[海峡] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

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森谷司郎監督・脚本。岩川隆原作。井出俊郎脚本。木村大作撮影。南こうせつ音楽。81年、東宝。

追悼、高倉健。その3。

スカパー日本映画専門チャンネルの録画にて鑑賞。東宝創立50周年記念作品であり、オールスターで青函トンネル完成までに関わった人達のドラマを描く。

昭和二十九年、青函トンネル技術調査団の阿久津剛(高倉健)が調査を開始した直後、青函連絡船「洞爺丸」が転覆し、大量の遭難者が出た。阿久津は冬の竜飛岬で牧村多恵(吉永小百合)という女を救った。彼女は福井の旅館で、不注意から出火を招き泊り客を死なせた暗い過去があった。阿久津に救われ、飲み屋の女将おれん(伊佐山ひろ子)に預けられた夜、おれんの出産に立ち会った多恵は一人の生命を誕生させたことで生きる勇気を取り戻し、その赤ん坊は、阿久津によって峡子と名付けられる。青函トンネルは技術的に可能と中央に答申した三十二年から、阿久津は明石海峡調査の辞令が下り津軽海峡に心を残しながらも、故郷の岡山に戻った。その間、阿久津は佳代子(大谷直子)をめとり、修をもうけた。昭和三十九年、日本鉄建公団が発足し、青函トンネル工事に本腰が入り、阿久津は再び青森に向う。所長、浜口圭介以下、二十五名のトンネル男が函館に集結した。阿久津はまず人集めに取りかかり、トンネル掘りのベテラン、岸田源助(森繁久彌)を口説いた。いくつもの難工事を手がけた源助が参加すれば、彼を慕うトンネル男たちが追いて来る。源助は申し出を受けた。四十一年から調査斜坑掘削が開始され、公団第一期生の募集に成瀬仙太(三浦友和)が応募してきた。仙太は、母の腕に抱かれ洞爺丸から浜に打ち上げられ、その時、両親を失っていた。竜飛に、源肋、阿久津、仙太の三代の男が集まり工事は開始されるが…。

映画は青函連絡船洞爺丸の転覆事故をモノクロームで描き、生き残りの少年仙太の存在を提示し、後半のドラマに繋げていく。
青函トンネルにかけた阿久津の熱意と苦闘を描きながら、それを見守る妻佳代子と彼を慕う多恵の女達のドラマも盛り込んでいく。燻銀のようにトンネル男達を支える源助。森繁久彌がベテランの存在感を見せる。ただ映画的には単調で面白い作品ではなく、実際キネ旬のベストテンでは38位に終わっている。青森ねぶた祭と対比して描かれる沢山の犠牲者を出しながら、完成にこぎつける壮絶な男達のドラマも見せるし、木村大作撮影による美しく厳しい情景。初の映画音楽を南こうせつが担当、見所が多かっただけに残念な作品ではある。

DVDはレンタルにあります。

森谷司郎。[八甲田山][日本沈没]。