何回でも言う。
お金が無ければ病はない。
お金が無くなれば、後遺症は後遺症では無くなる。
この世は、それに、気づけるか、気付かずに、逝くか。
2つしかない。
お金が無ければ、必要最低限の生活しかしない。
病が生まれるはずがない。
常に必要不可欠な生活になる。免疫力は上がり、活力も、出る。鬱すら存在しない。
適度な生活が続く、病になる理由がない。
後遺症を持っても、お金が無ければ、後遺症という現象、意味にすら、ならない。
後遺症は、個性でしかない。
お金が無ければ、後遺症は、個性になる。
だが、お金を保持しようとする、お金をちゃんと使わない、後遺症を治そうとしない、
だから、後遺症は後遺症になる。
後遺症は、全てのお金を出せば、必ず治る。
全てという意味を理解出来ないから、治らない。
治らない、治る、ではない、
後遺症は個性になる。
個性?というレベルすらも、薄れ、自分自身になる。
だが、多くは、中途半端にしか、お金を投資しない。だから、後遺症は、後遺症にならしめる。
ならしめてるのは、自分自身。家族だ。
分かりやすく説明する。ぞ。ええか。
俺の耳は、生まれつき、無い。
聴力がない。
お金もない。借金しかない。
生きるための、お金しかない、
生きるためのお金すらも、なく、借金して、生きてきた。
それが、40年。まだ、終わっていない。
だから、それで、生きるしかない。聴力がない。だから、どうする?いや、生きるしか無いのだよ。
けど、生きずらい。非常に生きずらい。授業中、先生が何を言ってるかも聞こえない。だから、どうする?
いや、やるしかないんだよ。
友達に聞く、うざがられても聞く、頭下げてでも聞く、ノートを見せてもらう、クソ野郎だな、と思われながらもお願いする。ひたすら、自主的に勉強する。リスニングのテストは、0点、仕方ない。だから、どうする?
仕方ない。それが、宿命で、与えられた試練だと思うしか無い。
なぜだ、なぜ、僕だけ。だから?
だから、どうする?いや、
やるしかない。生きるしか無い。人よりも、何かを、やるしかない。考えるしか無い。
そうやっていくうちに、
いつしか、人を超える。
普通の人ではなくなる。
あれ?
これは、、、俺にしか無い能力なのか?、、
いつしか、個性になる。
パーソナリティになる。
才能になる。
特殊能力になる。
それに気付くのに30年以上
かかる。
だから?
長い?長すぎる?は?
は?
はぁ?
何言ってんの。人生舐めんなよ。