佐伯が箝口令を引いたようで、その後ARSのこともShoのことも言う者は誰もいなかった。
渡海が必要以上に仮眠室から翔を出さないと言う所もあるが。
オペも基本、高階だけでなく渡海が入るオペは必ず見学している。
そんなある時、ナースの花房と当直中に話していた声が聞こえた。ナースの花房もこの春から東城大で働いている新人ナースである。
「山田先生は熱心なのですね」
縫合の練習をしている所に花房が検査結果を持ちやってきた。
「全ては練習の中にある。ペレの言葉です。」
「ペレ?」
「えっ?、サッカーの神様のペレ」
「ああ」
かなり前の選手のため、花房が知らなくてもおかしくない
「悔しかったんです。もう何にもできない自分が嫌で嫌で…あの渡海先生を見返してやろうと思って」
「私も早く1人前になれるよう頑張ります」
当直中
プルプルプル━━
「はい、心臓外科」
『桜ノ宮病院から救急搬送の患者です。60代男性。腹部大動脈瘤が破裂しかけています。腹部を開けての緊急手術が必要と思われます。心臓の僧帽弁疾患も合併していて来月手術を予定していたそうです』
「分かりました」
『第一オペ室に運びます』
「直ぐ渡海先生と櫻井先生に伝えます」
救急搬送要請があった。
直ぐに仮眠室に行き渡海と櫻井に伝えようとするが…
いない。
高階はもう帰宅している。
渡海先生がいない。僕がやるしかないのか…
落ち着け、手順は分かっている
練習は何度もやってきた
出血が少なければ腎静脈を剥離して
腎動脈から遮断
その際確実に腹部大動脈を遮断する必要がある
それから…それから
山田は自分の中でシュミレーションをし
覚悟を決めてオペ室に入ると
渡「スパーテル」
翔「はい」
渡「ガーゼ」
翔「はい」
オペをしている渡海先生と櫻井先生の姿があった。
渡「早くしろ」
山「はい」
慌ててオペ室に入り見学を行う。
この二人がいたら、自分のすることは何もない。ならばしっかりと見学をさせてもらうだけ。
渡「吸引」
翔「はい」
渡「メッツェン」
翔「はい」
渡海が執刀し櫻井がオペ看兼第一助手として入っていた。オペは流れるように無駄な動きなく進んでいく。本当に櫻井の器具だしのタイミングも術野のとり方もうまい。
渡「右の人工血管終わり。次左いくよ4-0」
翔「はい」
しかし、渡海はここで止めてしまう。
「渡海先生?」
渡「やめた」
山「えっ?先生、あの左の縫合がまだ…」
渡「じゃあお前やれよ」
山「えっ?」
そう言って指名してきたのは、櫻井ではなく山田であった。
渡「全ては練習の中にある。お前ペレになりたいんだろ?」
山「いやっ」
渡「そんな昔の選手…知らないよな?」
一緒に入っていた花房に話を振る。
花「えっ、あの…」
渡「あっ、でも翔は知ってるのか。サッカーやってたからな」
翔「知ってますよ。もちろん」
渡「やれよ。俺を見返したいんだろ?」
山「いやっ、それは違うんです」
渡海は有無を言わせない目で山田を見て左の縫合をやるように指示する…
と言うよりも、この場合失敗したとしてもいくらでもフォローができる。ならば研修医に経験を積ませるのも指導医としての役目。
山田の表の指導医は高階であるが、総括は渡海が行っている。だから渡海のオペ見学もできるのである。
翔は山田に持針器を差し出す
「おい、研修医大丈夫か?」
そこへ見かねた麻酔医が山田に声をかける
渡「私の指示ですけど何か?」
「いえっ…すみません」
山田は渡海の目をみて本気なのがわかり覚悟を決め、櫻井から持針器を受け取る。
(落ち着け…縫合だけだ。練習は何度もやっている)
持針器を持つ手が震え…
山田は自分に言い聞かせて、左の人工血管の縫合を始める。
始めは手が震えるが、少しずつ進んでいき
「よし」
縫合が終わり、外科結びを行っていく。
山「メッツェンお願いします」
翔「はい」
山「はあ~、できた。渡海先生」
渡「ペアン外せ」
山「はい」
ペアン鉗子を外す
その瞬間
プシュー
櫻井がガーゼで止血しつつペアンを山田から奪い取り再び遮断する。
渡「人一人殺したな…ああ、二人か。翔」
翔「はいはい。渡海先生ちょっと意地悪すぎですよ」
渡「お前言うようになったな。後で覚えてろよ」
山田に代わり左の人工血管を縫合し直す。そのスピードは山田のそれとは全く違う。
「左の人工血管終了です」
もちろんペアンを外しても血液が溢れることなどない。
これをモニター室で見ていた、高階は慌ててオペ室から出てきた渡海の元に行く。
「渡海先生、いくならんでも山田くんにやらせるのは早すぎじゃないですか?」
「高階、お前いたならやれよ。だいたい、練習なんていくらしたってな、実践を積まなけりゃ上手くならね。なら積ませることも指導医の役目だろ」
「だからってあんな言い方」
「腕のない医者は死んだ方がいい」
そう言うと渡海は高階の元から去っていった。
続く…