[一人息子] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

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小津安二郎感。ジェームス槇原作。池田忠雄、荒田正男脚本。杉本正二郎撮影。伊藤宣二音楽。36年、松竹キネマ配給。


スカパー衛星劇場の録画にて、フィルムセンター以来の鑑賞。小津安二郎初のトーキー作品であり、[マダムと女房]で開発された『土橋式トーキー』ではなく、小津のキャメラマン茂原英雄による『茂原式トーキー』を採用、茂原は録音技師として参加している。フィルムセンターで観たときも思ったが保存状態が悪い部分もあり、音声は聞き取りづらい。母親の子供に対する期待と、東京という都会に対する希望と厳しい現実の対比が浮き彫りにされた味わいのある作品。キネマ旬報ベストテン4位。



1923年の信州、製糸工場で女工の、おつね(飯田蝶子)は大久保先生(笠智衆)から息子の良助(葉山正雄)の中学校進学について話を聴かされる。余裕はないが、良助の強い思いに負けて、中学進学と上京を許す。


1935年の信州、おつねは息子からの就職したとの連絡をうけ、翌春には上京したいと考える。


1936年の東京、上京したおつねは場末の一軒家で妻杉子(坪内美子)と子供一人で暮らす良助(日守新一)を見て幻滅する。良助の職業は夜学の教師、良助の小学校時代の担任だった大久保先生も上京して寂れたトンカツ屋をやっていた。良助は東京での生活の困難を訴える。おつねはその不甲斐なさを責め涙するが、翌日、貧しい隣家の息子富坊(突貫小僧)が大ケガをして、良助が入院費をあげる姿を見て誇りに思い…。


成長した息子良助を演じた日守新一は後に黒澤明監督の[生きる]で、唯一亡くなった渡辺勘治(志村喬)の功績を訴える市役所の職員を演じているので、ご存知の方も多いと思う。じっと我慢している本作のような役はハマり役。母親おつね役の飯田蝶子はこの時代、[出来ごころ]でも母親を演じている小津作品の常連。老け役の多い笠智衆はこの映画では年相応の役を演じている。


貴重なのは、上野駅に母親を乗せて到着するSL。無理しているらしいタクシーの窓から見える永代橋。市営トロリーバスのパンタグラフの架線が見える。まだ荒涼とした深川枝川町、良助が説明する東京市のゴミ焼き場。そして、映画は[未完成交響楽]を見せて、これがトーキーだと説明している。昭和11年、2.26事件が起こった年であり、東京も不穏な雰囲気の中で、職や生活もまだ不安定だったのだろう。良助は市役所を辞めて夜学の教師をしているのだが、その理由は明示されない。いずれにせよ、学問をすれば立身出世は夢ではないということが現実では、思うようにいかないことを映画は提示してくる。


母親は息子を叱咤激励するが、後半の出来事で見方を変えていく。現実の厳しさを提示しながらも、人間の在り方とまだ取り巻く人々の繋がりを内包させた深みのある家族ドラマに仕上がっていた。


小津安二郎。[東京物語]など。