こんにちは、リカです。
「先に謝れば、これ以上悪くならない」
昔の私は、
本気でそう思っていました。
相手が怒っている。
声も少し強くなっている。
周りの空気まで重くなっている。
そんな時は、
とにかく早く謝った方がいい。
こちらにも少しでも落ち度があるなら、
先に認めた方が話は早い。
相手の気持ちを受け止めれば、
その場も落ち着く。
そう信じていたんです。
だから私は、
何が起きたのか確認する前に謝っていました。
自分の責任がどこまでなのか考える前に、
「すみません」と言っていました。
謝罪の速度だけなら、
かなり優秀だったと思います。
でも、
謝った瞬間に話が終わるとは限りませんでした。
むしろ、
そこから相手の言葉が強くなることがあったんです。
その日は、小さな確認漏れから始まりました。
職場で、
私が担当した仕事に一つ確認漏れがありました。
大きな事故ではありませんでした。
修正すれば間に合う内容で、
私にも見落としがあったことは事実です。
だから呼ばれた時、
まず謝ろうと思いました。
相手は資料を机に置き、
少し低い声で言いました。
「これ、確認した?」
私は資料を見て、
見落としていた箇所に気づきました。
胸のあたりが一気に固くなり、
周りの人の気配が急に近く感じられました。
早く認めなければ。
言い訳だと思われる前に謝らなければ。
そう思って、
私はすぐに言いました。
「すみません。私の確認不足です」
これで話は、
修正方法の確認へ進むと思っていました。
でも、
相手の表情は緩みませんでした。
謝ったあと、過去の話まで始まりました。
相手は資料を指で叩きながら、
こう続けました。
「本当に分かってる?」
「前にも似たことあったよね」
「いつも詰めが甘いんだよ」
私は少し戸惑いました。
今回の確認漏れについては、
すでに認めていました。
修正するつもりもありました。
でも話は、
以前の仕事や普段の態度にまで広がっていきました。
「返事も曖昧な時がある」
「自分ではちゃんとやってるつもりなんだろうけど」
「そういう甘さが周りを困らせるんだよ」
私は、
もう一度謝りました。
「すみません。今後気をつけます」
すると相手は、
さらに声を強くしました。
「気をつけますって、いつもそれだよね」
謝れば終わると思っていたのに、
謝罪が次の責め言葉を呼び込んでいました。
私は、謝り方が悪かったと思いました。
その場にいる間、
私は自分の謝り方を点検していました。
声が小さかったかもしれない。
反省しているように見えなかったのかもしれない。
「確認不足です」と言ったのが軽く聞こえたのかもしれない。
だから今度は、
もう少し深く頭を下げました。
「本当に申し訳ありませんでした」
でも、
相手はそこで止まりませんでした。
「謝ればいいって話じゃないんだよ」
私は頭の中で、
少し混乱していました。
謝らなければ、
素直に認めないと言われる。
謝れば、
謝ればいいと思っていると言われる。
何をすれば正解なのか分かりませんでした。
それでも私は、
相手の言い方ではなく、
自分の謝罪技術を直そうとしていました。
私は、場を静かにするために謝っていました。
振り返ると、
当時の謝罪には二つの目的が混ざっていました。
一つは、
自分の落ち度を認めること。
もう一つは、
相手の怒りを早く止めることでした。
私はこちらの方を、
かなり強く求めていたと思います。
相手の声が小さくなってほしい。
周りの人に聞かれたくない。
早く自分の席へ戻りたい。
だから、
どこまで自分の責任かを確認するより先に謝りました。
内容に納得できていなくても謝る。
事実関係が分からなくても謝る。
相手の感情まで、自分の落ち度として謝る。
私は謝罪を、
非常口のように使っていたんです。
ただ、
その非常口は毎回、外へつながっているわけではありませんでした。
相手には「もっと押しても大丈夫」と見えたのかもしれません。
これは、
あとになってから考えたことです。
私は謝ることで、
反省を伝えているつもりでした。
でも相手から見ると、
別の情報も伝わっていたのかもしれません。
強く言えば、すぐ認める。
話を広げても反論しない。
過去のことを持ち出しても謝る。
人格に触れても、その場を離れない。
つまり、
ここまで言っても大丈夫な人。
私は関係を壊さないために謝っていました。
でも結果として、
どこまで踏み込んでも止めない人に見えていた可能性があります。
当時の私には、
その違いが分かりませんでした。
謝れば誠意が伝わる。
誠意が伝われば、相手も落ち着く。
その流れを、
どんな相手にも当てはめていました。
講座では、謝罪のあとに対話が続きました。
コミュニケーションについて学んだ時、
謝罪は関係修復の入口として扱われていました。
まず自分の非を認める。
相手の気持ちを受け止める。
そのあとで事実を整理し、今後について話す。
その考え方自体は、
今でも理解できます。
お互いに関係を直したいと思っているなら、
謝罪は大切だと思います。
ただ、
現実では謝罪のあとに対話が始まらないこともありました。
こちらが認めたことをきっかけに、
さらに責任を広げられる。
一つのミスが、
性格全体の問題に変えられる。
相手の苛立ちまで、
こちらの責任として追加される。
方法が間違いというより、
使う相手と場面を見ていませんでした。
謝れば対話に移る人と、
謝罪を入口にさらに押してくる人を、
同じように考えていたんです。
帰宅後、私は反省文のようなノートを書きました。
その日の夜、
私はノートを開きました。
何が悪かったのか。
なぜ相手は納得しなかったのか。
どう謝れば、もっと誠意が伝わったのか。
私は会話を何度も思い返しました。
目を見ていなかったかもしれない。
謝るのが早すぎて、軽く見えたかもしれない。
説明しようとしたことで、責任逃れに見えたかもしれない。
相手が言ったことは、
ほとんど検討しませんでした。
今回の確認漏れと、
私の性格の話は本当に同じなのか。
以前の仕事まで持ち出す必要があったのか。
人前で言い続ける必要があったのか。
そこを見る代わりに、
私はよりよい謝り方を研究していました。
反省点の抽出だけは、
毎回とても効率的でした。
自分以外の問題は、
ほとんど抽出されませんでした。
謝罪と全面降伏を、同じものにしていました。
私にも見落としはありました。
そこは認める必要があったと思います。
でも、
確認漏れを認めることと、
相手の言うことを全部受け入れることは別でした。
今回のミスについて謝ることと、
「いつも駄目な人」という評価を認めることも違います。
修正を約束することと、
相手が満足するまで責められ続けることも同じではありません。
でも当時の私は、
謝った以上は反論してはいけないと思っていました。
途中で事実を説明すると、
謝罪を取り消すことになる気がしたんです。
だから、
「そこは私の確認不足でした。ただ、この点は違います」
という二つの話を、
同時に持つことができませんでした。
謝るか。
反論するか。
どちらか一つだと思っていました。
一つ認めると、全部自分の責任になりました。
私が謝ると、
相手は「自分が正しかった」と確認できたように見えました。
その確認漏れは私の責任。
そこまでは事実です。
でも、そのあとに続いた話まで、
同じ流れで認めることになりました。
相手が不機嫌になったこと。
相手が忙しくなったこと。
職場の空気が悪くなったこと。
以前の仕事がうまくいかなかったこと。
気づけば、
一つの確認漏れから、かなり広い範囲を担当していました。
私が謝るたびに、
責任の境界線が外側へ広がっていったんです。
その広がりを止める言葉を、
私は持っていませんでした。
というより、
止めていいと思っていませんでした。
早く終わらせるための謝罪が、同じことを繰り返していました。
その場だけを見ると、
謝ることには効果がありました。
しばらく責められたあと、
相手は言いたいことを言い終えます。
私は席へ戻ることができます。
だから私は、
何とか収まったと思っていました。
でも数日後、
似たようなことがまた起きました。
相手の機嫌が悪くなる。
小さなミスを見つけられる。
私がすぐ謝る。
話が別の不満まで広がる。
その場は終わる。
また繰り返される。
私は火を消しているつもりでした。
実際には、
毎回同じ場所へ消火器を置き直していただけかもしれません。
相手にとっても、
私へ強く言えば最後には謝るという流れができていました。
謝らない人を見て、ずるいと思ったこともありました。
職場には、
何か言われてもすぐには謝らない人もいました。
まず状況を確認する。
自分の責任でなければ説明する。
相手の声が強くても、必要以上に小さくならない。
そんな人を見ると、
昔の私は少し苦手でした。
素直じゃない。
謝った方が早いのに。
相手を刺激して面倒にならないのだろうか。
そう思っていました。
でも、
その人たちは謝らないのではなく、
何について謝るのかを確認していたのだと思います。
自分の責任ではないことまで、
反射的に引き取らなかった。
私はそれを強さや図太さだと思っていました。
今は、
責任の範囲を混ぜないための動きだったのかもしれないと感じます。
私は、謝らない練習ではなく、すぐ謝らない練習をしました。
気づいたからといって、
急に堂々と話せるようになったわけではありません。
今でも相手の声が強くなると、
反射的に「すみません」と言いそうになることがあります。
ただ、
以前より少しだけ間を置くようになりました。
まず、何が起きたのか確認する。
自分の責任はどこまでか考える。
事実と相手の感情を分けてみる。
本当に自分のミスなら、
そこについて謝る。
でも、
人格の話や別件まで一緒に認めない。
相手が怒っているからという理由だけで、
全部こちらの責任にしない。
謝らない人になるのではなく、
謝罪を自動反応にしない。
私には、
そのくらいの変化がちょうどよかったです。
謝ったあと、話がどこへ進んでいるかを見るようになりました。
以前は、
謝った瞬間に自分の役目は終わったと思っていました。
あとは相手が納得するまで、
言葉を受け止めればいい。
でも今は、
謝罪のあとに何が起きるかを見るようになりました。
相手は事実を整理し始めるか。
修正方法の話へ移るか。
お互いの確認不足を見ようとするか。
それとも、
過去の不満や人格批判を追加するか。
謝罪を受け取って対話へ進むのか。
謝罪を足場にして、さらに責めるのか。
そこには、
かなり大きな違いがありました。
謝るべきことと、引き受けなくていいことは同時にありました。
私は以前、
自分に少しでも落ち度があると、
相手の言い方まで受け入れなければいけないと思っていました。
でも、
一つの場面には複数の事実があります。
私に確認漏れがあった。
それは謝る。
相手が人前で人格まで責めた。
それは別の話です。
私の説明が不足していた。
そこは見直す。
相手が過去の不満を追加し続けた。
それまで全部、私の責任にはしない。
どちらか一方だけを選ばなくてもよかったんです。
私にも改善点はあった。
でも、それと感情をぶつけられることは別だった。
この区別ができるまで、
私は一つ謝るたびに自分全体を差し出していました。
謝れば収まる関係なのか、謝るほど広がる関係なのか。
もし今、あなたも、
誰かの声が強くなるとすぐ謝ってしまう。
謝ったあとに、
別の不満や過去の話まで追加される。
最後には、
何について謝っているのか分からなくなる。
そんなことが続いているなら。
謝罪の言葉だけではなく、
謝ったあとの流れを見てみてください。
相手は、
問題を整理しようとしているでしょうか。
あなたが認めた範囲で話を止めているでしょうか。
それとも、
謝罪をきっかけに責任を広げているでしょうか。
謝ること自体が悪いわけではありません。
ただ、
謝罪と全面降伏を同じものにしなくてもいい。
少なくとも私は、
そこを分けないまま相手の感情まで引き取っていました。
また反射的に「全部私が悪い」と言いそうになった時に、
何について謝るのかを一度確認してみてください。
謝罪が関係修復になる時と、
さらに押し込まれる入口になる時の違いを、
こちらにまとめています。