こんにちは☆

 

  今日は妹ちゃんと電話で話したことなどをば(連絡手段が、自宅電話か手紙しかないので)

 

  まぁ、母の様子を聞くのと、私の誕生日などありまして、ちょこちょこ電話をしている訳ですが(この頃はそれほど連絡を取ってはいないけれども)、今回はちょっと高知に帰る話をして。

 

  父が亡くなった年の9月に一度帰ったのですが、その時に四国八十八か所巡りをしました。

  母が乗り気で長浜の雪蹊寺に行った後、山道を登って行ったのが堪えたらしく、

  「また山道行くがやないろうね」

と言われたのですが、うん、まぁそこにあるのなら行くやろうね、という話はしたのですよ。

 

  まぁ、旦那とも付き合ってる時から山道は行っていたので(気付けば山の中だったりもする)、山に好かれているのかもしれないと思ったりしている訳ですよ(基本的には田舎が好き)

 

  という話をしていたら、妹ちゃんに、

  「イワナガヒメに気に入られちゅうがじゃないの?」

てなことを言われ。

 

  イワナガヒメは、古事記に出てくる女神さまですね。

  双子の妹のコノハナサクヤヒメとともに、なんちゃらの皇子に嫁ぐのですが、コノハナサクヤヒメの方を気に入って、イワナガヒメは醜いからと実家に帰されてしまった、というお話。

  しかし、イワナガヒメは醜いだけでなく、永遠の命を持っているとされ(岩の化身なのでね)、コノハナサクヤヒメとともに娶ってくれれば人も永遠の命を持つことが出来たのに、妹だけを娶ったので永遠の命を受けそこなった、という(

 

  浅間神社の御祭神は「コノハナサクヤヒメ」(だった気がするのですが、違ったかしら?)

  富士山は確か、「イワナガヒメ」が祭神だったような気が(不死身と富士をかけていると聞いた気がします)

 

  イワナガヒメは、山を司る姫と言われているみたいで、醜い岩のような顔と身体を持っている、とされています(そんな解説を見た気がするのですが、何せ随分昔の話なので忘れているか、思い違いもあるやも)

 

  なので、私が意図せず山道に行ってしまうのは、イワナガヒメに気に入られているのではないのか、と妹ちゃんは言うのですよ。まぁ、秋葉山で異世界の入口を見たこともある訳ですし(空地の中にポツンと光が差していてですね、それを秋葉神社に行く途中で見たのですが、帰りに同じ場所を通った時には、その空地も光もなかった、というね。そもそも、そこに行く道すらもなかった――、っていう(誰もそれを見ていなかったのも大きかったので、信じてもらえなかった)、奇妙な体験をしています)、やっぱりイワナガヒメに呼ばれてるんだよっていう話に。

 

  まぁ、1人で山に行くことはないので、遭難することはなさそうですけどねぇ……?

  ということで、私が行く先々で山道(結構ヤバめの)に入り込むのは、イワナガヒメが気に入ってるからなんだそうです。

  そんな馬鹿なって思うけど、もう25年くらいそうなんだよなぁ……(山道に行っちゃうの)

 

  意識してないだけで、産まれてからずっと山道に迷い込んでるのかもしれない……。

 

  和歌山旅行の時も山道だったしねぇ(興味のある所に行ってもらいたかっただけなのですが、思いもよらぬ山の中だった(電波もない、すれ違いも出来ない)、というのもありますけど)

 

  私を呼んで、どうしたいのかしらん?

 

 

 

 

 

 


  こんにちは☆
  大仙古墳に行ってきました。
  仁徳天皇陵と言った方がいいのかしら?

  大阪行ったら行ってみたかったのですよ(景行天皇陵は行ったことあるけど)


  とりあえず、正面前の案内板を(笑)
  これ、「仁徳天皇陵」って書いてるの。大仙古墳じゃないんだね。

 
 拝殿前の、門前から。
 こう見ても、どこか分からんのん(下の平べったいとこなんだけど、ここからだと全体図が掴みにくい)


  宮内庁の禁止事項看板(どこの古墳にもあるんだろうか)




  周りには小さな古墳が点々と。
  大きな古墳の周りの古墳は、「陪塚」という、添え物なんかを埋めるための塚(なんだっけ?)か脇を固めてるそうで、色々な形の古墳があります。

  「竜佐山古墳」とか、「銅亀山古墳」とか、


  詳しく(3D?)書かれた看板とかありました。


  そして本命の「仁徳天皇陵古墳」。
  

  
  参道がありました。
  道順は色の違うタイルで記され、すぐに分かるようになっていました。

 
  「正面まで50m」と「2800m」の案内板(いた?)
  ぐるっと回って「2800m」なのだそう(笑)
  それに騙されるように、まわってきました。

  ちなみに、反対側に「履中天皇陵」があったけど、「小物」とかで行ってません💦

  いい運動になりました(笑)


 こんにちは✨️

 岩村城址に行ってきました🚗³₃

 岐阜県は恵那市、岩村町にありますね。

 資料館からではなく、出丸(現在地)から行ったので、いきなり本丸へ階段登って(やけに段差がありすぎる階段だった)、石垣を堪能(笑)

 岩村城址は、遠山氏、森氏、団氏、松平家などが歴代城主を務めた城で、最も知られているのが「遠山氏最後の城主」である遠山景任の妻、おつやの方ですかね。

 女城主としても知られる彼女は、夫亡き後織田信長の息子である御坊丸の後見人として城主となり、武田信玄の配下である秋山信友と婚姻関係を結び、それが原因で信長の怒りを買い、信友と共に処刑されてしまった悲劇の人。

 敵対する相手と婚姻関係を結ぶなど、裏切りにも程があると思ったのでしょうが、信長の息子を守るためには仕方がなかったのかもしれません。

 城兵の命と引替えに降伏した彼女と信友は、逆さ磔という重い刑に処せられ、命を失うその直前に信長を3年のうちに呪い殺す、と絶叫したそう。

 本丸には


 慰霊碑が建っていました。
 そして、


 昇龍の井戸という井戸もあり。
 城の中にある井戸の中から出てくる「蛇の骨」を撒くと、霧が出て来て城を隠す、という伝説がある城で、別名を霧が城というのだとか(掛川城、丸岡城にも似た伝説がありますね)

 ちなみに、


 10年くらい前に行った時よりも、大分荒れてました(前はもう少し整備されてたと思ったけど、違うかしら?)

 


 石垣が崩れていないだけでもいいのかもしれないけれど(全体を見た訳では無いので何ともですが)

 15時過ぎに行ったけれど、結構人がいました(出丸の駐車場は埋まりかけてた)よ。
 
 もしかして、岩村城址って結構人気?
 100名城スタンプは平成29年に押してるので、御城印があればと思ったのですが、資料館に行かなければ無いかなぁと断念しました(用事があって、時間がなかった)

 またいずれ御城印貰いに来ようかと思っています🚗³₃


 

 こんにちは☆

 

 熊野速玉大社で見た「熊野詣」と調べてみました。

 

 うーんと、正式には『熊野御幸』というらしく、宇多天皇の時代から玄輝門院の396年間に、上皇、女院、親王を合わせて23方、百何十名にも及ぶ皇室の御参詣があり、これを『熊野御幸』といって熊野三山史上に不滅の光彩を放っている(速玉大社説明版)、ということのようです。

 

 熊野御幸には陰陽師に日時を占定させて、心身の禊ぎを数日間行った後、出発されたそう。

 白河天皇の天永元年九月の御幸には、総人数814名、1日の食糧が16石、二斗八升、專馬185匹と「中右記」に記されていたとか。道順は決まっていて、京都から住吉、和泉など紀伊半島を海沿いに南下して田辺、中辺路、本宮から熊野川を下って速玉大社へ参拝ののち、那智山、雲取、本宮から往路コースを逆行して帰京、という、およそ20数日間にも及ぶ難行苦行の旅だったとか。

 

 まぁ、上げ膳据え膳で都にいたのが、御幸とはいえ宿泊地もなく野宿などして何日間も山の中を彷徨うのは、いくら天皇・上皇といえど苦痛以外のなにものでもなかったでしょうねぇ。しかも、世の中は貧困の時代だし、盗賊や何やらも出たでしょう。

 下働きの女房だって逃げたかもしれません。

 

 それでも『熊野御幸』というのは必要だったのでしょうかね。

 

 熊野信仰はのちの伊勢信仰にも大きく影響したのかもしれません。

 何か、屏風状になった歴代天皇の『熊野御幸』の表を撮っているのに、何故「メインスマホ(ブログなど入っている)」に入れなかったのか(入れたと思ったんだけど、連絡用のスマホから移し切れなかったらしい)

 

 やっぱり、熊野三山とは相性が悪いようです(雨とかは止んで、呼ばれはするのですけど、色々と忘れたり飛ばしたりしてるからなぁ……。京都の伏見稲荷さんと、仁和寺と同じ感じになっているような気がする(こっちは行こうにも呼ばれていないみたいで行けないのだけれど)……)

 

 何だろう、悪いことはしていないはずなのに(西を裏切ったからか、と弟くんは言っていたけれど、そもそも四国は西でも四国圏だからね? 関西は関係ないからね?)、どういうこっちゃ……?

 

 それとも、これは今必要ないから載せるなってことですかね?

 いずれ、許可が出るようであれば、その『熊野御幸』の歴代天皇の表を⤴したいと思っています。

 それまでしばしお待ちを……。

 

 


 「狩場形部左衛門記念碑」のあとは、「熊野速玉大社」へ向います。

 道の駅 瀞峡街道熊野川で休憩、兄くんと交代して、向かうことに。

 瀞峡街道熊野川は、熊野川の氾濫で命を落とした住民の方の慰霊碑がありました。あんなに大きい川でも氾濫するのかと思いながら、土砂崩れなどで亡くなった方の冥福を祈り。

 それから速玉大社へ。
 まずは全景。

 と、鳥居を。


 なかなか立派です。
 それから狛犬さん達を。

 阿形さんは遠い目をしてますね(


 吽形さんは、あれ? 顔見えない?
 弟くんは「気のせい」とか言うちょりましたが、気のせいではない気もするのだわなー。
 もしかして、撫でられ待ちか? とか思ったけど、高くて無理でしたー(笑)

 そして、

 山門がデカイ。
 中は本宮と同じで社に祀られた方々がズラっと並び(ニニギノミコトとアマテラスしかわからんがったが、こんなんでええのだろうか)、熊野僥倖を行った天皇さんの名がズラリ。

 そういや、熊野詣ってあったよなぁと、それ見て思い出した、歴史が好きなはずのワタシ。
 何か記念に撮ったはずだけど、メインスマホに入ってない(LINEのkeepに突っ込んだハズなのに無い)ので、出すなってことっすね(偏屈解釈

 ということでお参りして(本殿すっとばかいて、御朱印貰い行ったんで、相性は良くなさそう)、


 速玉大社と神倉神社の御朱印を頂いて。
 てか、かっこいい✨️
 読めないけどね😭

 んで、花窟神社へ向かったのですが。




 あの、どっかで見た狛犬さん達がおりまして。
 椿大社の彼らに似てるし、懐っこいのも同じで、つい笑顔に(笑)

 今回は阿形さんから撮りました(いつもは吽形さんから)

 山門(と呼ぶべきなのか違うのか)から入ると、




 Σ(゚Д゚)スゲェ!! となった訳ですよ。
 何がって、窟の穴もそうだし、白石も(どういった役割? 土足で乗るなって書いてたし、何だろ?)

 ちなみに、道の駅花の窟の横にあり、


 渡って行きますー(笑)
 ここは兄くんと旦那は来なかったですね(弟くんに案内してもらった)

 
 御朱印は素晴らしい✨️
 そして道の駅の記念切符を弟くんが買って(まぁ、忘れる前にと最初に買ってたけどね)、道の駅を出たのですよ。
 あ、そうそう、私、今回の旅は水晶のペンダントしてましてね? 少し熱籠ってた気がしますー。




 こんにちは😊

 補陀洛山寺を辞したあとは、「狩場形部左衛門記念碑」という所を目指します。

 ナビで見た限りでは山の中、Wikipediaで調べると今も式典などが行われているそうなので、大丈夫ではないかと思ったのですがねぇ(汗

 すれ違い出来なそうな山道を登ること1時間弱、やっとこさ辿り着きました。


 正式には「狩場形部左衛門宮」というみたいですね。説明板によれば、その昔、「ひとつだたら」と呼ばれる盗賊がこの近隣の寺を荒らしまくり、寺宝を奪って逃げるという被害に遭っていたそうで。
 
 近隣の住民は困り果て、近くに住んでいた「狩場形部左衛門」という侍に討伐を頼み、これを退治してもらったのだとか。

 その功績を称えられ、山を丸々下賜され、その山を自分のものとせずに周りの人々に分け与え、さらには林業の発展にも貢献した人なのだそうです。

 しかし、明治政府に土地を奪われ、取り返すために訴訟を起こして勝訴、顕彰碑を建てようとなり、大正7年に「狩場形部左衛門旧宅跡地」に建てられたのだとか。そして、今の場所に移転し、以後は守神として祀られているのだとか。


 それにしても立派✨️


 大切にされてきたのが分かる感じ(でも誰も来れないような山の中)


 広角レンズで撮ってみました。
 お地蔵さんはなんだろう?

 伝説としては、「狩場形部左衛門」が妖怪「ひとつだたら」を退治した、という話になってるようですね。やはり人々を恐怖に陥れていたのでしょうか(或いは出会い頭にやっつけたのか)

 「ひとつだたら」って、一本足に片目の、毛むくじゃらの妖怪とされてますね(実際には刀鍛冶がなってしまう職業病みたいなもの、と言われていますが)

 まぁ、伝説とした方が良かったのかも(訴訟とか生々しいですしね)

 それにしても、誰も居ない山(廃屋はかなりあったし、人が住んでるとしても大変な所だなぁと思った)に祀られてると、何だか淋しくないのかなぁとか思ったり思わなかったり。


 
 

 こんにちは😊
 補陀洛山寺というお寺に行ってきました。

 和歌山県は那智勝浦町にあるこの寺は、インドから流れ着いたという「裸行上人」が開基とされ、補陀落にあるという、遠い遠い極楽浄土を目指して「渡海船」と言われる小さな船に乗り、波のまにまに漂って極楽往生するという、ある意味修行でもありますね。

 数日分の食料や水を積み、小舟に封印されて極楽往生を遂げるというのは、どう見ても正気の沙汰ではない気もしますが、それで自分も周りも救われるのであればという自己犠牲の上に成り立ったものだったのでしょうかね。

 ちなみに、そんな荒行をされていた寺に行ってみたかった理由は、やはりその小舟を見たかったのと、「裸行上人」という人がどんな人だったのかを知りたかったのもありまして(

 その小舟が復元展示されているとかでね?


 この船で、近くの浜から出ていって戻って来なかった……、という上人は結構いたようですね(記録されてるだけでも数人……)

 結局のところ、その小舟がどうなったのか、誰も知る由もないのでしょうか。どこかの浜に漂着したとか、そんな話はないみたいですもんね(それか、漂着しても知らないフリして食料や水を奪って、また流して、というのもあったのかもしれない、とは思います)




 案内看板を撮りまして。
 御朱印帳に御朱印を書いて頂いている間に、本堂に上がらせて貰いました。

 何だか凄かったです。
 千手観音菩薩様とお不動様、脇侍達と広目天、多聞天(これは説明板で理解)、あと御一方分からずじまい(倶利伽羅龍王なのか、馬頭観音なのか、それとも違う方なのか)


 そして御朱印を頂いて(かっこいい✨️)、お隣の「熊野三所大神社」で書置きの御朱印を頂いて、名残惜しく境内を出たのです。

 ちなみに、

 振分石ってなんですのん? となった無教養な私を許してくださいm(_ _)m


 こんにちは😊
 和歌山へ来たので、熊野三山へ行ってみようかと、熊野本宮大社へ行ってきました✨️

 日本第一と言われるだけあって、なかなか荘厳な場所でした(

 兄弟が産まれる前に一度来たことがあり、その時は和歌山の山の中の宿に泊まった記憶が(しかも迷って遅くなった)




 お約束の狛犬さんも。

 
 まずは吽形さんから。なかなか凛々しい✨


 阿形さんは大人しめ(笑)


 本殿は立派✨️
 驚いたことに、御朱印帳を間違えて持ってきてしまい(1冊目のもの)、新しく「熊野本宮大社」の御朱印帳を購入しました。

 


 おもて側と


 うら側。
 悩んで(約1分ほど)、黒にしました(笑)


 お参りして、御朱印を頂いて。
 帰り際に、もう一度狛さん達を、と見てみたら。




 供えられていた日本酒がありませんでした(笑)
 きっと、頂いてご機嫌だったのでしょう、フワフワしてました(笑)

 ここに来るまでゲリラ豪雨で前が見えないくらいだったのですが、雨も止んでスッキリしてました(笑)

 呼ばれていたのでしょうかね?
 そして、

 
 八咫烏のキーホルダーに一目惚れして、買ってしまったのでした(笑)



 こんにちは✨️

 聖衆来迎寺へ行ってきました✨

 聖衆来迎寺は、織田信長の家臣であった森可成公の墓所がある場所で、かの比叡山延暦寺の焼き討ちを免れた、と言われるお寺です。


 宇佐山城主であった可成さんは、元亀元年(1570年)、浅井朝倉連合軍と対峙、この近くの比叡辻という所で討死したと言われています。

 聖衆来迎寺は最澄が開基と伝えられ、本尊は阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の三仏だそう(予約しないと本堂内は見れないそうで、行った時は閉まってました)

 
 ともあれ、墓前に参拝しました。
 めっちゃ立派な五輪の塔で、人柄が忍ばれます(


 御朱印は人がいたら書いてもらえるよ、となってましたけど、結局お留守だったようで、書き置きを頂いてきました(1部300円、2部頂いてきたので、600円箱に入れてきました。小銭あって良かった)

 微妙に御朱印帳に合わないので、どうしたものかと思いつつ、見開きなので、どこかで空きを埋めないとなと思っています。

 何だかんだ言っても、書き置きもかっこいい訳ですよ✨️

 ちなみに、墓石に梵字彫られてましてね。
 チビ弟くんが「これなんだっけ?」って聞いてきました(梵字、サンスクリット語だね、と軽く答えております)


 いい例がこれかな?
 これは四国霊場八十八箇所のうち、第三十六番青龍寺の納経。
 「波切不動(ではないと思うけど)」の上にある、記号みたいなものが梵字、またはサンスクリット語と言われるもの(だと思いまする)、と父や祖父に習いました。

 むかーし、実家に読み方とか書かれた一覧表みたいのがあった気もするのですが、今はもうないんだよなぁ(捨てられたのか、祖父の棺に入れられたのかは分からないけれど)

 久々に梵字を見て、ちょっと嬉しくなってしまいました(笑)

 行ってみたかった森可成公の墓所に行けて、満足しております✨



 

 こんにちは😊
 和歌山城に行ってきました🚗 ³₃

 和歌山城は羽柴秀長(秀吉の弟)を始め、浅野幸長を経て、徳川家康の11男(あれ? そうだっけ)である頼宣が城主として入封、城郭を拡大し、今に残る連立式の城を造ったと言われています(戦火で燃えたため、今の城は遺っていた縄張り図から、昭和33年に鉄筋コンクリートで建て直されたもの)



 というか、凄い✨
 

 
 フォトジェニック大賞受賞って書いてたけど、確かに結構な迫力がありますねぇ(笑)

 ちなみに、小天守の鯱で、弟くんと盛り上がっておりました(笑)




 いや、だって他の天守(小含む)に付いてる鯱と明らかに違いますし、眉毛(額なのか庇なのか分からんけど)付いてるし、何よりも口周りがデカい。

 身体についてるヒレのようなものも、他ではあまり見られないものだし、なんだろうねと。

 あっ、旦那はいつも通り、興味もなくサクサクと先に行ったり後ろから付いてきたり(笑)

 あとは、「石落とし」がデカいってこととか?
 枠もそうだけど、内部の高さが気になると言ってました(大体人の腰か、肩くらいの位置に枠組みがある)

 そして、御城印と


 100名城のスタンプ🏯


 スタンプは持ち主である弟くんが押しました(笑)

 なかなかデカい城でした(笑)