正義とは何か | どんなに有名で地位と名誉と権威のある治療家や医師に絶対治らないと言われた後遺症でも根本再生させる妥協なき機能回復のブログ

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では、正義とは何か

この世の疑問は尽きる事はない



正義からすると悪は悪だが


悪は

正義に勝たないといけない
のであって


悪から見たら
正義が悪だ





悪にだって

家族がいて、友人がいて
養っていかなければならない

自分自身も生きていかなければならない


悪だと言われる人達も
ここまで、色々な事があって

悪になってしまったのだが







僕だって、

その境遇にいたのなら、悪になっていたかもしれないし





いや、もはや、僕が悪なのかもしれない


なぜなら、

根本的な改善に向かってもいないのに

目先の効果だけ出して、その日のうちにお金を貰ってサヨナラする病院とか

一般カス治療院を批判しているから

その95パーセント以上の普通の治療院や

病院のセラピストからすると

僕は悪でしかない

セラピスト業界での

多数決を取るなら


圧倒的な悪だろう






確かに、ここまでやって来て


腕だけでは、9割5分以上は救えても

9割5分以上の5分は救えない事もある事を知った



ならば、

世界最高峰の腕に


ビジネス戦略というより

当たり前の妥協なきビジネス理論



これも、もちろん必要だ


漫画ブラックジャックのまま

この現代に降り立てば


ブラックジャックは、即座に廃業しているだろう



それは、ブラックジャックが

やはり、漫画の世界で


僕が、この変わり果てた現代の


生ける伝説であり


もし、僕が
あのままのブラックジャックだとしたら

僕は、ここには

間違いなくいないだろう






それも


ブラックジャックのまま

この変わり果てた現代に

リアルに生きているからこそ


リアルに感じ

経験しているからこそ


言える事なのだ




誰も、こんな破天荒な生き方はしない



なぜなら、すぐに、命を落とすからだ



もう、目の前には崖



そんなところは、誰も歩かない




だが




だからこそ歩いてみる



そんな人間が1人くらいいたって良いだろう



そうやって、昔からブログで書いていました




そうやって、セラピスト側からは悪だと言われ


クライアントさんからは、全くの真逆の信用を得て


そんな、究極の山あり谷ありの中




もはや、自分が悪なのか

正義なのか

はたまた



人間なのか?

宇宙人なのか



良くも悪くも

「なぜ、そこまで、やれるのか」



そうやって、言われながら

生きてきた


僕だからこそ

分かる




明日生きるか死ぬか


分からないのは、僕だけでなく

もちろんクライアントさんもだ


僕だけでなく

クライアントさんも


明日生きるか死ぬか

それくらいの気持ちで戦っている





悪なのか正義なのか

だけでなく


生きるか死ぬか



そんな、世界を見ながら


ここまでやって来て

分かる事






「悪も正義もどちらもない。だから、悪は悪で生き、正義は正義で生きろ。正義は正義で生き、悪は悪で生きろ。」


ということだ



2回繰り返したのは


悪も正義もないという事だ




もちろん、仕事においてである


殺人などの犯罪を許すなどと言った

世の中の善悪についてではない




そんな事は絶対に許されない


僕だって

自分の家族に何かあった時は


その犯人を、命に代えても、引きずり出し
死ぬほど死ぬほど後悔させてやる、つもりだ

そうなれば、僕は悪だが

でも、僕自身は正義だ




そう、最近、物騒な世の中だから

そんな事も考える



僕は今は妥協なき機能回復だが

自分の家族が、もし、殺されたりするならば


僕は、この妥協のない気迫を

おそらく、犯人に対する復讐の鬼になるだろう

その勢いとなれば、まさに、妥協なき精神

治らないと言われている後遺症に、これでもかと1人で食らいつく気迫そのまま


犯人に、死ぬほど後悔させてやるまで
諦めない


人生を、その復讐に捧げる


かも、しれない、、、


そう、人はいつ悪にも正義にもなるかは分からない


その中で


もはや、悪だの正義だの議論する意味はない



心の中で悪だと決め




なければ、正義だとも思う事も出来ないので


心の中で悪だと決め



自分を鼓舞すれば良い




各自が鼓舞すれば良い





決められた範囲の中で



各自が鼓舞すれば良い





ブログで批判?





まぁ、ブログですからね




もう、特定個人の名指しで批判するような事もなくなって




ブログで、出来る範囲の中で、やっているつもりだ



そうやって、鼓舞するのなら、



各自が勝手にやればいい




僕の批判をする悪も



たくさんいるだろう


Facebookや、ブログ、掲示板



様々なところで、批判をすればいい



それは、悪にも許された権利だ



僕は何もする気はない




それが、悪を鼓舞する

権利だからだ





そう、お互いだ



お互いがお互いだから




お互いが、各自を鼓舞するやり方で




あとは、目の前の望む人を




どうにかしてやれば良い





その結果だけしか必要ない




望む人がいるのなら、その人のために生きろ。



僕も


僕を信じてくれる人のために

妥協なく生きる。










人生は。深い。


こんな話は、永遠に尽きる事がない。