こんにちは、リカです。
「感じよく聞いていれば、場は荒れない」
昔の私は、
かなり本気でそう思っていました。
相手が不機嫌でも、
こちらまで険しい顔をしない。
愚痴を言われても、
途中で否定せずに最後まで聞く。
少し言い方がきつくても、
大人として笑顔で受け流す。
その方が、
人間関係はうまくいくと思っていたんです。
だから私は、
嫌な話をされても笑っていました。
納得していなくても、
「そうなんですね」と相槌を打っていました。
その場を悪くしないために、
できるだけ感じよく振る舞っていました。
でも、
私が笑顔で聞くほど、相手の話は少しずつ変わっていきました。
最初は軽い愚痴だったものが、
誰かへの悪口になり、
やがて私への皮肉や失礼な言葉まで混ざるようになったんです。
私は「聞き上手」になろうとしていました。
心理学やコミュニケーションについて学ぶと、
人の話を否定せずに聞くことの大切さが何度も出てきました。
相手の話を遮らない。
すぐに意見を言わない。
表情や相槌で、安心して話せる空気を作る。
私は、それを真面目に実践していました。
相手が話し始めたら、
身体を少し相手の方へ向ける。
目を見て、
途中で小さくうなずく。
内容に驚いても、
露骨に嫌な顔はしない。
傾聴の姿勢だけを見れば、
かなり優等生だったと思います。
何を聞かされていたかは、
あまり優等生向けではありませんでした。
最初は、ただの職場の愚痴でした。
ある人が、
仕事の合間によく私へ話しかけてきました。
最初は、
仕事が忙しいという話でした。
人手が足りない。
上司が分かってくれない。
周りの動きが遅い。
私にも分かる部分はありました。
だから、
「大変ですよね」
「それは疲れますね」
「忙しそうでしたもんね」
と返していました。
相手は、
私が聞くと少し機嫌が良くなりました。
話し終わったあと、
「リカさんは話しやすい」と言われたこともあります。
その時の私は、
少しうれしかったんです。
人の役に立てた気がしました。
信頼してもらえている気もしました。
だから、
次に話しかけられた時も同じように聞きました。
話の内容は、少しずつ強くなっていきました。
何度か話を聞くうちに、
内容が変わっていきました。
「あの人、本当に仕事できないよね」
「普通なら、あんなミスしないでしょ」
「見ているだけでイライラする」
最初は仕事への不満だったものが、
だんだん人そのものを否定する話になりました。
私は内心、
そこまで言わなくてもいいのではないかと思っていました。
でも、
急に表情を変えたら相手が気まずくなる。
正論で止めたら、
冷たいと思われるかもしれない。
だから私は、
少し困ったように笑いながら聞いていました。
賛成はしていない。
ただ否定しないだけ。
私の中では、
そのつもりでした。
でも相手から見れば、
笑ってうなずいてくれる人に見えていたのだと思います。
私は、嫌だと思っていることを顔に出しませんでした。
当時の私は、
嫌な顔をすることを失礼だと思っていました。
話を止めるのは冷たい。
反応を薄くするのは感じが悪い。
相手が話しているのに表情を変えるのは大人げない。
だから、
中では違和感があっても、外側は整えていました。
少し笑う。
適度にうなずく。
「そうなんですね」と返す。
相手の話を否定しないように、
かなり気を使っていました。
その結果、
私がどこで嫌になっているのか、相手にはほとんど伝わりませんでした。
私自身も、
伝えていないのだから当然です。
でも当時は、
大人なら察してくれると思っていました。
少し引いた笑い方。
短くなった相槌。
話題を変えようとする雰囲気。
それくらいで分かるはずだと、
勝手に期待していたんです。
気づけば、私の前では何でも言うようになっていました。
その人は、
だんだん私の前で遠慮をしなくなりました。
同僚の悪口。
上司への不満。
仕事とは関係のない見た目や性格への批判。
私は聞くたびに疲れていました。
それでも、
「私に話すことで少し楽になるなら」と考えていました。
相手にも吐き出す場所が必要なのかもしれない。
普段は我慢しているのかもしれない。
また、
相手の事情を先に考えていました。
ところがある日、
話の矛先が私へ向きました。
私が少し返事を迷った時、
相手が笑いながら言いました。
「リカさんって、たまに本当に要領悪いよね」
冗談のような口調でした。
周りにも何人か人がいました。
私は一瞬、
何と返せばいいか分かりませんでした。
でもその場の空気を止めたくなくて、
反射的に笑ってしまいました。
「そうかもしれません」
口から出たのは、
そんな言葉でした。
笑ったことで、傷ついていないことになりました。
本当は、
その言い方が嫌でした。
人前で言われたことも、
冗談の形にされたことも引っかかりました。
でも私は笑いました。
相手も笑っていました。
周りも、
軽い会話として受け取ったと思います。
その場では何も起きていないように見えました。
私だけが、
あとから何度もその言葉を思い返しました。
冗談だったのだから気にしすぎかもしれない。
自分でも笑ったのだから、今さら嫌だったとは言えない。
その程度で傷つく方がおかしいのかもしれない。
私は相手の言葉だけでなく、
自分が笑ったことまで、自分を責める材料にしました。
嫌だったのに笑った。
止めたかったのに同意したように見えた。
そのズレが、
帰宅後になって重く残りました。
私は「笑顔は中立」だと思っていました。
当時の私は、
笑顔や相槌をただの礼儀だと思っていました。
賛成ではない。
許可でもない。
ただ感じよくしているだけ。
そう考えていました。
でも、
相手は私の頭の中までは見られません。
見えるのは、
笑っている顔と、うなずく動きと、否定しない態度です。
私の中では中立でも、
相手には「この話を続けていい」という合図に見えることがありました。
嫌だと思っていても笑う。
不快でも相槌を打つ。
傷ついても、その場を明るく保つ。
私は何も言わずに、
かなり多くの許可を出していたのかもしれません。
傾聴は、相手が何をしたいかで結果が変わりました。
人の話を聞くこと自体が、
悪いとは思っていません。
不安を話したあと、
自分で考え始める人もいます。
話を聞いてもらったことで落ち着き、
こちらの事情にも目を向けられる人もいます。
そういう相手とは、
聞くことが関係を整える助けになると思います。
でも、
聞けば聞くほど話が強くなる人もいました。
共感すると、
もっと過激な話を始める。
否定しないと、
自分の考えが全面的に支持されたと思う。
笑顔で聞くと、
こちらへの失礼な言葉まで冗談として広げる。
方法が間違いというより、
相手が何のために話しているのかを見ていませんでした。
整理したいのか。
分かり合いたいのか。
それとも、反応してくれる相手へ感情を出し続けたいのか。
私は誰に対しても、
同じように聞き上手でいようとしていました。
「話しやすい人」と「何を言ってもいい人」は違いました。
私は、
話しやすい人と思われることを良いことだと思っていました。
警戒されない。
相談してもらえる。
人の役に立てる。
でも、
境界が見えないまま話しやすい人になると、
別のことまで起きました。
どんな愚痴でも聞く人。
誰かの悪口を言っても止めない人。
失礼な冗談を言っても笑う人。
私は「安心して話せる人」になりたかったのに、
相手からは「反応を返し続けてくれる人」に見えていたのかもしれません。
かなり似ていますが、
私にとっては大きな違いでした。
家に帰ると、笑った場面だけが残りました。
その日の帰り道、
私は何度も会話を思い返しました。
なぜ笑ってしまったのだろう。
なぜ嫌だと言えなかったのだろう。
せめて反応しなければよかった。
でもその場では、
笑う以外の反応が思いつきませんでした。
怒った顔をしたら空気が悪くなる。
真顔になったら相手を拒絶することになる。
「それは嫌です」と言えば、冗談も通じない人と思われる。
そんなことを一瞬で考え、
いつもの笑顔を出していました。
私にとって笑顔は、
親しさの表現だけではありませんでした。
困った時に場を切り抜けるための、
自動反応にもなっていたんです。
笑顔をやめることは、冷たい人になることだと思っていました。
私は長い間、
人に安心感を与える女性でいたいと思っていました。
いつも感じがいい。
話しかけやすい。
不機嫌を表に出さない。
そういう人の方が、
人間関係もうまくいくと信じていました。
だから、
表情を変えることに罪悪感がありました。
笑わなければ感じが悪い。
相槌を減らせば相手を傷つける。
話を終えようとすれば拒絶になる。
でも、
私が相手を傷つけないことばかり考えている間、
私の違和感はずっと無視されていました。
しかも、
相手には無視していることさえ見えていませんでした。
受け止めることと、同意することは別でした。
あとになって、
私はここを分けて考えるようになりました。
相手がそう感じたことは分かる。
でも、
その評価に同意しているわけではない。
話を聞くことはできる。
でも、
誰かを傷つける言葉まで受け入れる必要はない。
冗談として言われたことも、
嫌なら笑わなくていい。
以前の私は、
相手を受け止めるなら、こちらの違和感を隠すべきだと思っていました。
でも、
こちらの反応を全部消すことは、受容というより無表示でした。
相手は、
私の中で何が起きているか判断できません。
だから見えている笑顔を、
そのまま許可として受け取る人もいました。
私は、笑わない練習から始めました。
急に強く言い返せるようになったわけではありません。
今でも、
気まずいことを言われると反射的に笑いそうになる時があります。
ただ、
少しずつ笑わない時間を作るようになりました。
悪口を言われても、
すぐに相槌を返さない。
失礼な冗談を言われても、
場を助けるために笑わない。
少し表情を止める。
話題を変える。
必要なら、その話には同意できないと伝える。
最初は、
ものすごく感じの悪い人になった気がしました。
実際には、
笑顔を一回減らしただけでした。
長年の過剰サービスを止めると、
標準対応まで冷酷に感じるものだと思いました。
反応を変えると、相手の話し方も少し変わりました。
ある時、
いつものように誰かへの悪口を聞かされました。
以前なら、
困ったように笑いながら「そうなんですね」と返していました。
その日は、
笑わずに少し黙りました。
相手は一瞬、
私の顔を見ました。
そして、
少し声の調子を落としました。
別の日には、
失礼な冗談に反応せず、仕事の話へ戻しました。
それだけで、
同じ種類の言葉が少し減りました。
もちろん、
すべての相手が変わったわけではありません。
反応が薄いことを不満に思う人もいました。
でも、
そこで初めて分かったことがあります。
私の笑顔や相槌は、
思っていた以上に相手へ情報を渡していました。
優しい反応が、いつも優しさとして受け取られるとは限りません。
私は笑顔でいることで、
相手を安心させたいと思っていました。
話を聞くことで、
少しでも気持ちが軽くなればいいと思っていました。
その気持ち自体を、
今も否定したいとは思いません。
ただ、
こちらの優しい反応を、配慮として受け取らない人もいました。
何を言っても怒らない。
どんな話でも聞いてくれる。
少し失礼でも笑って流す。
そういう情報として受け取られることがありました。
私は優しくしているつもりでした。
でも、
相手にとっては「止められない人」だったのかもしれません。
当時の私には、
優しさと無防備さの違いが分かっていませんでした。
その笑顔は、本当にあなたの同意でしょうか。
もし今、あなたも、
嫌な話をされても笑って聞いてしまう。
失礼な冗談を言われても、
空気を悪くしたくなくて一緒に笑ってしまう。
相手が話し終わったあと、
自分だけがどっと疲れている。
そんなことが続いているなら。
言葉の内容だけではなく、
自分がどんな反応を返しているかも見てみてください。
その笑顔は、
本当に楽しいから出ているのでしょうか。
その相槌は、
本当に賛成しているから返しているのでしょうか。
それとも、
相手を不機嫌にさせないための自動反応になっているでしょうか。
たぶん、
あなたも薄々気づいている部分があると思います。
受け止めることと、
続けていいと伝えることは同じではありません。
私はそこを分けないまま、
自分の違和感を隠し続けていました。
また場を守るために笑いそうになった時、
その反応が相手に何を伝えるかも見てみてください。
言葉より先に出していた合図と、
自分の「場」を守るために見直したかったことを、こちらにまとめています。