こんにちは、リカです。
「こちらが優しくすれば、いつか相手にも伝わる」
昔の私は、
かなり長い間そう信じていました。
強く言われても、
こちらまで強く返さない。
相手が不機嫌でも、
できるだけ感じよく接する。
頼まれたことは、
余裕がなくてもなるべく引き受ける。
そうしていれば、
いつか相手も私の配慮に気づいてくれる。
自分も少し言いすぎたと、
振り返ってくれる。
関係も、
少しずつ穏やかになっていく。
当時の私は、
本気でそう思っていたんです。
でも、
私が優しくするほど、
相手の要求は少しずつ増えていきました。
伝わったのは優しさではなく、
「頼めばやってくれる人」という情報だったのかもしれません。
私は、相手と同じ土俵に乗りたくありませんでした。
職場で誰かの言い方がきつくても、
私は同じように返さないようにしていました。
感情的になるのはよくない。
相手を責めても関係は悪くなるだけ。
こちらまで不機嫌になったら、同じことになる。
そんなふうに考えていました。
だから、
少し理不尽な頼み方をされても笑顔で返しました。
急な仕事を振られても、
「分かりました」と引き受けました。
きつい口調で注意されても、
できるだけ柔らかい声で謝りました。
私はそれを、
大人の対応だと思っていました。
実際、
その場は大きく荒れませんでした。
ただし、
私の中だけは少しずつ荒れていきました。
最初は、小さなお願いでした。
ある人から、
仕事の一部を手伝ってほしいと言われたことがあります。
その日は私にも、
終わらせなければならない仕事がありました。
でも相手は忙しそうで、
机の上にも資料が積まれていました。
「これだけお願いしてもいい?」
そう言われた時、
少し迷いました。
断ったら冷たいと思われるかもしれない。
困っているのに助けないのも感じが悪い。
私が少し頑張れば済む。
そう考えて、
「大丈夫です」と答えました。
実際には、
あまり大丈夫ではありませんでした。
でも当時の私は、
引き受けたあとに何とかすることまで含めて、
大丈夫と呼んでいました。
一度引き受けると、次は説明がなくなりました。
最初は、
「助かった、ありがとう」と言われました。
私は少しうれしくなりました。
役に立てた。
信頼してもらえた。
相手も私の気遣いを分かってくれた。
そう思ったんです。
でも、それから似たような依頼が増えました。
「これもお願い」
「前にもやってくれたよね」
「リカさんなら分かると思うから」
最初にあった、
申し訳なさそうな説明は少しずつ減っていきました。
頼みごとというより、
自然な割り振りのようになっていました。
私は違和感を覚えました。
でも、
一度引き受けたものを急に断るのは不自然な気がしました。
前はやったのに、
今日はやらないと言ったら、気分屋だと思われるかもしれない。
だからまた、
「大丈夫です」と答えました。
優しくすれば、相手も配慮してくれると思っていました。
私はどこかで、
こちらの配慮は相手にも伝わると思っていました。
私が忙しくても引き受けていること。
自分の仕事を後回しにしていること。
不満を言わずに調整していること。
口に出さなくても、
見ていれば分かると思っていたんです。
そして、
いつか相手の方から言ってくれると期待していました。
「最近頼みすぎているよね」
「リカさんの仕事は大丈夫?」
「今日は自分でやるよ」
そんな言葉を、
かなり長い間待っていました。
でも相手には、
私の中の計算は見えていませんでした。
見えていたのは、
頼むと笑顔で引き受ける私だけです。
黙って差し出したものは、余裕だと思われました。
ある日、
自分の仕事がかなり詰まっている時に、また依頼されました。
私は一瞬、
今日は難しいと言おうと思いました。
でも相手は、
すでに資料を私の机に置いていました。
「これ、今日中でお願い」
相談というより、
決定事項のような口調でした。
胸の中で、
何かが引っかかりました。
私にも予定がある。
いつも引き受けられるわけではない。
せめて先に確認してほしい。
そう思いました。
でも実際に出た言葉は、
「分かりました」でした。
優しさのつもりで黙って差し出していた時間は、
相手には余っている時間に見えていたのかもしれません。
私が無理をしていることは、
無理をしている本人にしか分かっていませんでした。
帰宅後になって、怒りが出てきました。
その日は、
自分の仕事を終えるために遅くまで残りました。
相手は先に帰っていました。
帰りの電車の中で、
私は急に腹が立ってきました。
どうして私ばかり引き受けるのか。
なぜ私の予定は確認されないのか。
少しくらい配慮してくれてもいいのではないか。
でも、
少し考えると今度は自分を責め始めました。
引き受けたのは自分だ。
嫌なら断ればよかった。
何も言っていないのに察してほしいと思う方がおかしい。
その通りだと思います。
ただ当時の私は、
そこからさらに話を進めました。
だから相手は悪くない。
全部、断れない私の問題だ。
そうやって、
相手の頼み方や態度まで検討対象から外していました。
私は、優しさを貯金のように考えていました。
振り返ると、
私はどこかで優しさを貯めていたのだと思います。
今日これを引き受けた。
昨日も相手に合わせた。
きつい言い方をされても言い返さなかった。
だからいつか、
相手も私を大切に扱ってくれる。
困った時には助けてくれる。
私がつらい時には気づいてくれる。
そんな期待がありました。
でも、
その貯金口座は私の頭の中にしかありませんでした。
相手は残高を知りません。
私が何を我慢し、
どれだけ調整したのかも知らない。
私は言葉にしない配慮へ、
かなり高い利息を期待していました。
優しさが返ってこないたび、自分の優しさを増やしました。
相手の態度が変わらないと、
私はさらに優しくしようとしました。
まだ気持ちが伝わっていないのかもしれない。
もっと丁寧に接すれば分かってもらえるかもしれない。
相手も余裕がないだけかもしれない。
そう考えていました。
だから、
少し失礼な頼まれ方をされても引き受けました。
お礼がなくても、
見返りを求める自分の方が未熟だと思いました。
断りたい時も、
相手が困る姿を想像すると断れませんでした。
優しさが届かない。
だから、
さらに優しくする。
今思えば、
かなり苦しい追加課金方式でした。
払うのは、
いつも私の時間と気力でした。
相手は、私の配慮を配慮として受け取っていませんでした。
優しさは、
誰に対しても同じ意味で届くわけではありませんでした。
こちらが無理をして引き受けた時、
「助けてもらった」と感じる人もいます。
次は自分が助けようと考える人もいます。
でも、
「この人はやってくれる」とだけ受け取る人もいました。
こちらが強く返さない時、
「言いすぎた」と振り返る人もいます。
一方で、
「この言い方でも問題ない」と判断する人もいました。
私が渡したものが優しさであっても、
相手が同じ名前で受け取るとは限りません。
当時の私には、
その違いが分かりませんでした。
学んだ世界では、優しさには相互性がありました。
心理学やコミュニケーションを学ぶ中で、
相手を尊重することの大切さを何度も知りました。
こちらが相手を尊重すれば、
相手も尊重しやすくなる。
安心できる関わりをすれば、
関係は少しずつ変わっていく。
その考え方が役立つ場面は、
確かにあると思います。
ただ、
相手も関係を良くしたいと思っていることが前提でした。
こちらの配慮に気づけること。
相手の負担も想像できること。
一方的になった時に振り返れること。
そういう力が相手にもある時、
優しさは関係を整えるものになるのだと思います。
でも現場には、
与えられた配慮を、そのまま使える資源として受け取る人もいました。
方法が間違いというより、
使う相手と場面を見ていませんでした。
私は「見返りを求めない優しさ」に縛られていました。
誰かに親切にしたあと、
少しでも残念に思うと自分を責めました。
お礼がほしかったのか。
感謝されたかったのか。
見返りを求めるなんて、純粋ではない。
そんなふうに考えていました。
でも、
私が本当に求めていたのは、大きな見返りではありませんでした。
頼む前に確認してほしい。
断っても不機嫌にならないでほしい。
私にも仕事や都合があると考えてほしい。
そのくらいでした。
これは、
見返りというより相互性だったのだと思います。
でも当時の私は、
自分の希望を持つこと自体を欲深さのように扱っていました。
だから相手へは何も伝えず、
心の中だけで失望を積み重ねていました。
優しさの中に、嫌われたくない気持ちも混ざっていました。
私は、
ただ親切だったわけではありません。
断ったら嫌われるかもしれない。
冷たい人だと思われるかもしれない。
次から態度を変えられるかもしれない。
そんな不安もありました。
でも、
それを認めたくありませんでした。
私は自分で選んで優しくしている。
見返りなど求めていない。
大人だから引き受けている。
そう思いたかったんです。
本当は、
関係が悪くなるのが怖くて差し出していたものもありました。
相手への思いやりと、
自分を守るための迎合が混ざっていました。
それを全部「優しさ」と呼ぶと、
自分でも何を選んでいるのか分からなくなりました。
私は、相手の反応まで優しさで操作しようとしていました。
少し厳しい言い方になりますが、
当時の私は優しさで相手を変えようとしていました。
私が柔らかく接すれば、
相手も柔らかくなる。
私が我慢すれば、
相手もいつか気づく。
私が助け続ければ、
相手も私を大切にする。
そんな期待がありました。
相手を責めずに変えたい。
関係を壊さずに扱いを変えてほしい。
そのために、
私は優しさを出し続けていました。
でも、
こちらの優しさは相手の選択を保証しません。
優しくされた時、
相手が何を受け取り、どう振る舞うかは相手の側の問題でした。
優しさをやめるのではなく、見えない期待をやめました。
このことに気づいたからといって、
私は冷たい人になったわけではありません。
今でも、
手伝える時は手伝います。
相手が困っていれば、
できる範囲で力になりたいと思います。
ただ、
以前より少し確認するようになりました。
今の自分に、本当に余裕があるか。
これは自分が引き受けたいことか。
断った時に相手がどう反応するかを恐れていないか。
そして、
言わなくても分かってもらえるという期待を置かないようにしました。
難しいなら、
「今日はここまでならできます」と伝える。
急な依頼なら、
「今の仕事との優先順位を確認したい」と返す。
それでも不機嫌になる人はいます。
今でも、
その反応に少し緊張することはあります。
でも以前のように、
相手の機嫌を優しさで管理しようとはしなくなりました。
断った時の反応に、その関係が表れることがありました。
いつも引き受けていた依頼を、
一度だけ断ったことがあります。
「今日は自分の締め切りがあるので、難しいです」
言う前から、
喉が少し固くなりました。
嫌な顔をされるかもしれない。
関係が悪くなるかもしれない。
実際、
相手は少し不満そうな表情をしました。
「前はやってくれたのに」とも言われました。
私はすぐ謝りそうになりました。
でも、
その日は同じ説明を繰り返しました。
「今日は難しいです」
相手は別の人へ頼みました。
それだけでした。
私は長い間、
断れば関係が壊れると思っていました。
実際には、
相手の予定が少し変わっただけでした。
私の頭の中では大事件でも、
現実では業務調整の一つだったんです。
優しさと無防備さは、同じではありませんでした。
優しくすることは、
何でも引き受けることではありません。
相手を理解することは、
自分の都合を消すことでもありません。
柔らかく接することは、
失礼な扱いまで受け入れることではありません。
以前の私は、
この違いをほとんど持っていませんでした。
優しい人でいるなら、
相手を困らせてはいけない。
相手をがっかりさせてはいけない。
相手を不機嫌にさせてはいけない。
そう考えていました。
でも、
相手が一度も不快にならない関係を作ろうとすると、
こちらがずっと不快を引き受けることになります。
それは、
私が望んでいた優しさとは少し違いました。
その優しさは、相手にどう受け取られているでしょうか。
もし今、あなたも、
こちらが優しくすれば、いつか相手も変わると思っている。
頼まれるたびに引き受け、
いつか配慮を返してもらえると待っている。
断れずに疲れているのに、
見返りを求める自分の方を責めている。
そんなことが続いているなら。
優しさが足りないと考える前に、
今の優しさが相手にどう受け取られているかを見てみてください。
助けてもらったと受け取っているでしょうか。
それとも、
頼めば引き受ける人だと学習しているでしょうか。
あなたの都合を確認しているでしょうか。
断った時にも、
同じように尊重してくれるでしょうか。
優しさは、
出した側の意図だけでは意味が決まりません。
相手がどう受け取り、
その後どう振る舞うかまで見る必要がありました。
少なくとも私は、
「いつか分かってくれる」と待つことで、
自分の限界をかなり先延ばしにしていました。
また優しさを増やして解決しようとした時に、
その関係に相互性があるかも確認してみてください。
優しさと無防備さを分け、
自分の「場」を残したまま人と関わるための視点を、こちらにまとめています。