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rikeyaのブログ

ウェブ、本、仕事、技術とのつきあい方等をテーマにしたブログです。(忍)

web2.0のカンファレンスが行われたとのことで、いろんなところで紹介された。一例は「メディア・パブ」。ウェブの可能性へ向けてのアイデアを出そろわせ、お互いの進捗を測り、実用の見込みを立てる。ただ日本にいると、ニュースで言われるほどには、それがすぐに現実になるような気はしない。オープン化はあまり進まない気がするし、「法人ビジネス」という枠組みは堅牢だし、手に取れるころには面白がる余地はなくなっていることも多い。このような機会に描かれた未来のエリアを大枠にして、その中でケモノ道のように通りのいいところが轍となり、金と情報の流れる回路を形成していく。
というか、なんかわくわくしない。webアプリケーションと言ってしまえば、それで終わりという気がしてしまう。(失)
ふと、自分のスケジュールを確認しようとして、クリアフォルダーを探す手つきで、MS Explorerの新規ウィンドウを開き、ネットを検索しようとしてしまった。
もちろん、個人用スケジューラなどを、ネット上で提供されているサービスで行っている場合もあるだろうが、私はそのケースにはない。単に、自分のことすらもネットで検索すればわかると単純に思ってしまったのだ。私についての情報も、……そりゃもちろん最初は自分で入力するわけだが……自分がさまざまなサービスの登録のために入力したものを、自分がなにかの許可を与えることで(できれば入力時にラジオボタンがあればスムーズだ)、どこかのサーバで編集され、自分のプロフィールだとか、ネット歴だとかが簡単に取り出せる……としたら、これはたいへん有力な履歴書だ。このシステムは本人の承認の元に行われ、本人のみが所有する合法なものだが、データは公に存在し、本人が許可すれば特定の相手に一定期間公開することも可能とする。例えば、就職活動で企業に対して提出する書類として使ったりということが考えられる。大学なども参加すれば、学歴詐称もなし。今だって既に、ブログのプロフィールなどで、自分をアピールする機会は増えているし、プロフィールのように更新頻度が低いものであれば、ロボットに駆け回ってもらえばすぐできそう。

見方を変えれば、ロボットたちは、ソフトウェアとして、人間社会にもう不可欠な存在になっていたのだ。見方、とはロボットをキーワードに、という見方だが。(忍)

私は昔からテレビ・ラジオを視聴する習慣がなく、たとえばゲゲゲの鬼太郎*を一度も見た記憶がないほどだ。(*ある年代にはポピュラーであったアニメ番組です)にかかわらず、最近、やっぱりテレビ的なものは(インターネットを通じて)復活するだろうと思えてきた。昔よく一般大衆といわれたもの、つまり最大公約数のパイをとるには、スイッチを入れるだけで、耳にも目にもどんどん与えてくれるものが向いている。マルチメディアで、フルカラーで、予算大で、タイムリーでニュースで、そういう意味で究極のサービスを体現している、素敵なもの。じゃあそれをインターネットで見るにはどうするのか、という壁は、たとえば仮にパソコンの世帯所有率がテレビより上であったら、簡単にいくのかどうなのか。(続)
話はwebアプリケーションに限ってだが、プログラムで稼いでいくのは、仕事こそあるものの、なかなか大変だと思う。またちょっとした機能を思いついて道具立てもわかっていても素人が書き始めると、なにしろ時間のかかること、これはバカにならない。webアプリなら仕事の上がりはすぐに確認できるから、発注者とプログラマが集うポータルのようなものを発想してみた。

プログラマの方は、仕事をしたいと思った時にパソコンに向かう。あるのは「(納品までに)5時間以内500円」「2日以内1000円」などの発注リストだ。1分でできそうなものもあれば、クソめんどくさそうなものもある。自分が得意なものをどんどん選んで、会員キーで制作に必要な情報をダウンロードし、その場で作業して結果をアップする。クライアントは仕上がりが放り込まれたとの通知を受けて、自分のポストにアクセスし、プログラムをダウンロード。受注者・発注者双方が相手の対応を評価して仕事は終了だ。会計はアマゾンのようにポータルが処理してくれる。

Web仕事の場合、受発注者の間に入る人に予算が回せるケースが減ってきた。といってプロジェクトの管理者の権限もそれほど大きくない。それならばいっそ間を抜かして、アンチ・トータルな発注をかけるのが面白いかもしれない。現実にはクライアントのご担当者、プログラマの方の対応もまちまちなので、それが評価されることもなかなか痛快であり、両者の質を向上させてくれるに違いない。(歩)
駅張りポスターなどのビジュアルに、サイトやブログでよく用いられるアイテムをわざと使ったデザインを見かける。東電の「Switch」とか、中野駅前の商店街にある階段の踊り場には、マックのデスクトップ画面がそのままビジュアルになったポスターが貼ってある。逆にネット上では、紙媒体で培ってきたはずのノウハウはますます水に流されて、デザインは最近特に従来にはない方向を指向し始めた。ついでに「WYSWYG」のコンセプトも、やや過去へと後退する。そんなふうに入れ替わり立ち替わり私たちの目を楽しませてくれるのだと考えると、高速を背景とした高画質で、たとえばテクスチュア感いっぱいの折り紙を、画面上で折ってみたい。(余)
最近ソーシャルネットワーキングのmixiを始めた。参加する楽しさもあると同時に、各人用にカスタマイズ可能なトップページを持つグループウェアを使っているという印象もある。個人が常に手をかけてしまうような愛着が持て、インターネットにつながっているデスクトップ。こういう使い心地のバリエーションはいろいろ出てくるに違いない。たとえばデスクトップは紙と鉛筆で、つながる部分はskypeでとか。(薦)
サイバーエージェントとサイボウズがビジネス向けポータルを共同で運営していくとのニュース。現在稼動中のポータルはディレクトリ的なものだが、新しい展開になってくるに違いない。
電話というものはベルという人が発明し、現在も「ベル研究所」というものがある、と学校の英語の教科書で習った(と思う)。だが既に、子供心にも電話なんかたいしたことないと思うほど電話は日常化していた。ケータイもきっとそうなる、と期待していたけれども、なんとなく決定打がない。そこへソフトフォンのニュース。「VoIP技術によって、電話はIPネットワーク上で動作するソフトウェアの1つにすぎなくなってしまう」。そしてケータイで写真や動画がとれるようになる一方で、デジカメをソフトフォンとしても使える、という方向性もあるというから楽しみだ。(風)
プロのライターがwikiに誤植だらけの記事を書き、たくさんの人たちの手によってよい原稿に直されたという記事を読んだ。プロかアマかという点では、先日、「百式」に載っていた、素人に好きな商品を好きに広告するサイト「ADCandy」に近い話かもしれない。
だが、私はwikiで「誤植辞典」とか「nowhere dictionary」とかそれこそ「百式辞典」などを作ってみたくなった。言論ではあるものの、ジャーナリズムではないもの。それどころか架空なもの。近頃すっかり、バーチャルの盛りが足りないという心境なのだ。(忍)
「Wikibooks」立ち上げのニュースを読んだ。幼稚園から大学レベルの教科書収集とオープンな利用を目指しているという。教科書の中身が「検索可能」であり、各国語で独自にリライトされた内容も比較可能であり、それが当たり前になる、としたらすごい。それとwikiはいままで項目で編集していくものだったから、「book」のようにリニアなものをどう扱うのか、wikiらしい手際を期待。(余)
インフォプレナーとして著名な方のメルマガで、HTMLでコツコツ更新なんてアホらしくてやっていられない、企業サイトでもMovable Typeで……という趣旨のことが書かれていた。こういう流れがあることを前提に、でどうしたら情報商材が成立するのか、というところにノウハウが詰まっているようだった。
ところで私の話。MT一世風靡だなどと思っていた2カ月ほど前、技術の方に“いや、Nucleusで”と言われて、その読み方もわからなかった。ネットでざっと調べてから高田馬場の芳林堂書店で調べてもらったら、Nucleusに関する一冊の本も出ていない。いろんな土俵があるにしても、やはり本の遅さは決定的だと思わされた。どのコツコツを選び、どの自動化を選ぶのか、技術と人のかけひきはいつもここにあるような気がしてしまう。(忍)