理解するには超難関だが、、、妥協なき機能回復を目指す者ならば必ず考えなければいけない視点 | どんなに有名で地位と名誉と権威のある治療家や医師に絶対治らないと言われた後遺症でも根本再生させる妥協なき機能回復のブログ

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妥協なき機能回復のブログです

さて、昨日は専門家なら誰もが、理解出来ないオチで締めた事で、驚かれた方もたくさんおられると思いますが、ネタじゃないですよ(笑)


絶対に必要だとは言いたいが、現実立場的に言えないので、誤解のないように退院のために悪くはないイベントだったと思ってます。と言い直しておきます

と、いうより、事故が起こった事は偶然だし、患者さんが約束を破って勝手に動いた事から起こった事で
現実仕方のない事故でしたから、自分が故意に転倒するように導いたなど絶対に勘違いしないようにしてくださいね。そりゃ転倒しないにこした事はないんですよ。しない方が良いのだが。絶対ではない事に気付いたんです。

というか、なにかしらアクシデント、事故がある。というのは妥協なき機能回復にとって、絶対ではないが、必要な事ではないのかという気付いたんですね

ん~、必要ってか、それを経験し、しっかり学習するという事が必要なのかな
と考えるようになったんです。

死ぬ気で止めたが、避けられない事故が起きた時に

いや、長い期間1人の患者さんのリハビリに携わる事で

妥協なき機能回復の1つの究極の理論とも言えるべく事に気付いたんですね



まぁまぁ、即座に決めつけずに、純粋に僕の考えを聞いてみてください

患者さんは別にして、一般的なセラピストの固い頭で理解しようとしても無理ですから、こういう事は素直に学んでください



では、ゆっくり説明しますね

まぁ、まず、患者さんのここまでの入院生活の問題点で、
全部は挙げれてないですが、とにかく病棟スタッフの話を聞かない。頑固。などの性格で(器質性精神障害も病名あり、過去ブログで紹介)

というか、もう発症30年ですから、発症当時は20代前半なんで、転倒なんて数え切れないほどしてたみたいです。失調症あるんで、しかも、若いから、リスク考えて車椅子なんて絶対に話すら聞かなかったらしい。(20年くらい前の話では。だから、家族の方も本人の好きにさせてください。くらいの感じだったらしい。無理に促すと暴力などが出るからです)

失調症って軽い介助があれば普通に歩けたりする事が多いから、病識が欠如しやすいんですよね。認めたくない、否認に近いものが出やすい。だってふらつくし、つまづくけど、手足はけっこう動くわけですから

脊損なんかの患者さんでもいつまでも障害受容出来ずに歩こうとされる方もいますからね

やっぱり障害の受容って

なかなか出来るものじゃないですよ

本当にどうしようもない難しい疾患である、例えば脊損の方なんかは別にして

片麻痺なんかで、もし受容出来てる患者さんがいたら

僕は即座にその患者さんが携わった周りの医療スタッフ(医師、リハビリ専門家)のレベルの低さと人間性の低さを読みますね

そうでしょう

いつも、なんとか必死に励まして障害を受容させてるのは周りの人間でしょうも!

腹立つ!(笑)



ま、話を戻しまして

だから、30年ぶりに、新しい感覚で、少しでも立ったり歩けたりしたものなら
(すでに振戦なんかも少しずつ落ち着きだして、上肢の動きもじわじわ上がってきていた)


その抑え込まれてた気持ちを爆発させずにいられると思います?



おっと、だからって、転倒してしまった事の言い訳をしてるんじゃないですよ

まぁ、結果論ですが、今は痛みもなく、日常生活営むレベルには歩けているので言える事ですが

その動きを達成できなかった年数分の爆発的な喜び、興奮が当たり前に襲ってくるという事が言いたいのです

例えば片麻痺生活が1年続いた人と、5年続いた人とでは

回復した時の驚き、喜びは1年につき、10倍で、50倍くらいは違うと思うんです

僕は片麻痺になった事がないから分からないが

それほど辛いものだと思ってます
(ま、だから妥協なき機能回復を目指そうと思ったんですが)

長期の障害から回復に導いた者にしか分からない

そこから見える精神異常とも言えるべく、患者さんの精神的な現象があるわけです



これは妥協なき機能回復を目指すセラピストは絶対に知っておかなければならない知識です

妥協なき機能回復を目指すものは、こういうリスク管理を考えながら長いリハビリを行っていかなければならないと思うのです

あ!普通のセラピストは知らなくて良いですよ。だって知ってても意味ないから。プラトー越えた患者さんを回復させる腕なんてないでしょうから。見ることがない現象ですんで。

ま、話戻しまして


僕はどの専門家よりも障害を持つ辛さを分かっていたつもりだが、患者さんの鬱憤や喜び、驚き、興奮はもっと上を行っていたんです
それは、確かに反省もしました

でも、やるだけやったが、あとは身体を縛り止めておくくらいしか、その時は浮かばなかった(そんな事は出来ないので)

まだ、臨床経験も浅く対処出来てなかった



だから、喧嘩するくらい、てか、喧嘩もしましたが

それでも、30年ぶりの良い感覚を抑える事が出来ずに
患者さんは動いてしまった
その人曰く、30年ぶりに洗濯物を車椅子に乗らずに出来ると思ったそうです

ま、そういう事で転倒してしまったんですが


で、で、そういう難しい経験を積んでいくと、どうも、その方だけじゃなかったわけです

他の方も、嬉しさのあまり
自分で無茶な動きをしようとする事が分かったんです

そして、共通しているのは
患者さんがあとから言う言葉

出来ると思った

久々だからついつい嬉しくてなど

抑える事が出来なかったわけです


もちろん全部事故につながったわけじゃないですよ(笑)

ヒヤッとする場面がかなりあったわけです



もちろん、強く注意するし、監視を強化したり、中にはベルトをしたり、事故を防ぐためにあれこれしました

でも、やはり、長いリハビリの期間

何か起こる。スタッフも1人の人にずっと付いてるわけにもいきませんしね



で、様々なアクシデントがありましたが、

ここに来て

ある事に気付いたんです


もともと、今のリハビリ医療に見放された患者さん達

その方達を日常生活自立まで持っていくためには長い期間がかかり(慢性期の片麻痺なら2年)、超難関な事であり

でも回復に持っていきたいのなら

一度なんらかのアクシデントなり、ケガなりはつきものだし(監視カメラでずっと監視できるわけでもないし)

そもそも、人間の造りから考えても、後悔や恐怖なんてものは、生きる上でもっとも大事な感覚の1つでもあるからです


今上で言った事を詳しく述べると



後悔からの乗り越えや恐怖からの自然な防衛機能は

長い人生をより有意義に過ごすために大事な事だと思ってます

これが言いたかった(笑)

今日の内容だけだと、妥協なき機能回復の 何に有意に働くか理解が出来ないですよね

ま、難解すぎる内容かもしれないですが

これはこの小脳の患者さんが退院し、自立した生活を送る上での大事なアプローチの1つだったと思ってますんで頑張って書いていきます