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rikeyaのブログ

ウェブ、本、仕事、技術とのつきあい方等をテーマにしたブログです。(忍)

コンシュマーレベルの画質とお手軽な制作費でフットワークよく作った映像の番組が見たい……と思っていたら、「ROCKETBOOM」を発見。アーカイブのフォルダ名が「vlog」だというのも、なるほど。
htmlのつくりは、まるでwiredのチュートリアルのようにシンプルで、……ついでにビデオの画面切り替えも、imovieのチュートリアルのようなんだが……噂によれば作り手はプロらしい。ただこの場合は実際にプロであっても、映画の文法といったソフトウェア制作のノウハウは、この際述べるが負け、という気持ちにはさせられる。
先日ご紹介した「YOU TUBE」のうたい文句「Broadcast yourself」にちなんでいえば、これは文字通りの「Broadcast myself」。さっそくお気に入りに入れておこうっと。(忍)
ユーミン松任谷由実の新曲をビデオクリップで観た。往年のヒット曲を思わせるなつかしいフレーズが随所に盛り込まれていて、「Still Crazy For You」のタイトル通り「やっぱりユーミン」と納得させられそう。クレイジーキャッツ&YUMINGのクレジットで歌はユーミンと谷啓のデュオ。

映像はディズニーのSWEETな“猫もの”風(なんでしたっけ?)で、街を歩くヒロイン猫(ユーミン)と、谷啓にそっくりのおじさん猫が登場、なつかしい雰囲気いっぱいに、猫たちはクレイジーキャッツがリハをしているジャズクラブへ。

そして植木等猫の誘いに「あなた誰?」とヒロイン猫は訊ねるのだが、その声は、見知らぬ次の世代であってほしかったかも。ユーミンが植木等猫を知らないっていうのもヘンだしね。

ちなみに曲名をGoogleで検索かけると中国語サイトが8位にランクイン。その「中国」って香港?それとも北京? 世界は広いな大きいな、なのである。(忍)
「ユーモア」と「センス」は、あるかと聞かれて答えにくく「訊くのもどうかと思う」ものの筆頭株主である。Get a sense of humor.
サイトリニューアルのメンテナンス期間に、ハッキングされたような冗談メッセージを流したという、ビデオサイト「YOU TUBE」。その後の種明かしが「Get a sense of humor.」だったのだそう。ニュースはこちら。「YOU TUBE」、私はたしかロシアのフィギュアスケート選手・エフゲニー・ プルシェンコのライブ映像をきっかけに知ったのだったと思う。なにしろキャッチフレーズは「Broadcast yourself」。GyaO(ギャオ)と違ってとってもインターネット的に見える。ビデオ配信サイトとしてはこのほかヤフー、Google、AOL等がある。

ところで「YOU TUBE」リニューアルのポイントは、要するにマイページ機能だったようだ。マイページが、厚い財布のクレジットカードみたいに、あふれてきた感。
パソコンテレビ GyaO[ギャオ]
。無料でいったいどんな番組を見ることができるのか、と思ってしまうが、Charのライブがあったり、「四川省」(麻雀ゲーム!)があったりとかなり豊富。しかもそれら音楽なりゲームなりといったカテゴリーごとにレッスンもの、ダイジェストもの、といった映像=番組が必要ならばナビしてくれて、さらに関連する商品情報(CDとか)があり、売れ筋ランキングがあり、新着情報にニュースがあり、といくらでも広がるしかけが、技術的にもしっかりつくられていて快適。

アダルト系ももっと多いかと思ったけれど、ふつうにお茶の間における小窓という感じ=コモディティ感抜群で、ネットなのにすごくテレビを感じさせる。

テレビがインタラクティブである必要は、こうなると別になかったのかも、という気がしたのは、マイページならぬ「MyGyaO」上のカスタマイズがあるから。このカスタマイズを活用して、ウィンドウサイズをテレビ画面サイズにまで下げ、カスタマイズ済みのボタン類をコンパクト化した画面内に表示できるようにすれば、非常に小さい端末で連れ歩くこともできそう。しかし、そういったハードから攻めるのではなく、動画を切り口にソフトウェアや情報を並べるアイデアをいっぱい提示してくれているのが、期待感大。
携帯端末のVodafone「905SH」のフォトレポートがCNET Japanに掲載された。テレビみたいなマスメディアがこれで見られる。私の印象では、「テレビが見られる」という機能特長は、常に商品特長の第1位である。実際、今年4月1日の放送開始からテレビとほとんど同じものが放送されているらしい。
ワンセグって何? と思ったら、おすすめは「IT用語事典」。放送帯域に関する用語だが、ワンセグだということが、身近にどう結果するかというと、画面がQVGA(320×240ピクセル)サイズということになろうか。デジカメが10万円台の頃の画質という感じかな。静止画はJPEG、GIF、アニメーションGIFということは、ブログのポスト対象とほぼイコール。つまりハードウェア的には、しろーとがすでに使いこなしている技術的レベルってこと。それがスライドしたれっきとしたマスメディア。ちなみに映像符号化はH.264(MPEG-4 AVC)、音声符号化はAAC LCという仕様だそう。さあ、これでどんなソフトウェアが見たいかな?(素)
20060601

「ヤバい経済学」をついつい読んでしまう。(元は土井さんのrecomendで購入。その後なんと「R25」でド推薦されてた。やれやれ)

仕事場に出ると、誘因(インセンティティブ)ばかりだ。いやその「ヤバい経済学」のキーワードが、誘因(インセンティティブ)なのである。経済現象は、当事者の心理がこっちのほうが有利、おいしいという向きに引っ張られつつ出現する。人生おいしければよし……とは言え、世の中的にこうすればうまく行くということと、本当に自分がやりたいこととは常にわずかにずれがある。そのベクトル合わせを正確にしたいと思うときに、誘因の多い環境は不向きなのである。

だからもう人の見た目を含めた社内的な帳尻合わせはいいから、実質前へ進みたいという時、朝のスタバが魅力的なのだ。誰もいないから評価もされないしね。コツコツ前へ……っと。
Newton日本版が創刊25周年300号記念で量子の特集を組んだ。7月号なので、中身はお楽しみにだが、アインシュタインにひっかけであるようだ。科学をおもしろがってもらうためのフックとしての「アインシュタイン」の強さを、再認識させられる。

だがニュートン(ってこれは雑誌のでなく、アイザックのほう)が最高の栄誉を受けて「巨人の肩に乗って」(偉大なる学問の蓄積の上にこそ私の研究は成り立っている)と謙虚さを示した例に倣えば、アインシュタインは「ニュートンの肩」に、そして現代の量子論は「アインシュタインの肩に乗って」というような時代のなかに、われわれはいる(私も別途量子のコンテンツを担当している関係で、最近知ったのですが)。現代の科学は、なんでもかんでも天才アインシュタインだのみ、という状況にはすでにないようなのである。

では、どうしたら量子を楽しんでもらえるのか……。という要するにそこが問題なのであるが、そのためにもまず、量子への“アテンション”があがってこないと。そこでニュートンの特集の動向に、つい注目してしまうのである。(忍)

20060530
銀ぴかの特色、中央線車内刷り!
自分が何かを気にしている、気になっている、ということは案外莫迦にならない。自分自身うすうす気づくか気づかない程度のことでも、自分のパフォーマンスを2割~4割ぐらい平気で割り引いてしまうものだ。
そうなると「気が利かない」は俄然優勢だが、とはいえ気が利かない奴になったり辞めたりというような自由度はふつう、ない。
もう実にあらゆることが阻害要因になる。雨が降りそうだとか、指がかゆいとか、隣の席の人の癖だとか、5分おきに鳴る電話とか。

しかしもう一歩引いて、これらを「誘因」と捉えると、少し気が楽になる。自分の「気」がアミをかけてしまったものからは、そうそう逃れられない。それもインクルードで、それも与えられた環境というわけで、その少し広がったアミの中でのベストを探すものなのである。そのように私をひっぱったものが「誘因」である。助けたカメに連れられて、である。そのような境遇になったことが果たしていいことなのか、わるいことなのか、にわかにはわからない。

プロにはそういう余裕はふつう、ない。「誘因」さえも自らの意志のコントロール下へ置くこと。現在治療中のメジャーリーガーの松井秀喜選手は以前テレビ番組で、「自分でコントロールできないことは、無視します」とごく軽く言っていた。そう、そしてコントロールできないことは無視すること。すると、「誘因」は視界から消える。原理的にはそのはずだ。

少しでも減速すれば、それだけ遅れる、ひるむ。その一方で、高い集中力を持って立ち止まるのも難しいなあ、と最近思う。(忍)
実は初めて行った。
兜町への地下鉄でのアクセスは日本橋、茅場町、水天宮前などいろいろあって、私は東西線の茅場町から行った。地上へ出るとまずライブドア証券。それは序の口で、証券取引所の方角へ進めば進むほど、ビル看板には軒並み「証券」と書いてある。

歩いている人も、それが兜町の人間か、外部の人間かはすぐにわかるらしい。なんとなく年齢的にも中堅な層をイメージしていたが、若いビジネスマンもたくさんいて、彼らはファッションといい、どちらかというと渋谷系の活気を持っている。山から下りた水が覆水して、意外なところで泉となって湧き出るように、渋谷・六本木はこんなところに水脈を持っているのか……などと思ってしまった。

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ふとみると、これが東京証券取引所。

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2000年にウォール街のニューヨーク証券取引所を見たが、東京証券取引所の横にある道の雰囲気はなんとなくウォール街に似ていなくもない。

兜町の人々から見れば私は外部の人間そのもの。ついでに報道用定番Nikonまでぶらさげていたので、違和感も充実。警備員の人に道を聞くと(一応用があって行ったので)、それは旧社屋で、現在はこちらに移転している、と歴史的な道案内をくださった。

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しかし住居表示って、住居のようなものは特にみあたりませんけど。
平日夕方だったので、特に喧騒もなく、お堀端、下町の感じもあり。築地ツアーよりももっともの珍しい感慨を憶えて、帰りもやっぱり東西線で帰りました。。。(忍)
アンパンマンというキャラクターのストーリーはアナーキー(首をすげ替えたり、せっかく擬人化したはずのあんパンを食べてしまったりする)すぎて、大人である私には若干ついていけないのだが、コドモには根強い人気がある。
もし1つ「月齢の小さい時に出逢ったコドモほどこのキャラクターを好く」と仮定させてもらえるなら、アンパンマンの人気の秘密は、非常に本能的、生理的なものと関係しているように思う。

赤ん坊は、自らの生命線である、保護してくれる者の「顔」をまず認識する、らしい。続いて経験的に、食欲なんか旺盛でない赤ん坊も、食べ物にたいへん興味をもつ。それは興味というようなものではなく、特別な親しみのようなものだ。まるで親戚のように食べ物を他と隔てて特別扱いする。コドモがかなり大きくなるまでものを拾って食べてしまうのも、人間の中の古い皮質が引き起こしているとしか思えない(空腹だという状況そのものがなく、わざわざ拾って食べる必然性など全くない)。

アンパンマンはこの“顔”と“食べ物”の理想的な組み合わせなのである。

さらに、赤ん坊は最初うまくしゃべれない。ところがアンパンマンは、最初に発音するコトバの例である「まま」「ぱぱ」にも似た、「ア」を中心に構成されており、小さい子が発音するのにも理想的なのだ。赤ん坊にとって自分が呼ぶことができるものは、最初は少なく、とても身近な、親しいものばかりだ。かくして、アンパンマンは月齢の小さい時点から自分の親しいものの一部となって、成長していくことになるのではないか。