こんにちは、リカです。
「自分の気持ちは、きちんと伝えた方がいい」
昔の私は、
その言葉を何度も自分に言い聞かせていました。
我慢するだけでは、何も変わらない。
相手を責めずに伝えれば、きっと分かってもらえる。
感情的にならずに話せば、関係は壊れない。
そう思って、
私はアサーティブコミュニケーションを学びました。
ノートには、
相手を傷つけずに自分の気持ちを伝える例文が、
きれいに並んでいました。
でも実際の職場では、
その例文を一つも使えませんでした。
相手の声が強くなった瞬間、
頭の中から言葉が消えたからです。
言いたいことを飲み込む自分を変えたかった。
私は昔から、
誰かに強く言われると黙ってしまう人でした。
本当は違うと思っていても、
その場では言えない。
納得していなくても、
「分かりました」と答えてしまう。
あとからなら、
言いたかったことはいくらでも出てきました。
あの言い方はおかしかった。
私だけの責任ではなかった。
こちらの話も聞いてほしかった。
でも、
その場では口が動きませんでした。
そんな自分が嫌でした。
だから、
「我慢でも攻撃でもない伝え方」があると知った時、
これなら私も変われるかもしれないと思ったんです。
ノートの上では、かなり上手に話せました。
アサーティブについて学ぶと、
伝え方には順番があると知りました。
まず事実を伝える。
次に、自分がどう感じたかを話す。
最後に、どうしてほしいかを具体的に伝える。
なるほどと思いました。
これまでの私は、
我慢するか、限界になって黙り込むか。
そのくらいしか知りませんでした。
でも、
落ち着いて伝える方法がある。
相手を責めずに、
自分の気持ちも消さなくていい。
私はノートに例文を書きました。
「その言い方をされると、私は少し緊張します」
「次からは、先に共有してもらえると助かります」
「今は整理できていないので、少し時間をください」
ノートの上では、
かなり落ち着いて話せました。
相手もこちらの話を聞き、
最後には納得してくれる。
紙の中の人間関係は、
ずいぶん理性的でした。
現場では、相手が例文どおりに動いてくれませんでした。
ある日、
職場で仕事の進め方を強く注意されたことがあります。
私にも、
確認が足りなかった部分はありました。
そこは認めるつもりでした。
ただ、
事前に別の人へ確認していたことや、
途中で指示が変わっていたことも説明したかったんです。
私は、
学んだ順番を思い出そうとしました。
まず事実。
次に気持ち。
最後にお願い。
「確認が足りなかった点は、すみません。ただ……」
そう言いかけた時、
相手が私の言葉を遮りました。
「また言い訳するの?」
「そういうところなんだよ」
「まず謝るのが普通でしょ」
ノートには、
この返答への続きは書いてありませんでした。
私が丁寧に話し始めれば、
相手も少しは聞いてくれる。
どこかで、
そう思っていたんです。
何を言っても、間違いになる気がしました。
その瞬間、
頭の中でいくつもの言葉を探しました。
「説明させてください」と言えば、
言い訳だと思われるかもしれない。
「その言い方はつらいです」と言えば、
被害者ぶっていると思われるかもしれない。
「今は落ち着いて話せません」と言えば、
逃げていると思われるかもしれない。
何を言っても、
さらに怒らせる気がしました。
私は自分の気持ちを伝えようとしていたはずなのに、
気づけば「どう言えば怒られないか」だけを考えていました。
結局、
口から出たのは、
「すみません」でした。
講座では、
相手も自分も尊重する方法を学びました。
現場で尊重したのは、
相手の機嫌だけでした。
言葉を選ぶ前に、身体が固まっていました。
その時の私は、
冷静に文章を組み立てられる状態ではありませんでした。
心臓が速くなる。
喉が狭くなる。
肩に力が入る。
周りの音が遠くなる。
学んだ言葉は、
頭のどこかにはあったと思います。
でも、
取り出せませんでした。
その場を早く終わらせたい。
これ以上声を大きくされたくない。
周りの人に見られたくない。
そんなことを一度に考えていました。
文章を組み立てる余裕なんて、
残っていなかったんです。
それでも当時の私は、
「練習が足りない」と思っていました。
帰宅後、例文を作り直しました。
家に帰ると、
言いたかったことが次々に浮かびました。
私だけで判断したわけではないこと。
説明を聞かずに決めつけられたこと。
人前で強く言われたことが嫌だったこと。
私はノートを開いて、
あの場面で使うはずだった言葉を書き直しました。
もっと短くすれば言えたかもしれない。
もっと柔らかくすれば怒られなかったかもしれない。
最初に共感を入れればよかったかもしれない。
会話がうまくいかなかった原因を、
また文章の中に探していました。
ノートには、
少しずつ完璧な返答が増えていきました。
実際の私は、
相変わらず「すみません」から先へ進めませんでした。
私は、自分を伝えたいのではありませんでした。
あとになって、
少し気づいたことがあります。
私はアサーティブに話そうとしていたつもりでした。
でも本当は、
自分を伝えたいのではありませんでした。
相手を怒らせずに、
こちらの希望も通したかった。
嫌われずに、
傷ついたことも理解してほしかった。
関係を悪くせずに、
相手の態度だけ変わってほしかった。
かなり難しい注文です。
しかも私は、
その全部を一つの言い方で実現しようとしていました。
言葉を探していたというより、
相手を絶対に怒らせない魔法を探していたんです。
話し合う意思がない相手にも、同じ方法を使おうとしていました。
アサーティブな伝え方が、
役立った場面もありました。
相手がこちらの話を聞いてくれる時。
お互いに落ち着いている時。
関係を良くしたいという意思が、両方にある時。
そんな場面では、
自分の気持ちを整理して伝えることは役立ちました。
でも私は、
すべての相手が話し合いを求めていると思っていました。
中には、
こちらの事情を知りたいわけではない人もいました。
自分の苛立ちを外に出したい。
こちらを黙らせたい。
自分が正しいと確認したい。
そういう状態の相手に、
私がどれだけ丁寧に話しても、
会話にならないことがありました。
方法が悪いというより、
使う相手と場面を見ていなかったんです。
言えなかった自分を、ずっと能力不足だと思っていました。
当時の私は、
その場で言えない自分をかなり責めていました。
せっかく学んだのに。
頭では分かっているのに。
また何も言えなかった。
もっと自信があれば言えたはず。
もっと練習すれば言えるはず。
もっと強くなれば固まらないはず。
そう思っていました。
でも今は、
少し違う見方をしています。
私は言葉を知らなかったわけではありません。
言葉を出せる状態ではなかった。
相手の声や表情、
周囲の視線、
これ以上悪化させたくないという恐怖。
そういうものを一度に受け取りすぎて、
自分の言葉を置く場所がなくなっていました。
必要だったのは、もっと上手な例文だけではありませんでした。
私は長い間、
次に使える言い回しを探していました。
もっと短い言葉。
もっと相手を刺激しない言葉。
もっと感じよく断れる言葉。
もちろん、
言葉を知ることが役立つ場面はあります。
でも私に必要だったのは、
言葉を増やすことだけではありませんでした。
今、目の前の相手は話し合える状態なのか。
私は言葉を選べる状態なのか。
この場で私だけが調整役になっていないか。
そこを見る必要がありました。
会話が成立しない時まで、
正しい言い方を探し続けなくてもよかったんです。
言えない理由を、言葉の外側から見てもいい。
もし今、あなたも、
自分の気持ちを伝える方法は知っている。
でも、
相手の声が強くなると何も言えない。
その場では謝ってしまい、
帰宅後に言いたかったことが浮かぶ。
そして、
また「練習が足りない」と思っているなら。
一度だけ、
別の見方もしてみてください。
あなたは本当に、
言葉を知らないのでしょうか。
それとも、
言葉を出せないほど相手の圧力を受け取っているのでしょうか。
相手は本当に、
あなたと話し合おうとしているでしょうか。
少なくとも私は、
この区別をしないまま、
自分の表現力ばかり直そうとしていました。
また新しい例文を探す前に、
言葉の外側で何が起きているかを見る必要があったんです。
「分かっているのに言えない」と自分を責めそうになった時に、
思い出してもらえたらと思います。
言葉を出す前に、
私が知っておきたかったことを、こちらにまとめています。