こんにちは、リカです。
「何か言わなきゃ」
その時の私は、
頭の中で何度もそう思っていました。
説明しなきゃ。
誤解を解かなきゃ。
私にも事情があったことを伝えなきゃ。
でも、
何ひとつ言葉が出てきませんでした。
目の前では、
相手が強い口調で私を責め続けていました。
私はただ、
「すみません」と繰り返していました。
その日は、朝から相手の機嫌が悪そうでした。
職場に着いた時から、
何となく空気が重いと感じていました。
机に物を置く音。
短い返事。
誰かに話しかけられた時の表情。
いつもと少し違う。
私はそう感じていました。
だから、
できるだけ目立たないように仕事をしていました。
余計なことを言わない。
確認は短く済ませる。
頼まれたことは早めに終わらせる。
相手の機嫌を損ねないように、
一日をやり過ごそうとしていたんです。
でも午後になって、
私が処理した仕事について呼ばれました。
最初は、普通の確認だと思っていました。
「これ、どういうこと?」
そう聞かれたので、
私は経緯を説明しようとしました。
その仕事は、
事前に別の人へ確認して進めたものでした。
私一人で、
勝手に判断したわけではありません。
ただ、
最終的な確認が足りなかった部分はありました。
だから私は、
そこを認めた上で説明しようと思いました。
「確認が足りなかった点は、すみません。ただ……」
そう言いかけた時でした。
「ただ、何?」
「また言い訳するの?」
相手の声が、
急に大きくなりました。
周りにいた人たちの手が、
一瞬止まったのが分かりました。
怒鳴られた瞬間、周りの音が遠くなりました。
相手は、
私の仕事の進め方について話していました。
でも途中から、
何を言われているのか分からなくなりました。
声は聞こえている。
言葉も聞き取れている。
なのに、
意味が頭に入ってこない。
耳の奥が、
詰まったような感じがしました。
周りの音が遠くなりました。
視界が狭くなったようにも感じました。
心臓だけが、
大きな音を立てていました。
何か言わなきゃ。
ちゃんと説明しなきゃ。
そう思うのに、
言葉が一つも浮かびませんでした。
頭の中が、
本当に真っ白になっていたんです。
口から出たのは「すみません」だけでした。
私は何度も謝りました。
「すみません」
「気をつけます」
「申し訳ありません」
本当は、
言いたいことがありました。
事前に確認していたこと。
指示の内容が途中で変わっていたこと。
私だけの判断ではなかったこと。
でも、
その場では何も言えませんでした。
相手の声が、
さらに大きくなることが怖かった。
周りの人に、
迷惑をかけることが怖かった。
これ以上、
目立つことが怖かった。
だから私は、
とにかく早く終わってほしいと思っていました。
自分の気持ちより、
その場を静かにすることを優先していたんです。
終わったあとも、身体は元に戻りませんでした。
話が終わり、
私は自分の席に戻りました。
でも、
仕事の画面を見ても内容が頭に入りませんでした。
手が少し震えていました。
肩に力が入っていました。
呼吸も浅いままでした。
隣の席の人が、
小さな声で「大丈夫?」と聞いてくれました。
私は笑って、
「大丈夫です」と答えました。
本当は、
全然大丈夫ではありませんでした。
でも、
泣いたらもっと迷惑をかける気がしました。
大げさだと思われるのも嫌でした。
だから何事もなかったように、
仕事を続けました。
家に帰ると、言葉が次々に浮かびました。
その場では何も言えなかったのに、
家に帰ると、言いたかったことが次々に浮かびました。
あれは私だけの責任ではなかった。
あんな言い方をされる必要はなかった。
人前で責めることではなかった。
どうして、
その時に言えなかったんだろう。
私はお風呂に入りながら、
何度も会話をやり直しました。
もし時間を戻せるなら、
今度はこう言おう。
落ち着いて説明しよう。
その言い方はやめてほしいと伝えよう。
一方的に責められる筋合いはないと言おう。
頭の中では、
いくらでも言葉が出てきました。
でも現実の私は、
何も言えずに謝っただけでした。
言えなかった自分が、情けなくて仕方ありませんでした。
その夜、
私は自分を責め続けました。
どうして固まってしまうんだろう。
どうして言い返せないんだろう。
どうしていつも、あとから悔しくなるんだろう。
もっと強い人なら、
その場で冷静に言えるはず。
もっと自信がある人なら、
一方的に謝ったりしないはず。
私は弱い。
私は臆病だ。
私は社会人として未熟だ。
そんな言葉を、
自分に向けていました。
相手に怒鳴られたことよりも、
何もできなかった自分の方が許せませんでした。
私は、その場で何も考えていなかったわけではありません。
あとになって、
少しずつ分かってきたことがあります。
あの時の私は、
考えることを放棄していたわけではありませんでした。
むしろ、
一度にたくさんのことを考えていました。
何を言えば怒られないか。
これ以上、声を大きくされないか。
周りの人はどう思っているか。
ここで泣いたらどうなるか。
反論したら関係が悪くならないか。
私は一瞬のうちに、
その場にある危険を全部避けようとしていました。
だから、
説明するための言葉に使える余裕が、
残っていなかったのかもしれません。
何も考えていなかったのではなく、
考えすぎるほど考えていたんです。
「言えなかった」ではなく「言える状態ではなかった」。
私は長い間、
あの時の自分を責めていました。
でも今は、
少し違う見方をしています。
私は言わなかったのではない。
言える状態ではなかった。
相手の大きな声。
険しい表情。
周囲の視線。
逃げられない空気。
そういうものを、
身体が危険だと感じ取っていたのかもしれません。
もちろん、
だから何も変えなくていいとは思いません。
これからも同じことが続けば、
私はまた傷ついてしまいます。
ただ、
自分を責めることから始めても、
私は余計に怖くなるだけでした。
必要だったのは、
「なぜ言えなかったの」と責めることではなく、
「あの時、私の中で何が起きていたの」と見ることでした。
怒鳴られた内容より、怒鳴られた空気が残っていました。
不思議なことに、
相手が何を言っていたのかは、
時間が経つと少しずつ曖昧になりました。
でも、
その時の空気だけは長く残りました。
声の大きさ。
眉間に寄ったしわ。
周りが静かになった瞬間。
自分の身体が固まった感覚。
それ以来、
相手の声が少し強くなるだけで緊張するようになりました。
名前を呼ばれるだけで、
また何か責められるのではないかと思いました。
まだ何も起きていないのに、
先に謝る準備をしていました。
私は言葉だけではなく、
その場にあった圧力ごと持ち帰っていたんです。
あの日から、人の機嫌を先回りするようになりました。
同じことを繰り返したくなくて、
私は相手の様子を細かく見るようになりました。
今日は機嫌がいいか。
声の調子はいつもと違わないか。
今、話しかけても大丈夫か。
何か頼まれる前に動く。
指摘される前に謝る。
不満を持たれる前に気を回す。
そうすれば、
怒鳴られずに済むと思っていました。
でも、
相手の機嫌を先回りするほど、
私は一日中緊張するようになりました。
何も起きていない時間まで、
安心できなくなっていたんです。
私が弱かったからではありませんでした。
今なら、
あの日の自分を少しだけ違う目で見られます。
私は弱かったわけではありません。
何も考えられない人だったわけでもありません。
仕事への責任感がなかったわけでもありません。
ただ、
相手の声。
周りの視線。
その場に流れていた緊張。
そういうものを、
一度に受け取りすぎていたんだと思います。
だから言葉が消えた。
だから身体が固まった。
だからその場を終わらせるために謝った。
もし今、あなたも、
強い口調で言われると頭が真っ白になる。
その場では謝ることしかできない。
家に帰ってから、言えなかった自分を責めてしまう。
そんな状態なら。
あなたに言葉が足りないからとは、
限りません。
あなたの身体が、
その場を危険だと感じているのかもしれません。
私も長い間、
すべて自分の弱さのせいだと思っていました。
でも、
言葉が消える前に何が起きていたのか。
怒鳴られたあと、何を持ち帰っていたのか。
そこを見直すことが、
私にとって最初のきっかけになりました。
あの日の私のように、
言えなかった自分を責め続けている人へ。
言葉を探す前に知っておきたかったことを、
ここに置いておきます。
必要になった時に、
そっと読んでみてください。