こんにちは、リカです。
「もっと学べば、きっと楽になれる」
昔の私は、
かなり本気でそう思っていました。
人間関係で嫌なことがあるたびに、
本を買いました。
相手の顔色を読みすぎて疲れた時は、
自己肯定感について調べました。
職場で何も言えなかった日は、
コミュニケーションの講座を探しました。
強く言われて頭が真っ白になった夜は、
アサーティブな伝え方をノートに書き写しました。
本は増えました。
ノートも増えました。
付箋の色分けだけは、かなり上達しました。
でも、
人間関係は少しも楽になりませんでした。
むしろ私は、
学ぶ前より人の反応を怖がるようになっていました。
学んだ直後だけは、少し安心できました。
新しい本を読んだ時。
講座で、
「人間関係がうまくいかない理由」を教えてもらった時。
私はいつも、
少しだけ救われた気持ちになりました。
原因が分かった。
次はうまくできる。
今度こそ、同じ失敗を繰り返さずに済む。
そんな気がしたんです。
相手の話を否定しない。
まずは気持ちを受け止める。
自分の考えは、責めない言葉で伝える。
相手と自分の境界線を意識する。
読んでいる時は、
どれも正しいと思いました。
実際、
今でも大切な考え方だと思うものはあります。
ただ、当時の私は、
一つ学ぶたびに、
自分を採点する項目まで増やしていました。
人と話すたびに、自分を点検するようになりました。
誰かと話したあと、
私は会話を細かく振り返っていました。
相手の話を遮らなかったか。
否定的な言い方をしなかったか。
表情が硬くなっていなかったか。
声の調子は冷たくなかったか。
少しでも相手の反応が悪いと、
すぐに自分の言動を探り始めました。
あの言い方が悪かったのかもしれない。
もっと共感してから話すべきだった。
私の受け止め方が幼かったのかもしれない。
相手が不機嫌なだけかもしれない。
その可能性は、
なぜか最後まで候補に入りませんでした。
原因はいつも、
私の言葉。
私の態度。
私の考え方。
学ぶほど、
自分の中から間違いを探すのが上手になっていったんです。
「正しく対応しなければ」が増えていきました。
以前の私は、
嫌なことがあれば、ただ傷ついていました。
でも学び始めてからは、
傷つく前に別のことを考えるようになりました。
ここでは傾聴した方がいい。
今は反論しない方がいい。
まず相手の気持ちを言葉にした方がいい。
自分の感情は落ち着いてから伝えた方がいい。
頭の中に、
対応マニュアルが何冊も開いているような状態でした。
相手の話を聞きながら、
次に何を言うべきか考える。
自分の表情を気にしながら、
相手の顔色も読む。
言葉を選びながら、
相手が怒らないか先回りする。
当然、疲れました。
でも当時は、
疲れている理由さえ分かっていませんでした。
まだ練習が足りない。
慣れれば自然にできるようになる。
そう思って、
また別の本を探していました。
現場では、学んだ言葉が一つも出てきませんでした。
ある日、
職場で強い口調で注意されたことがあります。
私にも、
確認が足りなかった部分はありました。
だから、
そこは認めた上で説明しようと思っていました。
でも相手は、
私の話を聞く前から苛立っていました。
声が大きくなる。
言葉が強くなる。
仕事の話から、普段の態度の話へ広がっていく。
その瞬間、
頭の中に学んだことが一気に浮かびました。
感情的に返さない。
相手を否定しない。
事実と感情を分ける。
落ち着いて、自分の意見を伝える。
分かっていました。
少なくとも、
本の上では分かっていました。
でも実際に口から出たのは、
「すみません」だけでした。
講座のノートには、
もっと立派な例文が何行も書いてありました。
現場で使えた語彙は、
五文字でした。
帰宅後に、また勉強を始めました。
その日は、
家に帰ってから何度も会話をやり直しました。
あの時、こう言えばよかった。
もう少し落ち着いて話せばよかった。
相手の気持ちを先に受け止めればよかった。
そして最後には、
いつも同じ結論へ戻りました。
私は、まだ学びが足りない。
だから検索しました。
「職場 強く言われる 言い返せない」
「アサーティブ 実践できない」
「人の機嫌が怖い 克服」
新しい方法が見つかると、
また少し安心しました。
次はできるかもしれない。
今度こそ変われるかもしれない。
でも次に相手の声が強くなると、
私はまた何も言えなくなりました。
そして再び、
学んでもできない自分を責めました。
私は、学んでいることで安心していました。
振り返ると、
当時の私は少し変な状態でした。
人間関係はつらいまま。
職場へ行けば、
相手の機嫌を読んでしまう。
強く言われれば、
頭が真っ白になる。
何も変わっていないのに、
新しいことを学ぶと前へ進んだ気がしました。
講座を申し込む。
ノートを作る。
大事なところへ線を引く。
それで、
少し安心していたんです。
現実を変えたというより、
変わる準備をしている自分でいられた。
その方が、
何もできずに傷ついている自分を見るより楽でした。
これは、
今だから言えることです。
当時の私は、
本気で努力しているつもりでした。
心理学が間違っていたとは思っていません。
ここまで読むと、
心理学やコミュニケーションの学びを、
全部否定しているように見えるかもしれません。
でも、そうではありません。
学んだことで、
自分の考え方に気づけたこともありました。
相手の話を落ち着いて聞けるようになった場面もあります。
自分の気持ちを言葉にできたこともありました。
ただ、
私は使う場面を分けていませんでした。
相手も落ち着いて話す意思がある。
こちらの説明を聞く余裕がある。
お互いに関係を良くしたいと思っている。
そんな場面で役立つ方法を、
怒りをぶつけたいだけの相手にも使おうとしていました。
私が丁寧に話せば、
相手も丁寧に返してくれる。
私が相手を理解すれば、
相手も私を理解してくれる。
ずっと、
そういう前提で考えていたんです。
相手の不機嫌まで、自分の課題にしていました。
職場で誰かの機嫌が悪いと、
私はすぐに原因を探しました。
昨日の言い方が悪かったか。
返事が遅かったか。
気配りが足りなかったか。
自分の中を探せば、
反省点はいくらでも見つかりました。
完璧な人ではないので、
当然です。
でも、
反省点が見つかったことと、
相手の不機嫌の原因が私だったことは同じではありません。
そこを、
私はずっと一緒にしていました。
私にも直した方がいい部分がある。
だから、
相手が強く当たるのも仕方がない。
そんなふうに、
話を飛ばしていたんです。
学ぶほど怖くなったのは、失敗できなくなったからでした。
以前の私は、
人間関係で失敗すると落ち込みました。
学んだ後の私は、
失敗すると二重に落ち込みました。
相手に嫌な顔をされた。
それだけではありません。
傾聴できなかった。
アサーティブに言えなかった。
境界線を引けなかった。
自分の感情を整えられなかった。
学んだことを実践できない自分まで、
追加で責めていました。
知識が増えるほど、
正しくできなかった時の失敗感も増えていったんです。
だから私は、
会話をする前から緊張するようになりました。
今度は失敗しないように。
相手を怒らせないように。
学んだ人らしく対応できるように。
人と話すことより、
正解を出すことに必死になっていました。
私に足りなかったのは、次の一冊ではありませんでした。
当時の私は、
答えはまだ知らない方法の中にあると思っていました。
もっと深い心理学。
もっと実践的な伝え方。
もっと効果のある感情整理。
でも、
あとになって少しずつ気づきました。
私が見ていなかったのは、
新しい知識ではありませんでした。
目の前の相手が、
本当に話し合おうとしているのか。
それとも、
ただ感情をぶつける相手を探しているのか。
私が受け取った言葉は、
本当に改善のための指摘なのか。
それとも、
その人の苛立ちまで混ざっているのか。
そういう、
教科書の外で起きていることでした。
「学びが足りない」で終わらせなくてもいい。
もし今、あなたも、
人間関係を楽にするために学び続けている。
でも、
学ぶ前より自分の言葉が気になる。
相手の表情や声を、
前より細かく読むようになった。
うまくできなかった日は、
また別の方法を探してしまう。
そんな状態なら。
一度だけ、
「私の学びが足りない」以外の可能性も考えてみてください。
その方法は、
目の前の相手にも使える方法だったでしょうか。
相手には、
こちらの話を聞く意思があったでしょうか。
あなたは自分の言葉を整えながら、
相手の感情まで処理しようとしていなかったでしょうか。
少なくとも私は、
ずっとそこを見ていませんでした。
本を増やす前に、
現場で何が起きていたのかを見る必要があったんです。
また「私が未熟だから」で終わらせそうになった時に、
思い出してもらえたら十分です。
言葉を選ぶ前に、
私が知っておきたかったことを、こちらにまとめています。