Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

4月下旬にエルサルバドルから帰国しました。
エルサルバドルの記事は10月16日で終了。
その後は帰国後の記事や読書ノートを載せていきます。

なおヘッダー画像は新潟県長岡市にて2020年11月に撮影。

12月最初の週末は冬にしては珍しく晴天でしたので、新津鉄道資料館まで足を延ばし、その時の記事の末尾には、「これで本当に、今年最後の遠出による散策になったでしょう」と書きました。冬の空の暗い新潟では、こんな天気はもうないだろうと思ったからです。

しかし翌々週の12月21日(土)も晴れ。しかも気温も上がる予報。アメダスによると、最高気温は14時31分の19.0℃でしたが、これは異常気象としか言いようがありません。

とにかく、それならばということで、散歩に出かけることにしました。幾つかの候補地を考えましたが、結局今回の行き先は長岡市内にしました。理由は複数ありますが、最も大きな理由は、お恥ずかしながら二日酔い気味で昼まで寝ていたこと(汗)。

ハイキングがしたいと思ったので、まず、午後の限られた時間内で登れそうな手ごろな低山である城山(栖吉(すよし)城址)に行くことにしました。バスで自宅の最寄りの停留所から25分で終点の栖吉に行き、そこから30分か40分で山頂に着きます。ただし注意すべきは、やはり熊。今年は栖吉の集落周辺で熊の目撃やその痕跡の情報が幾つもあります。

バスの便はあまり良くなく、午後は、長岡駅東口14時15分発の次は16時半発。そこで前者の便に乗るために、腕時計の針を気にしながらバス停に向かい、定刻の2、3分前に着きました。

しかし、なかなか来ない。定刻を数分過ぎたところで、あらためてスマホの時計を見ると、なんと、腕時計は10分ほど遅れているではありませんか。電池が切れかかっていたのか、数日前にも気付いたように、何らかの原因で竜頭(りゅうず)――時計の円盤の外に突き出しているピン――が引き出され、10分ほど針が止まったのか。

とにかく、バスには乗り遅れました。そこから栖吉までは歩くと1時間くらいはかかります。そうなると、下手すると山から下りる頃にはかなり暗くなっているかもしれないし、ますます熊出没の危険は大きくなります。

何かの虫の知らせであるような気がします。城山は諦めました。より近い悠久山への散歩に切り替えました。それなら歩いて30分強です。

 

 

家を出て、手前は土手の草がすっかり枯れた栖吉川、一番奥の中央の山は冠雪した鋸山(のこぎりやま)。雲が多いながらも、青空が見えますね。

 

 

で、ここからが悠久山です。蒼紫(あおし)神社には、例祭や初詣(はつもうで)などの特別の行事はないのに、陽気がいいので、恐らく公園に来たついでに参拝しているであろう人がちらほらいます。積雪に供えて狛犬(こまいぬ)まで雪囲いがしてあります。

 

 

参拝者休憩所、兼、絵馬堂の小屋には絵馬がたくさん吊るされていますが、それぞれに記された日付を見ると、大半は今年の初詣の頃、つまり1年近く前のものです。

 

 

内容は、このように志望校合格祈願が圧倒的に多い。果たして利益(りやく)はあったのかどうか。既に結果は出ているはずです。

私は絵馬は書きませんでしたが、100円ほど賽銭(さいせん)をして家族の健康を祈願しました。

 

 

悠久山公園の自由広場に着きました。まだ15時過ぎですが、既に影がこんなに長いです。冬至の2日前ですからねぇ。

しかし、やはり温和な週末です。家族連れを中心に、そこそこの人出です。

本日、私は独りですし、自由広場で何をするでもありませんので、道を挟んで東側にある桜山――「山」とは言っても低い丘です――を歩くことにしました。

 

 

桜山コースの入口には、やはりこの警告が。下の説明書きには出没情報が3つ、うち痕跡が2つ、実物の目撃が1つですが、いずれもこの秋の栖吉での事例です。

 

 

青空が広がってきました。落葉樹は幹と枝だけになり、上方に残っている緑は松だけです(下方にはアオキらしい木などが青々としていましたが)。

 

 

地面は、場所によってはこのようにたくさんの落葉で覆われています。

 

 

短い遊歩道の一応のゴールは、この三島億二郎の碑。彼は北越戊辰戦争で荒廃した長岡の町を復興した地元の名士で、明治初期には現在の長岡高校、長岡日赤病院、第四北越銀行(の前身の一つである北越銀行)の前身を創設しています。

 

 

そのすぐ裏手、この辺りが丘のてっぺん。

 

 

再び三島億二郎の碑に戻って足元を見ると、ヤブコウジが実を付けていました。これが、ささやかながら丘で唯一の派手な彩(いろど)りだったと言えるでしょう。

 

 

泉翠池(せんすいいけ)には錦鯉が泳いでいます。中国語を喋る親子(おそらく夫婦とその幼い男の子)が池のほとりで鯉を見ながら、穏やかな口調の会話をしています。日中関係がおかしくなっている昨今、当地で心ない人からバッシングやいじめを受けてなければいいのですが。

 

 

自由広場に戻ってくると日がかなり傾き、暗くなり始めました。テントを張っている人も、ぼちぼち片付けのようです。

せっかくなので、付設の小動物園に寄ってみます。ここにも家族連れなど数組が来ています。

 

 

鳥類や幾つかの哺乳類がいますが、私は猿山の猿だけ撮影。

 

 

母子でしょうか、凹(へこ)みに固まって縮こまっています。寒そうです。

が、しばらくして親猿がギャーと言い、その後またしばらくして全員が穴から飛び出して走り回り始めました。

 

 

別の凹みにはこんな感じで大人の猿たちが。

 

 

16時20分。だいぶ暗くなってきましたので帰ることにします。写真の左手は悠久山球場、中央奥は私が時々泳ぎに行くダイエープロビスフェニックスプール

 

 

田んぼや住宅地の彼方に聳(そび)える米山の雄姿。シルエットが美しい。

本日は7、8キロ歩きました。1万歩以上だと思います。これだけ外を歩けば、冬の貴重な晴天を堪能できたと言えるでしょう。