こんにちは、リカです。


「嫌われなければ、ひどい扱いはされない」


昔の私は、


どこかでそう信じていました。

 

感じよくしている。


頼まれたことは断らない。


相手の意見を否定しない。


少しくらい失礼なことを言われても、空気を悪くしない。

 

そうしていれば、


少なくとも嫌われることはない。

 

嫌われなければ、


関係も悪くならないと思っていました。

 

でも実際には、


私は嫌われないように振る舞うほど、


雑に扱われるようになっていきました。

 

強く言っても怒らない。


急に頼んでも断らない。


少しくらい後回しにしても文句を言わない。

 

私が伝えていたのは、


「私は感じのいい人です」だけではなかったんです。

 

私は、嫌われる可能性を先に消していました。

 

職場で誰かと意見が違っても、


私はあまり口に出しませんでした。

 

「そういう考え方もありますよね」


「私はどちらでも大丈夫です」


「みなさんに合わせます」

 

そう答えることが多かったです。

 

本当は希望があっても、


誰かとぶつかるくらいなら引っ込めました。

 

断って空気が変わるのも嫌でした。


意見を言って面倒な人だと思われるのも怖かった。

 

だから私は、


相手が不快になる可能性を先回りして消していました。

 

その結果、


私が何を嫌がるのか、何を大切にしているのか、


周囲にはほとんど見えなくなりました。

 

自分でも、


だんだん分からなくなっていました。

 

勤務の変更を、決まったあとに知らされました。

 

ある日、


職場の予定表を見ていると、


自分の担当時間が変わっていることに気づきました。

 

その日は、


仕事のあとに予定を入れていました。

 

変更された時間のままだと、


間に合わない可能性がありました。

 

私は予定表を見直しました。

 

事前に相談された記憶はありません。

 

近くにいた人へ確認すると、


悪びれる様子もなく言われました。

 

「ああ、そこ変えておいたよ」

 

私は少し驚いて、


「今日、予定があって」と伝えました。

 

すると相手は、


軽い調子で笑いました。

 

「でもリカさんなら大丈夫かなと思って」

 

周りにいた人も、


深刻なことではないように仕事を続けていました。

 

胸の奥が少しざわつきました。

 

なぜ、先に聞かなかったのだろう。


どうして私なら大丈夫だと思ったのだろう。

 

そう感じました。

 

でも実際に口から出たのは、


「分かりました。何とかします」でした。

 

断ったら、今までの感じのいい私が壊れる気がしました。

 

本当は、


元の時間に戻してほしいと思っていました。

 

少なくとも、


変更する前に確認してほしかった。

 

でも、その場で強く言うことができませんでした。

 

今さら断ったら困らせるかもしれない。


予定があると言っても、私用だと思われるかもしれない。


たった一回の変更で細かい人だと思われるかもしれない。

 

そんな考えが一気に浮かびました。

 

私はそれまで、


頼みやすい人、話しやすい人、融通の利く人でいようとしていました。

 

ここで断れば、


今まで積み上げてきた評価が崩れるような気がしたんです。

 

評価と言っても、


実際に誰かから聞いたわけではありません。

 

私の頭の中で勝手に発行された、


「感じのいい人認定証」でした。

 

失効するのが、かなり怖かったです。

 

同じ人が、別の人には先に確認していました。

 

数日後、


同じ人が別の同僚へ予定変更を頼む場面を見ました。

 

その同僚は、


普段から自分の都合をはっきり伝える人でした。

 

無理な時は、


「その日は難しいです」と普通に答えていました。

 

相手はその人に、


私へ向けた時とは違う言い方をしました。

 

「この時間に変更したいんだけど、予定は大丈夫?」


「難しければ別の人を探すから」

 

丁寧に確認していました。

 

私は少し離れた場所で、


そのやり取りを聞いていました。

 

相手は、


誰に対しても雑な人ではありませんでした。

 

相手によって、


頼み方を変えていたんです。

 

その事実に気づいた時、


怖いし、悔しい気持ちもありました。

 

でもそれ以上に、


私はどうして自分には確認しなくていいと思われたのか、


考えずにはいられませんでした。

 

私は、雑に扱われても関係を壊さない人でした。

 

振り返ると、


相手には十分な材料がありました。

 

急な依頼にも応じる。


事後報告でも強く言わない。


不都合があっても自分で何とかする。


少し失礼な言い方をされても、次の日には普通に接する。

 

つまり私は、


多少雑に扱っても関係を維持してくれる人でした。

 

相手から嫌われないために、


私は不満を表に出しませんでした。

 

でも、それによって相手は、


私を失う心配をしなくて済みました。

 

何をしても、


私は大きく態度を変えない。

 

何を頼んでも、


最後には引き受ける。

 

嫌われない努力は、


相手に安心感を与えていました。

 

ただしそれは、


大切にしてもらえる安心感ではありません。

 

私なら多少後回しにしても大丈夫だという、


相手側の安心感でした。

 

私は「好かれること」と「尊重されること」を混同していました。

 

当時の私は、


好かれていれば大切にされると思っていました。

 

感じよく接していれば、


相手も感じよく接してくれる。

 

相手を困らせなければ、


相手も私を困らせない。

 

嫌なことを言わなければ、


関係は良い状態で保たれる。

 

でも、


好かれることと尊重されることは同じではありませんでした。

 

話しやすいと思われていても、


都合を確認されないことはあります。

 

親切だと思われていても、


仕事を後回しにされることはあります。

 

嫌われていなくても、


雑な頼み方をされることはありました。

 

むしろ、


何をしても離れないと思われると、


扱いが雑になることさえありました。

 

感じのよさだけでは、私の基準は伝わりませんでした。

 

私は、


人に感じよく接することを大切にしていました。

 

それ自体は、


今も悪いことだとは思いません。

 

ただ、


感じのよさだけでは伝わらないものがありました。

 

どんな頼み方なら受け入れられるのか。


何をされると困るのか。


どこからは事前に相談してほしいのか。

 

私は、その基準をほとんど出していませんでした。

 

相手の基準には合わせる。


自分の基準は見せない。

 

それで相互理解が生まれると思っていました。

 

かなり無理のある設計だったと思います。

 

相手は、


私が何を嫌がっているのか想像するしかありません。

 

そして想像する必要を感じない人は、


見えている反応だけで判断します。

 

笑っている。


引き受けている。


翌日も普通に話している。

 

なら、問題はない。

 

そう受け取られても不思議ではありませんでした。

 

雑に扱われるたび、私はもっと好かれようとしました。

 

何か失礼なことをされると、


私は相手との関係を良くしようとしました。

 

次の日は、


いつもより明るく挨拶する。

 

相手が忙しそうなら手伝う。


気まずさが残らないよう、自分から話しかける。

 

相手から距離を置かれることが、


とにかく怖かったんです。

 

だから雑に扱われた時ほど、


私は関係を修復しようとしました。

 

でも相手から見れば、


少し乱暴に扱っても、私の方から関係を戻してくれる。

 

そんな流れになっていました。

 

扱いが悪くなる。


私は嫌われないようにさらに感じよくする。


相手は問題がなかったと思う。

 

私は関係を守っているつもりで、


相手が何も修正しなくていい状態を作っていました。

 

「嫌われない技術」はたくさん学びました。

 

もちろん、


本や講座にそう書かれていたわけではありません。

 

相手を尊重する。


伝え方を工夫する。


まず相手の事情を理解する。

 

どれも、


関係を整えるための考え方だったと思います。

 

でも私は、


それらを嫌われないための方法として使っていました。

 

相手を否定しない。


相手を不快にさせない。


相手の期待を裏切らない。

 

そこばかり気にしていました。

 

一方で、


相手が私を尊重しているかは、ほとんど見ていませんでした。

 

事前に確認してくれるか。


断った時に態度を変えないか。


私の都合も同じ重さで扱うか。

 

関係を見るなら、


本当はこちらも必要でした。

 

方法が間違いというより、


私は自分だけを調整するために使っていたんです。

 

嫌われることを避けると、違いがない人になりました。

 

人と関われば、


意見が違うことがあります。

 

都合が合わないこともあります。


頼まれても引き受けられない時もあります。

 

でも昔の私は、


その違いが表に出ないようにしていました。

 

相手が右と言えば右へ行く。


急ぎと言われれば自分の予定を動かす。


不快でも、平気な顔をする。

 

嫌われない代わりに、


相手から見て都合の悪い部分を消していました。

 

でも、


都合の悪い部分がない人は、


尊重しなくても困らない人にもなります。

 

予定を確認しなくても受け入れる。


意見を聞かなくても合わせる。


嫌なことをしても関係を戻してくれる。

 

私が違いを隠した分だけ、


相手は私を一人の別の人間として扱わなくて済んでいました。

 

私にも、言わなかった責任はありました。

 

ここで、


周囲だけが悪かったと言いたいわけではありません。

 

私は何度も、


大丈夫ではないのに「大丈夫です」と言いました。

 

困っているのに、


何とかしますと答えました。

 

事前に相談してほしいと思っても、


一度も伝えませんでした。

 

相手が私の反応を見て判断したなら、


その反応には私も関わっています。

 

ただ、


それをまた全部、自分の責任にする必要もありません。

 

嫌だと言いにくい空気があったこと。


断ると態度が変わる相手がいたこと。


強い声を向けられると身体が固まっていたこと。

 

そうした条件もありました。

 

私には言えなかった理由がある。


同時に、言わなかったことで伝わらなかったこともある。

 

今は、


その両方を見るようにしています。

 

尊重されるには、少し不便な人になる必要がありました。

 

私が最初に変えたのは、


強く言い返すことではありませんでした。

 

何でも即答しない。


予定を確認してから返事をする。


変更される前に相談してほしいと伝える。

 

それくらいです。

 

以前の私にとっては、


それでも十分に感じの悪い行動でした。

 

相手を少し待たせる。


相手の希望どおりにならない可能性を出す。


私にも都合があると伝える。

 

つまり、


相手にとって少し不便な人になることでした。

 

でも、


一度も不便をかけないまま尊重されようとする方が、


無理だったのだと思います。

 

私には予定がある。


私にも意見がある。


頼まれてもできない時がある。

 

その情報が見えて初めて、


相手は私を考慮する必要が出てきます。

 

「先に確認してください」と言った日のこと。

 

その後、


また予定を変えられそうになったことがありました。

 

相手は以前と同じように、


「ここ、変えても大丈夫だよね」と言いました。

 

私は反射的に、


大丈夫ですと言いそうになりました。

 

喉も少し固くなりました。

 

それでも、


予定を確認してから答えました。

 

「その時間は予定があります。変更する時は、先に確認してもらえますか」

 

相手は、


少し意外そうな顔をしました。

 

私はその表情を見て、


言いすぎたかもしれないと思いました。

 

もっと柔らかく言えばよかった。


最後に謝った方がよかった。

 

いつもの反省会が、


頭の中で始まりかけました。

 

でも相手は、


「分かった。じゃあ別のところを調整する」と答えました。

 

それで会話は終わりました。

 

関係も壊れませんでした。

 

私はかなり大きなことを言ったつもりでした。

 

現実には、


予定変更の手順を一つ確認しただけでした。

 

境界を出すと、離れていく人もいました。

 

もちろん、


自分の都合を伝えれば、すべての人が快く受け入れるわけではありません。

 

以前より頼みにくくなったと感じる人もいます。

 

反応が冷たくなる人もいました。

 

今でも、


そういう変化を見ると少し不安になります。

 

嫌われたのかもしれない。


関係を悪くしてしまったかもしれない。

 

一瞬、


前のように合わせた方が楽だったと思うこともあります。

 

でも、


何でも受け入れていた時だけ近くにいた人が、


私の都合を出した途端に離れるなら。

 

その関係が何によって保たれていたのかは、


少し見直してもいいと思っています。

 

好かれていたのか。


それとも、都合よく使えたのか。

 

似ていますが、


私にとってはかなり違う話でした。

 

尊重は、好かれるための努力だけでは作れませんでした。

 

私は長い間、


相手に好かれることで安全を得ようとしていました。

 

嫌われなければ攻撃されない。


感じよくしていれば守ってもらえる。


役に立てば大切にされる。

 

でも現実では、


嫌われていないのに雑に扱われることがありました。

 

役に立っているからこそ、


便利な人として扱われることもありました。

 

尊重されるために必要だったのは、


もっと感じよくなることだけではありませんでした。

 

私は何を受け入れ、


何を受け入れないのか。

 

どんな頼み方なら応じられ、


どこからは確認が必要なのか。

 

その違いが相手に見えることも必要でした。

 

嫌われないことと、雑に扱われないことは別です。

 

もし今、あなたも、


嫌われないように頼みごとを断らず、


意見があっても相手に合わせている。

 

急な変更や失礼な言い方にも、


関係を悪くしたくなくて笑って応じている。

 

それなのに、


なぜか自分だけ扱いが軽いと感じているなら。

 

たぶん、


あなたも薄々気づいていると思います。

 

相手に嫌われないために消しているものが、


相手から尊重されるために必要な情報なのかもしれません。

 

あなたにも都合があること。


嫌なことがあること。


頼まれても引き受けられない時があること。

 

それが見えなければ、


相手は考慮する必要を感じません。

 

嫌われない努力を全部やめる必要はないと思います。

 

ただ、


好かれるために自分の基準まで消していないかは、


見直してもいい。

 

相手があなたをどう思うかだけではなく、


相手があなたをどう扱っているかも見てみてください。

 

感じのいい人でいることと、


何をしても離れない人になることは別です。

 

嫌われないことより先に見ておきたかった、


関係の中で実際に渡していた合図をこちらにまとめています。

 

>> 好かれるために消していた境界線と、自分の「場」を守る視点はこちら