑑賞。


アメリカン・ニューシネマの代表監督の一人[バニシング・ポイント]のリチャード・C・サラファン監督作品で、凄まじい映画だった。この映画が公開された当時、サム・ペキンパー監督の暴力描写が話題になったが、この映画は土地の利権を巡り、隣り合わせの家族が骨肉の争いを繰り広げる映画であり、キャストも豪華。あまりに描写が過激だったから、ソフト化されなかっだのだろう。オンデマンドで販売されたことで今回、貴重な放送だった。


映画は架空の女性ロリマドンナに間違えられたルーニー・ジル(ジーズン・ヒューブリー)を置くことで、二つの家族の無限地獄の体感者としている。そして彼女が恋心を抱くことになるフェザー家のザップ(ジェフ・ブリッジス)と恋に落ちたことで、彼の過去が明らかになるに連れ、幸福だった家庭の崩壊と争いの原点がわかってくる。


テネシー州山間地帯。レイバン・フェザー(ロッド・スタイガー)とパップ・ガットシャル(ロバート・ライアン)は、両家の間にある牧草地帯の所有をめぐって対立していた。牧草地は元はレイバンのものだったが、税金の滞納から競売に付され、パップが落札した。だから法律上はパップの土地になのだが、国家の権力を認めないフェザーは、自分の土地だと主張した。ある日、パップの次男ルーディー(キール・マーティン)は、父パップに、以前フェザーに奪われた豚を取り返せと命令され、ロリ・マドンナという架空の女を作り、ルーディーと結婚のため、バスで8時半に着く。迎えを待つとしたためたロリ・マドンナ差し出しの葉書をフェザー家の郵便受けに入れておき、フェザー一家がそのトリックにひっかかったそのすきに豚を取り返すという作戦だ。計画は見事成功したが、フェザーの家の長男スラッシュ(スコット・ウィルソン)と3男ホーク(エド・ローター)は本当にメンフィスに向かう1人の少女ルーニー・ジル(シーズン・ヒューブリー)をバス停から連れ帰ったのだ。ルーニーは両家に何の関係もない通りすがりの少女だった。しかしフェザーは、ルーニーをロリ・マドンナだと信じて疑わない。パップはじめガットシャルの人々は何の関わりもない少女を巻き添えにした責任を感じ、何とかしなければ、と考えた。フェザー家の次男スカイラー(ティモシー・スコット)とガットシャル家の末娘シスター・E(ジョーン・グッドフェロー)は愛し合っており、ゆくゆくは結婚することになっていたのたか、ある夜、シスター・Eは牧草地を抜けてスカイラーに会いに出かけたが、その途中、スラッシュとホークにつかまって強姦されてしまう。またルーニーの面倒をみていたザップ(ジェフ・ブリッジス)に惹かれていくルーニーは彼の妻の悲劇を知ることになり…。


親の骨髄の恨みと若い世代には明らかに温度差があるのだが、アメリカ特有のレイバン、バップの過激な態度はそれぞれの夫人にまで波及し、子供達は家長の横暴にも反対はできない。本来ならば、ここまで争いが発展すれば、警察が介入するのが当たり前だが、それをさせないあたりが、サラファンらしい過激さだ。無限地獄になったベトナム戦争がアメリカ家庭に及ぼした影響を感じられる。ザップは招集令状を無視しており、父親はその招集にきた人間を銃で追い返したこともわかってくる。暴力が暴力を生む、無限地獄に加えて、警察という国家権力を一切無視するあたりが、反体制的なニューシネマの精神を感じさせる映画になっていた。


あまりに描写が過激なためにお薦めできる映画ではないが、貴重な放送であることに変わりはない。


リチャード・C・サラファン。[バニシング・ポイント]