ロベール・ブレッソン監督・脚本。ジョルジ・ベルアノス原作。レオンス=アンリ・ビュレル撮影。ジャン=ジャック・グリューネンウ゛ァル音楽。50、フランス映画。未公開。
たまたまレンタルにあったので、[スリ]に続いて鑑賞、かって黒澤明の[生きる]を見た後に胃が痛くなったことがあったが、本作はそれ以上。それは、ストイックなまでに、全ての虚飾を廃したブレッソンの伶利な視線による。人間の突き詰めが痛い程に伝わるからなのだ。
ブレッソン自身が運命予定説と自殺肯定が特徴のジャンセニズムと言われるキリスト教の異端の信徒らしい。だが、ベルイマンのように神の不在を説くのではなく。若き神父にキリストを謎らえながら、全て己の無力に還元して表現していく、まさに孤高の映画詩人と言われるだけのストイックぶりだ。俳優も名前の通らない役者を使い、作劇をさせない。日記を独白ですすめ、あまりにリアルに司祭の苦悩ぶりが、まるで実際の出来事のように伝わる。
物語。北フランスの寒村・アップソクールに新しい若き司祭(クロード・レデュ)が着任する。しかし、村人達は彼に心を開こうとせず、淡々と務めを果たすだけの彼は、村の中で孤立していく。やってきた時にすでに病だった彼は、現状に苦しみワインに溺れ、益々悪化、イメージも悪くなる。
悩みを聞いていた領主、伯爵家の悪魔と呼ばれる娘は、自分な寄宿舎に入れられる、母を殺したい等と告白。その母親は早くして亡くした息子の影を今だに引きずっていた。
司祭の訓辞をまったく聞かなかった夫人だが、少しずつ心を開き始める。しかし、周囲はよからぬ噂が立つ。司祭は、自身の存在と信仰の意味にすら疑問を感じて、先輩のトロシー司祭に紹介された医者にかかるが、彼も突然、病死。
さらに幸せだと手紙をくれた伯爵夫人までが自殺。
伯爵にも娘にも疎まれた司祭は、血を吐き、療養の旅に出るが…。
ブレッソンは日記に合わせて、ドラマを進め、フェードアウト、ディゾルウ゛(画面が出てくる)を一定のリズムで刻む。時の流れはオーバーラップ。一貫した編集方法で感情移入を避ける。まるで、ドキュメントのように。
僕はカトリックのことがわからないので、この司祭の置かれた立場は、もっと厳しい物なのだろう。
誰も指摘していないが、この映画の発端は実は、日本等にも見られる封建的な村社会における差別に起因しており、それはもはやイジメのレベルと言っていい。何せ司祭が教える教室の幼い少女にまで、疎まれるのだから。
徹底した現実描写の凄まじさは、最早、執念の映像になり、見る側の心を突き刺す。けっして、面白い映画ではない。だが避けては通れない作品だ。
ブレッソン。もっと注目されるべき、映像作家だ!