こんにちは☆
  本日2回目の投稿です(笑)

  ホテルでの朝食(和定食)を堪能して。


  というか、かなり豪華✨
  美味しかったです(笑)

  次は「椿大社」へ。

  境内がものっそい広くてですね。
  ここは「伊勢国一之宮」、全国にある「猿田彦神社」の総本山なのだそうです。
  ここでチビ兄弟達を将来を開いてもらおうと、「みちひらき守」を購入。旦那も欲しいと言ったので、家族分買いました(笑)
  残念なことに、写真は撮っていないのでありませんけど、六角形の可愛い(?)手のひらサイズのお守りです(チビ兄弟には明るい茶色と黒を、私と旦那は明るい茶色と白を選びました)

  そして、




   狛犬さん。
  寒いのにとっても元気(笑)




  全部で4(×2なので8)対いましてね。
  何だか阿形さんが「構えタイプ」、吽形さんが「スンッ」ってすましてるタイプに見えました。
  どれも可愛い"(∩>ω<∩)"

  何となく尻尾が葉っぱに見える子もいて


  横から吽形さん撮ったら見えない……(  ¯꒳¯ᐢ)
  でもって、阿形さん撮ったら「スンッ」てされました。先に撮ってもらいたかったみたい。


  目立ちたがり屋さんのよう(笑)

  それから境内の外のお土産屋さんで


  椿の練り香水を購入。
  後で試したら、いい香りでした(笑)

  それからまた移動して、


  滋賀県は信楽陶苑たぬき村へ。
  ぽんきちなのでたぬき欲しいと、寄ってみたのですが、たぬき高いᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
  小さなものでも2,000円はしますね。
  結局はたぬきのぬいと、滋賀県の琵琶湖を背中に背負う、びわこにゃんこなるぬいを購入。


  にゃんこはこんな感じで、父の形見の帽子の中に入っております(笑)
   上に乗ってるのは先住犬の「きち」(土佐犬)です(ちなみに、名前は「もち」になりました。もちもちしてるからだそう)

  それから「千代保稲荷」に寄って、再び参拝して(欲しいものも購入し)、帰ってきたのです。

  なかなか充実した旅行でした。
  ハードオフメインだとあまり楽しめないので(PCは分からない)、たまには観光目的での旅行も行って欲しいかなと思いました(笑)

  22年目の記念日はどこに行くのかしらん?
  1年後だけど、楽しみです☺️

  それではー(* 'ᵕ' )☆





 

  こんにちは☆

  12月27日と28日は、三重県へ一泊二日の旅行に行っていました(* 'ᵕ' )☆

  今回はハードオフ巡りは帰り際に、ということにしてもらい、久々に私の行きたい所に。

  最初は伊勢湾フェリーに乗るため、伊良湖岬まで。鳥羽港からは乗ったことありますが(チビ弟もその時はいた)、伊良湖岬からは多分初めて。

  結構波が高くて、揺れましたね(酔うまでには至らなかった)

  鳥羽港からは伊勢神宮へ。
  今回は神宮には入らず、


  鳥居だけ撮らせてもらいました。
  おかげ横丁で色々見て、「伊勢うどん」を。
  私は結構好きですねぇ。とてもフワフワで美味しかったです(基本的に、うどんはクタクタに煮るのが好きなタイプなのです)

  その後は伊賀上野城へ。
  伊賀上野SAで「どて煮定食」を頂き、食後の運動(でもない)にと(笑)




  伊賀上野城は「藤堂高虎」が改修した城(築城者は筒井某)。頑健な身体を持ち、力持ちだったとも伝わる戦国武将です。

  復興したのは「川崎克」というお方。
  衆議院議員だった彼は、廃城となり朽ち果てた城を復興させようと、私財を投じて藤堂高虎が建てた当時と同じように建て直したのだとか。

  階段が急だと旦那は言ってましたが、それって普通では? と思った高知県民(元)です(笑)
  高知城も階段キツイしね(あれ? そこ?

  本丸の前の大きな鯱の前で、チビ兄弟の写真を撮った記憶が(笑)  今もそうだけど、チビ弟は鯱好きですねぇ(姫路城の鯱に✨してたし)

  城内を散策して(迷ったとも)、駐車場に戻ったのが16時過ぎ。随分日が傾いて、寒かったです。

  それからホテル行って一泊し(詳細は旦那のブログでどぞ(っ´∀`)っ)、のんびり過ごさせていただきました(笑)

  あとはまた後程(o・・o)/~






 
  こんにちは✨
 
  昨日は「国宝五城」のうちの1つ、姫路城へ行ってきました( *´꒳`*)
 
  チビ弟くんが長年行きたがっていた城でもあり、私も20何年ぶりに訪れる城とあって、楽しみにしてました(笑)
 
  感想?
  もうそれは「凄い」の一言ですよねぇ。
 
 
 
 
  瓦はもう黒くなりかけてましたけど、圧巻の一言です。西と東に小天守を構え、その他もろもろの櫓が存在する、西日本最強の風格を備えた城。
 
  南北朝時代に赤松貞範という武将が姫山と呼ばれる小高い丘に城を建てたのが始まりとされ、後、黒田某、羽柴某、池田某によって改修され、現在の形は関ヶ原の戦いの後に封じられた「池田某」によって何年かの月日を経て改築、増設されたものだとか(ちなみに、池田某の父親はかの織田信長の乳兄弟で、長久手の戦いで長男と娘婿と共に戦死)
 
 
 
 
  石垣もそうなんですけど、めっちゃ青空に映える城で、恐ろしいくらい綺麗な青空に映えてました(この後、帰る時にはめっちゃ曇って雨も降ってた)
 
  
 
 
 
 
  天守には「刑部大明神」が鎮座し、祀られています。20数年前は、天井の梁のとこに祀られてたと思ったけど(そして、今のその場所にお土産屋があった)、記憶違い? いや、間違えてないはず。
 
  そして、
 
 
 
 
  こにゃにゃものも(笑)
 
  うーんと、ある地点から見ると、岐阜の「郡上八幡城」に見える、と気付きましてね。
  弟くんと一緒に「郡上八幡城だ」と言っておりました(マジでそうとしか見えなかった)
 
  昨日までの特別公開の「との一門、二門、トの櫓」も見てきました(その前に「お菊井戸」も見てきたのですが、うん、やっぱり凄いね)
 
 
 
 
  播州皿屋敷で知られる、女中のお菊さんが縛られて吊るされ、殺された井戸。或いは切り捨てられて遺体が投げ込まれたとも。
 
  そして、
 
 
  やはり外せないのは「御城印」
  池田家の家紋、揚羽蝶です。何だか「おしロボット」とかいう、よく分からんものもありましたけど、基本のものを選びました(というか、よく分からんかったのもある)
 
  姫路城は様々な伝説に彩られた城です。
  その伝説は古くから人々を魅了し、戯曲化、舞台化されて人々の心に残り、今もなおその存在感で人々を魅了しています。
 
  愛される城とはこういった城を言うのかと、そう実感し、充実した見学でした。
 
  人が多く集まるのも頷けますね( *´꒳`*)
 
  伝説の話は、気が向いたらまたいずれ。
 
  それでは*˙︶˙*)ノ"
 
 
  こんにちは☆
 
  そういえば、ふと思い出したのですが。
  妹ちゃんと一緒に、第三十七番札所 岩本寺に行った時、お遍路さんを何人か見かけました。
 
  バスやツアーなどで行くお遍路さんではなく、ちゃんと歩いて巡礼するお遍路さんです。
 
  私、その歩いて巡礼するお遍路さん見たの、実は初めてでしてね(高知にいた時は、チャリで竹林寺に行っていたもので(寺は竹林寺で、城は高知城だったな、行く所と言えば)、当時はそれほど巡礼するお遍路さんいなかったと記憶)
 
  妹ちゃんに言うと、普通に見るで? と言われてしまい。
  うん、君はそうだよね。姉は静岡だから見ないのさよ、と返したら、そういえばそやった、と納得されましたꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)あははは
 
  まぁ、帰ったら土佐弁で話するものだから、違和感なくいるものと思うのか違うのか。
 
  妹ちゃんと話をしていたら、色んなところに話が飛ぶもので(脱線する)、母も呆れていつの間にか自室に戻るという、そんな感じでしたね。
 
  まぁ、最初の話は姉も妹も覚えていないので、いっか、みたいになるのは否めません(笑)
 
  父がここにいたら、何の話をしゆぞね? と、分からない話で盛り上がる娘たちを呆れて見ているだろうと、父の遺影を見ながら話しかけてました。
 
  それにしても、お遍路さんって皆さん健脚✨
  そうじゃなければ、山の上の寺まで行けませんもんねぇ。高知は特に「修行の地」と言われるだけあって、随分離れた所に次の寺があるので(車で10分は信用ならん、と母も言ってましたが)
 
  多分、老後の楽しみにと、歩いて巡礼したら、1日に1寺くらいしか行けなそうな気がします。
 
  あ、でもどこの寺だったか、めっちゃ近くの旅館からバスで来ていたお遍路さんの団体もいましたね。妹ちゃんと一緒に
  「ちっかっ!」
と、叫んだ記憶が(笑)
 
  その寺の階段を降りる時、私先々行ってしまったらしく、妹ちゃんに怒られました( •᷄ὤ•᷅)
  母にも言いあげられ(チクられ)て、怒られました。
 
  うぅぬ?(理不尽や)
 


  こんにちは☆

  高知に行ってから随分日が経ちました。

  続きを書きたいと思います(今更のような気もしますけどね)

  22日は私の誕生日でもあったので、朝母が朝食を作って食べたあと、洗濯物やら何やらしてから、

  「あんたの行きたい寺行ってから、何か美味しいもの食べて帰ってこようか」

と、とても乗り気で準備をし(笑)

  母曰く、私が行きたいと言ったその寺には行ったことがなく、見てみたかったのだそう。

  ということで、妹ちゃんにお願いして、
  「第三十三番札所 雪蹊寺」
へ。

  ここは長宗我部元親の長男、信親の墓がありましてね。一度行ってみたかったのです。

  




  九州は戸次川の戦いで戦死した、元親自慢の長男で、あの織田信長に気に入られていたとも言われる若武者だったそう。

  墓は本堂の裏手にあり、少し侘しい佇まいでした。まぁ、悪さをされかねないのもあるのでしょうね、とても荘厳な場所に見えましたよ。

  ここは長宗我部元親の菩提寺。
  近くの山に、元親の墓もあります(行っていないけれども)

  長浜は、母の思い出の地でもあるようで、看護学校の実習で行った病院や、父と結婚したばかりの時に勤めていた病院など、色んな話を聞けました。

  父はヤンチャで、バイクや車をよく乗り潰していたそうです(確かに、よく車を変えていた)

  その後、「三十二番札所の禅師峰寺」へ。
  雪蹊寺から車で約10分との事だったので、行ってみたはいいものの、随分遠かった(田舎あるあるかもしれない) 


  本尊は十一面観音。
  結構階段を登って、最初に本堂にお参りし、その後に納経帳を書いてもらい。

  次は「第三十四番札所 種間寺」へ。




  種間寺は神社も併設。
  なので狛さん達を(笑)

  最後は「第三十五番札所 清滝寺」
  ここは山の頂上にあって、車一台通れるくらいの道で、母が怖がってしまって(でも行った)




  なかなか風情ある厄除薬師如来様と誰だっけ?
  全て覚えてる訳では無いので、なんともなのですが、准胝観音様かな?

  本堂で父の冥福と、母と妹の安寧を祈り、それから納経帳を書いてもらいに。
  そこで、にゃんこを発見(見た時はなかなかアクロバティックに毛繕いしてた)、写真を撮らせてもらって(笑)

   こっち見てって言ったら見てくれました(イケメン(美女かもしれない)な、にゃんこでした。

  結局のところ、私がカツオを食べられない(二切れ以上食べるとお腹壊すのです)のもあり、帰りがけに良さそうな所がと言っていたけれど、何も無かったので、家で食べることになり。

  その後ケーキを作る手伝いをさせられ(何故かクリーム最初失敗しましてね。新しく妹が買ってきたのです)、完成したのが20時過ぎ。  


  もうちょい見映えを考えるべきだったと、言ってましたけどね。私的には食べられるならいいと満足しております(4切れ持たされて、3切れ帰ってから食べましたし(フワフワで美味しかった)ね)

  これで第三十一番札所 竹林寺から、第三十八番札所 金剛福寺まで書いていただけたので(飛び飛びですが、第二十四番札所~第二十六番札所も書いてもらっています)、高知はあと5寺。

   父は祖父の分と自分の分廻って、祖父の分は棺に入れたと言っていたそうです(自分の分はどうしたのか、その辺は分かりません)

  そして、ついでのように本棚で発見した「死国」(坂東眞砂子さんのホラー小説)を、もらって帰ることにしたのです(タイミングよく見付けた)

  また、年末年始には帰るつもりです(チビ弟を連れて、青春18切符で)

  その時には、今度こそ父の遺骨を(結局貰えなかったのです、妹が見たくないと嫌がって、無理にとは言えなかった)貰って帰るのです。

  納経帳の梵字はまた、機会があれば⤴します。





  こんにちは✨

  20日から3泊4日で、高知の実家に来ております(私だけ)

  20日の15時過ぎに着いて、昨日は四国霊場八十八ヶ所巡礼の、いくつか回れればと、妹に運転を頼んで行ってきました。

  最初は遠くの寺に行こうと思って、
  「岩本寺」
に。

  いつものように、山道を(今回は旦那じゃないのだけど、どこか行くとなるとやはり山道)



  七子峠を越えて、「岩本寺」へ。


  ここは「三熊野神社」と併設なのかな?
 




  いつものように、狛さん(阿吽)を撮って。

 




  本堂と観音様を。

  そして、納経帳に書いてもらって。


  本尊がたくさんいらっしゃる寺でした(笑)

  それから「波切不動尊」が本尊の、「青龍寺」へ。


  手水鉢が龍でした。
  階段の途中に「不動明王」がいて。


  なかなか立派(笑)

   
  本堂へと続く山門と、階段。

 ここにも狛さんがいました(




  いい感じに苔むしていたので、可愛い♡

  もちろん、書いてもらいましたよ。


  昨日は2つの寺で断念し、帰ってきて夕飯を食べ、早々と寝たのです、父に見守られながら(笑)

  20日は着いてからほとんど、妹と話していたので(夜中3時近くまで)、さすがに寝不足でしたしねぇ。

  でもこれで遠くまで行かなくて済むので、少しは楽かなと思っています。

  今日は3か4つの寺を回ったので、また書きたいと思います(笑)

  ではー。




  こんにちは✨

  早いもので、父が亡くなってからもう1ヶ月。

  時々実家に電話はするものの、それほど用事がある訳でも無く。まぁ、母のことが心配なのもあって、気が向いたら電話するくらいにはなりました。

  妹に聞いたら、結局あの後母と話して、父の遺骨はそのまま、母が亡くなったら一緒にして墓に入れて欲しい、との要望があったそうなので、遺骨はそのまま置いておくことにしたそう。

  何しろ父も母も淋しがり屋なので(母は否定するけれども)、散骨するにしろ墓に入れるにしろ、耐えられないだろうとの事だそうで。

  ちなみに、ムスメ1は、
  「父の遺骨を分けて欲しい」
という要望を出しております(あれ? ダメかしら

  許されるのであれば「一欠片」貰って、それをレジンで固めて持っていたいと、そう思ったのです。

  あまり帰らず、親孝行な娘ではなかったかもしれませんが(手紙や誕生日には電話していたとはいえ)、父の遺骨を見ていないのもあり(母が言うには立派な骨だったそうで。膝の関節部も半月板も綺麗に残ってたとか。看護師って怖い💦)、ほんの少しでも手元に置いておきたいと頼みました。

  ちなみに、遺産というものはなく、家(築50年は経ってるな)と本と、北海道にわずかばかりの土地があるくらい(原生林になってるそうだけど)でそれをどうするかという話になるそう。

  まぁ、家は多分妹に(同居してるのは妹だし、帰るとこあればいいかなと)渡すのだろうし、本は葬儀の折に話して断られたものはあるとはいえ、欲しいものあれば貰えるだろうし、と。

  問題は北海道にある土地なだけで。
  とはいえ、妹も詳しくは知らず(10数年前に両親が北海道に行った時には、妹は上の子の面倒を見るという口実で静岡にいたので、行っていない)、何坪あるのかどこにあるのか把握していないのです。

   具体的な話は、多分四十九日の時に出るのでしょうが、どうなるのか。

  その日私帰らんといかんのんかしら。
  多分、私の誕生日近くなんでしょうけど(
  書類で終わるならいいけど、取りに行くのも大変で((((っ・ω・)っ

  まぁ、言ってくるのを待つしかないですかね💦


 

 

  こんにちは☆

 

  11日の夕方から、14日の朝まで、高知におりました。

 

  9日に実父が亡くなったとの報告を受け、13日に葬儀ということで、急いで帰ったのです。

 

  本当に『急死』という言葉が似合うほど、いきなりだったので心の準備が出来ず、また母や妹が心配で。

 

  高知に帰ったすぐの日は父に会えませんでしたが、母や妹と父の話をして何故か盛り上がり。

  母が見たことのない父や、私が見て来なかった父の話、妹から見た父の話と、どうしてこうなったのかの話を、母や妹から聞き及んで、本人が死ぬ気はなかったのにと思っているだろうねという結論に至りました。

 

  父は本当に母が大好きで、いつも「(母)ちゃん、(母)ちゃん」と側にいるような人でした。

  何をしてもそれほど怒らず、色んなものを引き出しては娘(私)にくれるような人で、よく行った所の話をしてくれました。

  母の言葉は絶対で、自分が買ったものであろうと母がいいよといえばくれるような、そんな人(笑)

 

  去年久し振りに休みが取れるから帰ろうかと、そういう話をして、無理をしてでも行って良かったかと思っています。

  虫の報せとでもいうのでしょうかね。それとも、これが最後だから(と誰もが思っていなくても)会っておけと誰かがお膳立てをしてくれたのか(神様というものは信じてはいませんが)

 

  久し振りに会う父は、本当に寝ているだけのような姿で。

  弔問に訪れた誰もが、まだ生きてるのではないのか、声をかけたら起き上がるのではないのか、まだ生きる言いよったじゃないかとか、そう言って父の頬を叩き、または撫で、最後に愛おしそうに挨拶をして、母に声をかけて参列席に座ると、そういった感じでした。

 

  家族だけでと思っていたのに、新聞に載った父の訃報を知った友人や知り合いが続々と訪れ、父も驚いたでしょうね。

  誰からも愛されるような、そんな人でした。

 

  お骨になるのを待つ間の、家族のやり取りは、随分と変わってしまったすぐ下の弟の質問から、父の従妹の話、末の弟と長兄との話やら色々として、私の息子の話(長男も次男も加わって)など、色々と話をしました。

  父の母(祖母)がそれはそれは美人で(写真が残っていたのです。もう『美人』という言葉しか出て来なかった)、若かりしときの写真をスマホの中に入れていると見せてくれたのですが(父の従妹が)、もう祖父も「男前」としか言いようがなく。

 

  そんな取り留めのない話を、お骨上げまで話して(末の弟と本の話で盛り上がりはしましたが)

 

  私は、父の遺骨を見ていません。

  妹が拒否したのと、ちらっと見えた父の遺骨を見て半分取り乱していたのもあるにはあるのです。

  妹が取り乱したのを幸い(というのも変でしょうが)に、宥めるという大義名分が出来ると、妹と待合室に残りました。

  お骨を拾っている間の時間は、泣き止んだ妹と「ミイラ」や「即身仏」の話、それに「人体の不思議展」に行ったけど気持ち悪かったという話をして(笑)

 

  妹の言うように、父はまだ生きているのだと、そう信じていたい気持ちもあるのです。

  もう骨になってしまったのは分かっているけれど、分かっているけれど認めたくなくて、やはり2人で泣いてしまいました。

 

  でもね、父の気配は実家にないのです。

  夢にも出て来てくれなくて、どこに行ってしまったのやら。

  『放浪癖のある父らしい』と、母も呆れていましたけれど、こんな時こそ母の側にいるべきではないのかと、娘たちは呆れてしまって。生きてる時はいつも側にいたのに、と文句を言い合っていました。

 

  旦那や息子達は「出掛ける」と言って外に出て行ってしまったので、私は母や妹と父の思い出話に浸れることができ。

  探していた『骨」も見付けて(父が死んだらくれると、そう言っていたのですよ。まさか死んでから見付かるとは思いもしませんでした。最期まで父らしいドッキリをしかけて、と笑い合ってましたよ)、死の直前まで被っていた帽子ももらって、帰って来たのです。

  随分と派手なので(赤い、龍の字が書かれているものです)、洗って飾っておこうかと思っています。

  

  妹は父の骨を「海に散骨するつもり」だと言っていて、先祖代々の墓には入れないつもりなのだそうです。

  父を嫌っていた祖母が眠るその墓に、入りたくはないと常々言っていたのもあるのでしょう。

  戒名も何も付けていないので、放浪癖のある父にはそれが相応しいと、実家の墓も墓じまいして終わらせるつもりのようです。母が旅立ってしまえば、あの家は妹のものでしょうし、妹のやりたいようにさせようと思っています。

 

  ところで、父はずっと高知で生まれ育ったのだと思っていましたが、満州の奉天で生まれたのだと聞かされて驚いております。そりゃあ、確かに戦時中ですし帰って来れないでしょうけど、そうだったのかと。

  3歳まで奉天にいて、贅沢な暮らしをしていたと自伝(のようなもの)には書いてましたけどねぇ。

 

  最期の旅は、その生まれ故郷を見る旅だったそうです。

  随分と変わってしまったけれど、それでも見たかったのでしょうか。

  「ゴビ砂漠で死にたい」とよく言っていた父は、今はその辺りに行っているのでしょうか。

  娘としては、帰って来いよと思いますけどね(夢にも出て来やせん)

 

  何にせよ、父らしい幕の引き方よと、家族は皆思ったのです(次兄だけが参列できなかったのが心残りでしょうが)

 

 

  ところで、お骨上げの時に妹の側についていたのを見た末弟が、妹に「ごめんね、りぐさんもらっちゃって」って謝ったそうなんですが、末弟は「りぐさんは、ぱぱさんの遺骨、拾いたくなかったんでしょ」って答えたそうで。

  何でバレてるんですか。どうして君は姉の心境を見抜いているのだ、という話になりましてね。

  重度のシスコン怖い、という話に(笑)

  姉っ子でしたし、姉が結婚するのを反対していた()人ですし(最後は渋々認めたとはいえ)、10年離れていても分かるのはどうして、というか、見ていればきっと分かるといいそうですけれど、シスコン怖いと思った瞬間でした。

  あっ、もちろんLINEの交換はしてきました(そう連絡は取らないけれど、何かあった時のために)

  

  49日には高知に行けませんが、散骨の時には呼んでいただきたいと思う娘もここにいるのです。

  

  帰ってきて思い出して泣いてしまうけれど、それでも父は許してくれるのでしょうか……。

  妹のように取り乱して「まだいっぱい話をしたかったよ」と、取りすがれば良かったのか。

  私には、まだ実感が湧かないので、どうすればいいのか分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 



  こんにちは✨

  もう沖縄なんかは梅雨入ったそうですね(あれ?
  静岡はいつ入るのやら( •᷄ὤ•᷅)

  さて、兄くんが大学通い始めてそろそろ2ヶ月。
  今のところ、それほど不調もなく、チャリで毎日通っております(たまーに旦那も使う🤣)

  私は仕事があったりなかったりなので、旧知を通して再び幼稚園の職員に戻る予定(預かりさんですね)

  まぁ、一応面接(というか、連絡してきた時点で決まっていたみたいなんですけど)して、来週半ばに勤務する幼稚園(こども園?)行って、細々したことを決めるみたいなことは言われています。

  ちなみに、今の午前中の仕事はまだそのまま、行き来が辛くなりそうになったら辞めるかもしれません。

  一応は、8月、3年めに入ったらどうするかを考えようかと(何せ、幼稚園がどうなるかなので。夏休み中も仕事あるだろうし、こども園になってからの勤務体制分からないのもあって)

  扶養範囲内での勤務希望のため、そう働けないのもありますけどね💦

  さて、どうなるやら。

  そんなこんなで、近況報告でした(´º∀º`)




  こんにちは✨

  昨日は宿を出て知多半島の先に行き(羽豆神社行こうと思ったのですが、何となく呼ばれてない感じがしたので止めました。無理しても気分悪くなるので)、お魚市場に寄って色々見て(生わかめも半ば強引に渡されました。あんまり押し付けられるのは好きではない人←)から、熱田神宮へ。

  静岡住んで26年目(24になる年に来たので)になるのに、法多山行ってなかったのと同じで(意味合い違う気もするが)、熱田神宮行ったこと無かったのでお願いしました(笑)

  

 
  まずは鳥居。
  これはどこの鳥居だっけか(だから、案内板を見ろと言ってるのに……)  



  その案内板(笑)
  目的は決まっているので、「信長塀」を目指します(ง •̀_•́)ง
  これで見ると、文化会館ショートカット出来そうですね(笑) (実際、ショートカットした)

  で、ご希望の


  「信長塀」です(笑)
  説明板撮ろうとしたら何故か「テキスト」モードにカメラがなったため、急いで撮ったのがこちら。


  これによれば、桶狭間の戦いの折、戦勝祈願をして大勝したので、そのお礼として寄進した(意訳)、とされていますね。

  日本三大土塀とは?  そんなんあんの?

  んでもって、御朱印がこちら。


  すんごい既視感あるなと思ったら、「伊勢神宮」と同じなんだと気付き。

  伊勢も内宮外宮こんなんだよ、と思いました。
  (個人の感想です)
   閏年の日に貰うのは初めての経験でございます。
  感慨深いなぁと思いつつ、本殿にお参りして、次の目的地に向かったのですよ(写真あるけど人一杯だったので載せませぬ〜)

  うん、人目無かったら塀にへばり付いてたかもしれん(怪しい人や)

  ちなみに、信長さんはあまり好きでは(ゲフゲフ