總持寺の涅槃会攝心(2)他の参禅者の方々 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

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さて、受付開始の16時45分。定員15名は満員でした。男性10名、女性5名(はじめは4名でしたが、じきに一人加わっていました)。年齢層は、男性は40代とおぼしき人が2名、それに私は50代で、あとはもっと年配の方ばかりでした。女性は、一人若い方がいましたが、ほかは私と同年代かやや下といったところ。永平寺の時と比べて、全体的に年齢層が若干上です。また、知名度の高い永平寺と比べ、總持寺は曹洞宗の人以外にはあまり名が通っていないためか、遠くから来ている人は少なく、聞いた限りでは、私は宮城からいらしている方の次に遠方からの参禅者のようです。そのほかには高崎からの方がいましたが、それ以外は首都圏(高崎も首都圏か?)からのようです。

 

攝心に初参加の人は私を入れて2、3人のようで、4回目であるとか、それ以上であるとか、常連と言ってもいいくらいの経験者が多かったでした。

 

従って、攝心の日程を過ごす対策も万全の方が多い。例えば、いびき防止のマウスピースと口テープをされている方など。同室の男性9人中、いびきをかいている人が2人ほどいましたが、うるさくはありませんでした。永平寺の時には、2人が「んがあ~」「ほんがあ~」と掛け合うように大きな音を立てていて、さながらいびき合戦の様相を呈していましたが、今回は、気にならない。

 

それでも初日は全く眠れませんでした。そのためでしょう、毎朝起床時に測定している血圧(旅先でも常に血圧計を持参して測っています)が、永平寺での最初の朝と同じくらいに上がっていました(数値は内緒)。これはヤバい、攝心初日にして下山か、と焦りましたが、その日も徐々に落ち着いてきたようですし、翌日、翌々日と下がってきて、最終日の朝は上が132。これなら今の寒い季節、長岡の自宅にいる時よりもむしろ低い。

 

私が血圧を測っている姿を目にした、隣で寝ていたSaさん、「いびきは無呼吸症候群を伴うことが多く、いびきを防止すれば血圧にも良い。余計なお世話かもしれないが、口テープを試してみたらどうか」と盛んに勧めます。

 

あれっ、血圧が高いのはともかく、私って、いびきもうるさかったっけ? 家族からは、いびきを時々かくことは聞いていたけれども、うるさくて眠れないほどであるとは聞いたことがなかったんだが。でも、もしそうだとしたら、これは失礼。他人のいびきのことをとやかく言える立場ではない。

 

まあ、私のいびきの音がどのくらい迷惑かは措いておくとして、少なくとも口テープは高血圧対策にもいいとSaさんは力説するので、最終日くらいは試してみるか。

 

そしてテープの一片をいただいて唇に貼って寝てみると、上記の血圧値。これは、家に帰ってからも試してみてもいいかも。

 

さて、今までの参加経験者が多いということは、諸動作が迅速かつ正確であるということです。これが最もモノを言うのが食事。これについては記事を改めて書きますが、さすが経験者の皆さん。永平寺の参禅の、およそ倍の速さで動作を進めていました。

 

ところで実は、攝心の前に既に、ここに来ることを私が知っている人が一人いました。参禅に関して検索していたら、その人のブログを見つけたのです。そこに、今回の攝心にも参加される旨が書かれていました。Miさん――とイニシャルで書いたところで彼はブログに実名を出しておられるので意味がないですが――は、昨年12月の臘八攝心に続いて2度目の参加。總持寺での参禅だけではなく、私と同様、自由な時間をたくさん確保した生活を送っていて、永平寺でも参禅していますし、四国遍路もやっている。共通したことをしている人がいるものです。年齢も私に近い。私よりも5つ下です。

 

つまりは生活の仕方、というか、人生の送り方についての考え方にも共通するところがあるのでしょう。彼と私の違いは、彼はヒッチハイクで永平寺に行くなど、私よりアクティブなやり方で仏教的実践を行っているということ、いや、仏教的実践をアクティビティに取り入れているといった方が正しいかもしれません。それに対して私は仏教が関心の中心であり、主目的です。それと、今後の人生設計についての考えもかなり違っているようです。これについては、私が誤解している点もあるかもしれませんので、ここで下手に書かない方がいいでしょう。彼の生き方については彼自身のブログをご覧になるのが一番よろしいか、と。そして私については、拙ブログの「自己紹介」や、今までの拙記事でぽろりぽろりとこぼれ出てきた言葉の数々からお察ししてくだされば、と。

 

さて、男性の中に袈裟を着ていた人がいました。Hさんという方で、私が「お寺の名をお伺いしてもいいですか」と聞くと、寺はない、と。在家得度をされた方でした。

 

最終日の休憩時間には、在家得度の仕方について少々伺うことができました。私もいずれ在家得度を、という考えもありましたので、実際になさった方の話は非常に参考になりました。

 

私が高校で物理を教えていたことを話すと、光の本性や観測の問題についての質問が。つまりは量子論における光の二重性や不確定性原理のことを聞いているのだと分かったので、基礎的なことについて、私は説明しました。

 

話は物理学と仏教との関係に及び、しまいには、「『空』の概念が物理学に大発見をもたらすかもしれない」と。私は仏教の考え方と科学の考え方は折り合いが良いとは思いますが、いきなり「空」が物理のパラダイムシフトになるというような話は突拍子もない感じがして、ちょっとピンとこない。彼にそう告げると、「ひとつ文を書かないといけないな」と。その論考では、果たしてどんな議論を展開してくるのでしょうか。

 

また、あるセッションの前には、「物理的には、光そのものに色はないのであって、色は『人間が貼り付ける』ものだと言った人がいるが、それはどういうことか」という質問を私に投げかけてきます。私は質問の意味していることをよく理解できませんでしたが、セッションが始まりつつあったので、ゲーテの色彩論に軽く言及し、現在の主流からは排除されているが、人間の知覚に立脚した理論を展開している、と答えるに留めました。

 

ともかく、他の参禅者の方とこんな話をするとは、全く予期していませんでした。

 

このHさん、さすが在家得度していらっしゃるとあって、禅や仏教一般に関する造詣もなかなか深い。休憩時間には、周囲の参禅者に色々と蘊蓄(うんちく)を語ってくれます。興味深い話が多かったです(が今となっては、かなり忘れてしまった(汗))。一つ、心にはっきりと残っていることは、世の中では坐禅に関する誤った理解が横行しているが、講義(「提唱」といいます)された後堂老師、単堂老師は坐禅について正しく理解している、とおっしゃったこと。私も、幾つかの本を読み、曹洞禅について考えつつ理解しようと試みた限りでは、彼ら(Hさん、後堂老師、単堂老師)の語る、「悟りを開くために坐禅をするという意識ではいけない。また、坐禅をして無心になるというのも誤りである」という言述に同意します。これについては、後の記事で、もう少し詳しく書けるでしょう。

 

彼の話では、5、6年前までは、先輩面(づら)をして参禅者を厳しく指導する参禅会主催者がいらしたとのこと。これでは人が来なくなってしまう。そこで總持寺の方でも参禅プログラムの在り方を変えたし、最近は参禅者の雰囲気も変わってきて和やかになった、と。私も、攝心が始まった直後はともかく、慣れてきたら、人間関係に緊張を感ずることはなくなりました。

 

他に私の印象に残った人と言えば、気さくなUさん。気兼ねなく話ができるタイプの方でした。攝心参加は4度目とのことですが、参禅者の雰囲気が和んでいるのは、彼によるところが大きいかもしれません。

 

女性陣とは、休憩時間や就寝中は別室ですし、参禅中は僧堂(坐禅堂)がいわゆる「三黙道場」といって私語厳禁の場所の一つ(あとの2つは浴室と東司(とうす)、すなわち便所)なので、つまりは話をする機会がほとんどないのです。廊下で二、三話すことはできますが。

 

それが、ようやく攝心3日目(最終日)に、坐禅を始める時、隣のShさん、私が靴下を脱いでいるところを見て、「靴下を履いて来ましたね」と。坐る時には裸足と決まっているのですが、私は間違って履いてきたわけではなく、僧堂に至る長い廊下は寒いので履いたまでですし、初めから坐る時に脱ごうと思って履いて来たので、別におかしなところは全くない。それどころか、私にそう言っている本人も履いているではないか。私は「ええ、寒いですから」とだけ答えて単(たん)(坐禅をするところ)に上がり、そのまま坐り始めました。

 

まあ、これはつまり、何でもいいから何かをきっかけにして、私に話しかけてみたかったわけですね。三黙道場の戒律を破っていることになるのですが、後で彼女の曰く、「まあ最後だからいいやと思って」と。最後の坐禅はその次の回であり、その時には二、三どころか、五、六くらい喋ってしまいましたがね。

 

攝心が終わって、涅槃会の法要が始まるまでの待ち時間に土産を買いに売店に行きましたが、その時にShさんとMoさんがいらした。そして、10分くらいではあったのですが、土産と関係ない話をくっちゃべっているのなら売店の外でしてくれと従業員に言われやしまいかと心配なくらい、土産物の前で賑やかに立ち話をしてしまいました。ちょうど私と同年代の方々であったということもあって話が弾んだというか、私が何者であるかという話が多かったんですが。

 

Moさんが、私の連絡先を他の参禅者の方々にも共有したいとおっしゃるので、涅槃会の法要の時に、私は名刺を渡しました。すると早速、その日の午後に彼女から挨拶のメールが来ていました。

 

この記事で最後に言及するのは、一人だけ若い女性が来ていたと上に書いた、そのDさん。彼女と直接言葉を交わしたのはほんのわずかでしたが、Moさん、Shさんの話によると、なんと、この攝心に参加するために、はるばるアメリカからやって来たとのこと。カリフォルニアの禅センターに住んでいるのだそうです。どこにどんな禅センターがあるのだろうと思って後日ネットで調べたら、カリフォルニアだけでも複数ヒットしました。サンフランシスコとか、山間部とか。そのいずれなのかは分かりません。とにかく、そんなところから来た人もいるのか、へえ~、ってな驚きがありました。禅宗に対する先入観的なイメージとは裏腹の、明朗な方でした。

 

私自身が暗鬱な人間だからそう見えるだけなのかもしれませんが(冗談です)、参禅者の皆さん、結構明るい印象を与える方が多いですよ。さすがに、ぶっ飛んでいるほど明るい人はいませんが。

 

(写真は大祖堂(だいそどう)。總持寺のいわば本堂になります)