革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -9ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 今、一番、欠けていることだ。どこで失った? というようなことだ。ずっと、持っていた。それしかない、というぐらいの長所だった。それが、忌み嫌われる理由になるぐらい、心熱くしていた。

 けれど、今は、どこか、薄れている。興味がなくなったのか? 生きることに? 世界を見ることに? 新しい創作に? 探究心も、探求心もない。

 これではいけない、とは分かる。けれど、感性が、すでに死んでいる。求めないんだ。極めようと進まないんだ。何かをやることではなくて、何もやらないことが恐怖なのは変わらない。なのに、心は、体は、動かない。

 世界は、どうなる? すでに、次の駒はあるか? ずっと、願っていた。ないとしたら、殴るだろう。きっと、あるはずだ。だから、世界は、気にしていない。

 問題は、僕の余生だ。まだ、何も貰っていない。働いたものに対して、対価を貰っていない。与えられるかもしれない。時間さえ、かければ。けれど、何もしないで、与えられるは、あまり、好みじゃない。役に立つ、在り方を探したい。

 最後の最後まで、使える人間でいたい。それでも、やることがない。もう、歩んでいない道がない。そこで感じる新しい感覚がない。つまり、僕から、与えるものがない。

 ここに来て、悔しさを覚える。ただの人になってしまったのか? と天を見上げる。何の、変化量のない文句を吐いても仕方がない。変化があるから、価値があった、勘違いでも、そう思っている。僕は、僕にしかできない、変化をしていた。

 けれど、変化はできるのだが、探究心がない。探し求めるもない。磨こうという意思が欠けている。どんな、新しそうな言葉を吐いても、心が弾まない。もう、言葉の世界から、卒業すべきなのかもしれない。けれど、この世界で、何かをなさなければならないのは、規定事項だ。しばらく、いや、ずっと、ここにしがみついていなければならない。

 だから、何かは、書き続けなければならない。この、探究心の薄れた状態で。それは、ちっとも、面白いものじゃない。他人と違うことをしているから、単に面白かったわけではないのを思い知る。その先に、見たい景色があったから、面白かったんだ。その命が、消えた。

 さて、どうするか? これがこのところの、口癖になっている。

 けれど、確かに、今僕は、

 さて、どうするか? にいる。

 

 最悪な展開になってきた。読売巨人軍が、余裕の戦いで、独走し始め、うちのチーム、僕が主人公に選んだ東京ヤクルトスワローズは、一気に最下位になり、早くも、今シーズン、120試合しかないのに、100敗覚悟、と言われる様だ。

 風は完全に、既定路線、伝統だの、通例だの、慣習だの、と言うものを、重んじ始めている。新しく変わる、と言うのが、弱腰になっている感じだ。

 勝利の女神がほほ笑む条件なんて、端から、うちのチームにはない、みたいな、感じだ。

 僕は、前に倣えには従わない質だから、いつまでも、弾き飛ばされ続けるだろう。

 ずっと、人は、革命と、恋のために生まれた、と言ってきた。革命は、進化、だ。新化でもある。それを嫌がっている感じだ。これでは、テレビの時代も、永く続くだろう。

 文芸復興は、起きない。人間は、相変わらずの、いやらしさで、敬愛されるだろう。

 僕も、ヤクルトスワローズを主人公チームにするのは、諦めた。無理がある。なれないものは、なれないと、神が言っている。

 くだらなくも、つまらなくも、慣例に、沿ったままだ。見ていて、一番、面白くない、時代が、ずっと続く。

 したいようにすればいい。誰も、抵抗しないだろう。みんな、何かの道具で、意志を持った瞬間潰される、傀儡だ。

 もう、抵抗はないぞ。僕が、ずっと、抵抗していた。みんなのものになる時代へ、と抵抗していた。けれど、それは、無意味だ、と知らされ、納得した。

 だから、好きにすればいい。愚痴られることもないだろう。

 僕は、僕として、一つの、駒になるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 別に、野球ファンが、どんな気持ちでいようが、試合には関係ないはずなのに、誰もが感じるのは、自分の、野球への観戦のしかたが悪いから、結果も、悪いのじゃないか? ということ。

 これは、僕も感じている。調子づいて見ていると、必ず、いい結果にはならない。調子づいて見ていて、いい結果になる日が一度くらいは、来てほしいものだ、と思う。

 どんなに勝つ条件がそろっていても、自分が調子に乗っているだけで、負けてしまうまで起こるのじゃないか? と思わせる。

 これは、何なのだろう? そして、それは、何も、野球の観戦のみに言えることではない。自分の身近なことにも言えることだ。みんながみんな、そのことに関して色んな想いを描き見ているはずなのに、自分が、自惚れた発想を抱いているだけで、その結果は、逆に出る。

 解せない、ところだ。

 自分は、世界に影響を与える、主人公、論、が出てきそうだ。けれど、多くの人が、感じていることだ、と思う。

 ファンとしての姿勢を考える。

 絶対勝つ、負けるわけがない、と言う姿勢で臨むのが、正解なのか? 多分ダメだろうな。何か、ポジ要素だけでもあればいいのだが、と言う姿勢で臨むのがいいのか? これが、分からない。

 謙虚さを持つ、と言う意味では、後者だが、それが、ファンの持つべき姿勢なのか? と問われると、前者の方が、正しい気がする。けれど、正しいは、正解に出ない、のが、世の中なので、やはり、勝ちたいなら、後者か? しかし、そこまで、知ったことでやれば、打算になり、後者でも、結果は出ないことになる。それでも、謙虚の方が、いい結果に落ちることは、幾つもある。

 だとすると、勝つことが一番嬉しいファンにとっては、後者の意識の方が大切なのか? といことになる。とはいえ、腑には落ちない。

 世界は、楽しむもの、と習った。一番、楽しい見方をしている人間が、一番、楽しい結果をもらえるのかもしれない。負けても楽しいなら、勝つようになっていくかもしれない、と言うことだ。そううまくもいかないか? と言う声が聞こえてきそうだが、わりに、徹底できれば、そうならないこともない気もする。色々、殊勝だ。

 ファンは、ファンで、余計なような、本当は、どうでもいいようなことに、色々、苦心しているものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Twitterやら、ブログやら、やることによって、数に追われることによって、スタートラインを見失った。本当は、ここに、スタートラインが見つかった。今から、そこでスタートする、と書くつもりだった。

 スタートラインに今立った、と言う題のブログを準備していた。

 ところが、最近の僕は、何をやるにも中途半端だ。創作、話を二つ書いている。けれど、納得のいくものじゃない。ここにこそ、力を入れなければならないのに、どうも、調子に乗れない。ただ、字を書いているだけだ。勉学にもなっていない。その意識になれるほど、深い位置で、検索をしていない。

 それで、では、Twitterに力を入れているのか? と言われれば、だいぶ、一か月やったことで、ニーズだの、数字の上げ方だのは学べたが、実際求めている、文学系では、今一どころか、まったくに近いほど、成果を出せていない。

 ブログも、ある一段階を過ぎた。今は、とりあえず、何かを書いていよう、と言う程度の認識だ。

 だから、何より、失態だったのが、創作に対して、スタートラインと言うものを見失ったことだ。物を書く、物を作る、と言うことに関しては、どれだけでも、誠実で、必死で、真面でなければならなかった。

 神に喧嘩を売るような気概と、他人に奉仕する尽くす気持ちと、未来に向かって前進する前向きさが、何より重要だった。それらが、半端になってしまったのだ。

 おそらく、Twitterや、ブログで、文学のニーズ、と言うことに関する、ニーズを知ってしまったからだろうと思う。遣り甲斐が、薄れている。役に立つ、と思っていた言葉が、数字も取れず、見られること自体が少なく、闇に消えている。これでは、まず、本末転倒もいいところだ。

 さて、どうする? になるが、今のところ、あてがない。こういうものは、ふと、ここだ、とか、いつの間にか、気づくものだが、その場所に来た段階ですらない。

 スタートライン、なければ、スタートを切れない。もちろん、前のスタートラインならあって、そこから、スタートしていたのは、事実だ。けれど、新しい、新たな、スタートのラインが、ない。苦心しても、苦労しても、見つかりそうにない。

 今は、とにかく、時間を潰しているべき時期なのか? と単に思うこともある。けれど、始めたい気持ちはやまやまだ。進みたい気持ちは、やまやまだ。学びたい、勉学したい気持ちは、やまやまだ。

 どうにか、実りある時間を取り戻さなければいけない。それには、やはり、自分を超えたところにある、創作に挑んでいるのが、一番だが、それは、やれていない。

 もう、だいぶ、挑んできたから、ネタがない、と言うより、体が、求めていないんだ。だから、こそ、新しいスタートラインが欲しいのだが、それも、見つかりそうにないという状態だ。

 みんなは、スタートラインを持っているだろうか? 自分の原点でもいい。始めた、始まりの場所。あるなら、羨ましい。ないなら、共に探そう。別にスタートしなきゃならない、と言うこともないのだが、やはり、日々に、刺激はあった方がいい。勉学は、できるに越したことはない。何より、自分で、自分に納得する今、と言うのが、なければ、つまらない。

 走り行く名馬になって、駆け巡ろう。いける世界へ、羽ばたこう。

 草原に出たら、恐怖より、爽快を感じたい。それが、本音だ。

 今は、まだ、見つかりそうにないけれど、探す嗅覚は働かせて、日々を送ろうと思う。まだ、しばらくは、今書いている、何となくの創作があるから、そうやすやすとは見つからないだろうけれど。

 

 

 

 この試合、三つ、かけているものがあった。一つは、今シーズン。もちろん、一試合で決まることではない。けれど、今年は、初めて、僕が、最下位と言い切って始まったシーズンだ。僕が言い切ったことなんて、何の意味もない、と思うかもしれないが、それは、冷静に見ている野球ファンの総意、だと思ってほしい。彼らを覆っている雰囲気自体が、そんな中にあるわけだ。だから、今日の試合で、何を見せるか? によって、シーズンは見えてくる。

 そして、もう一つは、個人になるが、塩見泰隆の、ネタ選手からの脱皮ができるか? のかかった試合だった。今日の試合で、活躍できれば、彼の言った、と言われる、一流の選手に本当になれる。

 それと、もう一つ、最後の一つは、主人公チーム、と言う名前だ。僕は、東京ヤクルトスワローズを主人公チームと言っている。それにふさわしいだけの価値があるのか? と言うことだ。今日の試合で、選手がどういう想いで臨み、また、結果を出せるか? で、本当に、主人公に、値するのか? が決まる。僕の見ている世界では、となるが、みんなも見ている世界だ。主人公は、それぞれにあるかもしれないが、僕らには、東京ヤクルトスワローズが、本当の、主人公の世界になる。

 うまい具合に、今年のスローガンは、ネバーストップで、突き進めで、高津監督が、試合前のミーティングで言った言葉が、一球、一打、一日、一年、経ったら、必ず成長してくれ、それを約束してくれ、と言っていた。

 下馬評、十二球団最下位、だからこそ、なれる、主人公の条件がある。一番の底辺から、どこまで、這い上がっていけるか? それを見るシーズンになった、わけだ。

 実に、面白い。実に、価値がある。選手たちには、今そこにいることが、すでに、世界で最も恵まれた舞台にいるのだ、と伝えたい。讃えたい。この面白さは、まさに、半端ない。

 そして、試合は始まった。僕は最初から、緊張しっぱなしで見ていた。山田の同点ツーラン。村上の、ヤクルト史上最年少の開幕四番の初打席勝ち越しのタイムリー。

 そして、シーソーゲーム。もう、四回ぐらいで、僕は、いっぱい、いっぱいだった。けれど、選手は、立派に戦っていた。覇気のないプレーをしている人は、いなかった。雨の中の試合だ。いつ、中止になってもおかしくない。いつも、いるはずの、観客もいない。それでも、集中力を切らさず、誰もが、勝ちに貢献しようと、最善を尽くしていた。それで、最後のかけは、十分だった。このチームは、このテンションを持ち続けて行けるのなら、立派に、主人公のチームになれる。

 けれど、試合は、勝ち越し、有利な展開に持ち込んだものの、若手投手陣が打たれ、同点、逆転負けとなる。

 それ自体は、攻める気はない。初登板もあったぐらいの、若手投手陣だ。人生の肥やしにしてくれればいい、としか言えない。野球選手として、ではなく、人生の肥やしとして。それは、確実に、財産になる。

 問題は、塩見だ。結果、打てなかった。真面なあたりさえなかった。僕は、今日の試合が始まる前に、Twitterに、塩見は、ネタ選手から抜け出せないらしい。神様の思し召しだ。とツイートしている。その通りなったわけだ。神様の決断は、人間が変えるのは、とても、困難過ぎることだ。

 ヤクルトの未来に、欠かせない選手だ、と思っていたが、一試合で決めるのか? と言われそうだが、ダメかもしれない。それぐらい、強い、負の力が、周りに働いている。

 そして、それは、ヤクルトにも言える。周りに負の力が働いている。普通なら、この戦力でも、余裕で勝てた試合だ。けれど、そうならなかった。これは、試練がまだ続く、と言うことでしかない。

 今シーズンは、どれだけ、厳しいシーズンになるか? 今はまだ、想像だにできない。

 けれど、最後の一つのかけが、すべてを救う。君らは、主人公になれる。その言葉が、すべてを救う。選ばれたものたちだ。僕には、そう見えてくる。

 だから、それは、人として、一㎝でも、一ミリでも、一日、一打席、一投球で、成長できれば、それでいいんだ。十分、他人に見せるだけのものがある。最終的に、人間として優れれば、後は、何でもいい、のがこの人間世界だ。

 高津監督が言ったように、選手として、野球人として、一歩でも成長して、一日一日を、大切に、費やしてくれ。と思う。

 本当に、痺れた、いい試合だった。実力以上のものは出ない。かもしれない。だから、負けたのかもしれない。それでも、人が本気になる、と言うのを、久しぶりに、また見せてもらうことができた。それだけで、十分、価値がある。他の人の反応は悪いかもしれない。結局、勝てなきゃ、文句を言う人間はいるだろう。けれど、僕は見ている。見ている人は、見ている。

 やるべきことをやった、人間の凄みを。必ず、栄光まで行ける道程が、今、開いたはずだ。驕らず、真摯に取り組み、人に優しく、仲間に優しく、いれたら、いける世界に、いけるはずだ。

 まさに、今年のスローガン、ネバーストップ、だ。突き進め、立ち止まるな、だ。一日、一歩でいいから、必ず成長を刻むんだ。

 

 

 

 何にもすることがなくなってしまった。目標とするものがない状態だ。ブログのアクセス数は、気を配らなかったのもあって、十前後、これも特別意識はない。Twitterも、インプレッションは、そんなに稼げないまま。フォロアーも、三人で止まっているし、これ以上増える機会もなさそうだ。

 渡部の不倫に関するコメントを書いたのが、5000インプレッションを稼ぐ媒体だ。もとから、民度は低い、と考えるべきだ。

 それもあってか、二つとも、もう早くも、遣り甲斐を感じなくなっている。反応が悪い、と言うのもあるが、無意味に近い行為だというのに気づいてしまった、と言うのが一番大きいだろう。

 誰も、本気で、言葉を求めている人なんていない。とは言え、手を変え、品を変え、八方つくした、と言うわけでもないだろうが、ある程度、予測はつく。徒労に終わる、と。

 そして、文章については、完全に、書きつくした感がある。もう、百冊以上、書いていると、さすがに、次は、必要なことじゃない。それによる勉学も、あまり、濃いものとは言えないものになっているだろう。

 つまり、理知関連が、終わったのだ。僕は、理知を食って、暮らしていた。それが、エネルギー源だった。まだ、知らないことばかりの世界は、無限の供給源があるように思えた。が、それも、あるターン、を何度も、上塗りしていくと、さすがに、理知、と言うこと自体に、反応が薄くなっていくものだ。まだ、知らない世界はあるだろうが、理知と言うこと自体が、ありきたりに感じてくる。これでは、勉学、なんてものも、あったものじゃない。

 遣り甲斐、それを探すのに、バタついている。とも言えない。バタつく、元気もない。もう、いい年だ。そう、灰になったのかもしれない。燃え尽きた。これが本当の燃え尽きた、か? と気づける段階だ。そんなものはない、と思っていたが、今は、その気分だ。

 そのうちまた、変わるかもしれない。また、何だかんだ言って、何かやっているだろう。けれど、今情熱の炎が消えているのだけは、確かだ。点火させなきゃならないのか? とさえ、思っている。

 前は言えた。僕は、有益な言葉を吐く、と。けれど、今は言えない。無益な言葉しか吐けない。実利主義者だ。利益が与えられなきゃ、売り物自体にはならない。

 さて、何をするか? だ。マジで。

 生まれ変わったつもりで始めよう、と言っているが、その気概もまだ、実感できづらい。と言うか、年齢的に無理がある。

 言葉も、特別、探そうとしなくなった。特別な言葉があっても、それで、それで、と言う感じだ。後は、余生、なのかな? 楽しみだけは忘れないよう、他人の楽しみだけは奪わぬよう、事務作業に追われるとしよう。

 革命は、終わったのか? 君の知らないところで、だいぶやった。だいぶ変わったものも実はある。知られてもいないのに、どうして? と思うかもしれないが、世界とは不思議なものだ。これから、変わっていくこともまだ、シナリオにはあることだろう。

 それを、眺めている事務作業だ。残念ながら、今生で、やりたい、と思うことは、もう二度、現れないような気がする。一度、見れただけでも、幸福だったな、と言う感想を抱き、事務作業に戻る。

 自分に言い聞かせるのは、くれぐれも、他人の楽しみを奪わないことだ、だろう、と思う。

 

 

 

 コロナ禍で、どうなることか? と思っていた、プロ野球が、明日、とうとう開幕する。僕のひいきチームは、何度も言っている通り、東京ヤクルトスワローズだ。下馬評は、大半が最下位。去年、ヘッドコーチを務めていた、宮本慎也まで、最下位の予想だ。

 僕も、Twitterで書いた、順位予想では、最下位にしている。それぐらい、厳しい、現戦力、と言わざるをえない、だろう。

 ま、ヤクルトの話は、他でするとして、今年は、原監督が言ったように、みんなで、ゴールする、と言う目的が、高いシーズンか? と思う。コロナで中断なく、あるいは、途中から、観客を入れて、野球を最後まで、日本シリーズが終わるまで、やり切れるか? と言うのが大切なことだろう。

 優勝の本命は、読売と、ソフトバンクで、これは、なかなか揺るがないところだ、と思う。確かに、巨人は、先発が不安視されているが、何だかんだと言って、他の順位にはなりにくい風が吹いている、と思う。日本シリーズで、去年みたいに、ソフトバンクに、スイープ、と言うのは、普通に考えられるけれど。

 パリーグは、楽天の評価も高い。確かに打線も強力になっているし、投手陣も、リリーフが強い。あの、強力ソフトバンクに負けず劣らず、強力な戦力を持っている、と言える。

 それでも西武が、二年連続で、シーズンは制したわけだ。打線は、秋山が抜けても、次から次に若手が出てきて、今や、二軍でも、山賊打線を誇示している。

 オリックスも、投手陣の安定があるし、打線も、去年より希望を持てるものになっているみたいだ。

 ロッテ、日本ハムが、少し力が落ちるかな? と思わすぐらい、パリーグは、高いレベルで、争いが期待できそうだ。それでも、やはり、柳田が戻った、ソフトバンクが、一歩、リードするのじゃないか? と思わせる。

 僕は、ヤクルトファンなので、交流戦もないし、気楽に、見ることができる。パリーグにもファンのチームを持とうか? と考えるけれど、僕の感性からしたら、オリックスのファンになりそうな感じだ。金は、惜しみなくかけるチームだけに、ずっと、強くなるのを、待ち侘びている。

 九州の人間だけに、ソフトバンクを応援すれば、ずっと、最大王者でいられるわけだが、そうしないところが、僕らしさ、だ。いや、いっそ、変えるか? いや、いや。

 やはり、強いチームを相手に、ニュースターたちで戦い、勝ちあがった、2015年のヤクルトが理想だ。この面白さがどうしてわからないのか? 僕には分からない。さすがに、この現代に、文学をやろうとする人間だけのことはあるのかもしれない。

 だから、文学が定着しても、また、違うものを見る、タイプの人間だろう。もっとも、ヤクルトに関しては、もう、筋金入りになりつつあるので、ずっと、強い時期が来ても、応援し続けるだろうが。

 セリーグは、どこも決め手に欠ける、と言うのが実際のところじゃないだろうか? DeNAの打線が、外人頼みで、強力かな? と言うぐらいで、他は、ぼちぼち、と言った戦力だ。それでも、ヤクルトの現状よりは、ましかな? と言う感じだ。

 ただ、ヤクルトにもまったく目がない、と言うわけでもない。塩見の躍進と、村上の安定と、坂口の復活があれば、そこそこ戦える可能性はある。ただ、若手に切り替えていく頃合いのシーズンになるのではないか? とも思う。塩見は活躍してもらわなければ困るが、山崎が使えれば、今年、ドラフトで、五十幡にいかずに済むし、渡辺と言う若手外野手もいる。広岡が、すこし、機を逃した感があるが、下で、長岡、武岡の活躍にも期待だ。来年と言わず、今シーズン、後半から、エスコバーに変わって、ショートを守っていても、おかしくない、と思っている。打つ方は、まだまだだろうけれど、守備の安定感でいえば、近年の、ヤクルト、ショートドラフトでも、最高レベルだ。既に、長岡の方が、一軍レベルあのじゃないか? と言われている。僕が書いている小説、スターダムの、モデルだ。

 と、まァ、結局ヤクルトの話になったが、野球ファンは、待ちに待った、開幕だ、と思う。天候が心配されるが、梅雨の時期の開幕なので、過密日程の中も、怪我なく、どのチームも、コロナにあわず、一シーズン、やり切ってもらいたいところだ。

 早く、ファンが、スタジアムに、足を運べる日を、心待ちにして、一喜一憂する十一月までを、駆け抜けてほしい。

 最後に、君の応援するチームの、健闘を祈る。と書こう。どんな形になっても、何かを与えてくれるのは、野球選手だった。が、今年のスローガンのはずだから。

 

 

 

 

 世界は、誰が決めているんだろうか? 誰が決めたわけでもない、自然にこうなっているだけだ、と言えるだろうか? 神の存在、と言うわけではないが、一説では、神は死んだ、が定説のようで。

 けれど、どうも、間違っているものが、間違った評価を受けることは、往々にしてある。それは、そこには、それなりの道理は通っているけれど、本当に大切なことは、いつまで経っても、成長に変わらないままだ。

 今、飛行機が、ゴー、っとなった。やはり、居眠りなんてかいてない。いつでも、自分らにとって都合の悪いことは、なしにしていく。

 僕は守られている。確かにそれはそうだ。僕以外が、結果、苦しんでいる。僕も、傷つけられてきたけれど、結果、最後の最後では、守られてある。それは、否定できないことだ。

 これは、書いておかなければならない、だろう。

 けれど、世界は、どうなのだろう? 本当に、それでいいのだろうか? 僕には間違って見えることも、文句言わなきゃ、そのままで、過ぎていく。それでいいのだろうか? 不満は何にたまる。支配者は、平気で、人で人形遊びをする。

 まったく不満のない社会、と言えるのだろうか? そして、間違っいても、不満さえないなら、それでいい、と言うのだろうか? 

 正義は勝ったのか? 正義は勝ったためしがない。漫画では、必ず、勝つものと習ってきたけれど、正義が勝ったためしは、現実にはない。

 何て、無様な世界だ。それを言おう、とした。けれど、それが、支配者の好みで、僕らは、黙って、従うしかない。いや、僕以外は、端から、そちら側なのかもしれない。それでいい、と言い続けているのかもしれない。

 もどかしい、歯がゆい、想いだけが募る。

 すべて、世界が、何ためにあるのか? が分からないからだ。性欲至上主義、と書いた。それもあるかもしれない。何より、性の問題が、一番の上の優先順位を得ているのが、この現実世界だ。

 くだらない。そう、くだらないんだ。けれど、それは通じない。まったく、聞く耳を持たれない。

 直したいこと、正したいことは、幾つもある。が、それは、叶わない。口惜しい。

 やはり、歯がゆく、もどかしい。

 そんな下品なものは、パクらない。

 

 

 犬を飼っていた。チワワに見えない、少し大きめのチワワで、兄がどこからか? 貰ってきた。十何年も前だ。僕は、兄や、父よりもなつかれておらず、あまり、関係も深くなかったが、家が、父が入院、兄が、隣りに住むようになって、僕が、世話を見るようになった。

 室内犬で飼ってたのだが、一時期外に出していたが、体調が悪くなったみたいで、僕の助言で、病院に連れて行かれることになって、肺炎のけがあったこと、などで、室内の方がいいだろう、となったのだ。とても、いい顔をした、可愛らしい犬だ。

 それで、空いた父の部屋に彼の部屋を作り、好きに家の中を使わせたのだ。あちこち、おしっこや、糞をして、困った。けれど、そんな、苦ではなかった。彼が、元気でいられるなら、と、僕は、世話をした。と言っても、ほとんど、部屋にいて、たまに、決まったところに、粗相をするぐらい、だったのだが。

 けれど、また、食べなくなって、肝臓が悪いと言うことだったのだが、急に食べなくなって、兄に言って、もう一度、病院に連れて行ってもらうことになる。

 また、灰が真っ白になっている、と言うことだった。その前に、一度、三半規管を壊したような妙な動きを見せていて、どうした、大丈夫か? と僕を慌てさせた。それが、とても、奇妙な動きだったのだ。

 あとで、聞いた話によると、その時、一度死にかけていたのではないか? と言われた。だとしたら、何とも言えない記憶になる。その後、何とか普通に戻って、病院にいくまで、自分のいつも寝る場所で、寝ることもできず、ずっと、こちらを見ていた、彼を、とてもよく覚えている。

 僕は、寝てないんだよ、と兄に言った。それで、兄も最善を尽くしてくれたのだが、結果、その病院で、一日目に、死ぬことになる。元気に戻ったか? と思ったら、次の日の朝、亡くなっていたのだ。病院代は、動物だと、かなりかかる。だから、早めに、迷惑をかけないように亡くなったのではないか? と兄が言った。実際、僕らの、コロナの、十万円は、そこにほとんどつぎ込む形になっていた。

 それでも、あの目が忘れられないから、生き続けてほしかった。一度、跳ねるようにジャンプした姿も見ているんだ。でも、もう、あれは、奇跡的に、生き返った状態でしかなかったのだろう。

 小太郎という。孤独の小太郎、と兄は連れてきた。僕は、彼を、愛してあげられただろうか? あの見つめる目が、いつも、思い出させられて、僕を責め立てる。

 命は、呆気ないものだ。すぐ近くにあった命でも、簡単になくなってしまう。人は、それを何でもなかったことのように、次に進む。話では、後二年は、寿命があってもおかしくない、と言うことだったのだが。

 あまり、抱きしめた記憶はないが、温もりは、忘れられない。

 この儚い命を抱えて、人間も生きているのだ、と思うと、少し、やるせない思いになる。

 人は、命を大切にしろ、と言っても、命を大切になんてしない。虐めで、自ら死を選んだ人がいくらいることか? こちらは、人間だ。それでも、軽々に、人は扱ってしまう。ついこの間、誹謗中傷で、一人の人が亡くなったばかりだ。

 けれど、僕らの日常は、そんなことと無関係に進んで行く。学べない生き物、では、あまりにも、虚しいが、それが人間だ、とも言える。

 僕にできることは、彼の死の尊さを忘れないことだ。あの天使のような、あまりに軽い命が、何を持って、生きていたのか? 何を与えに生きていたのか? 覚えていることだ。

 涙の涸れた僕には泣けないが、心の泉に、雫は、ポツリ、ポツリ、と落ちた。後二年ぐらい、せめて、生きさせてやりたかったな、と思う。

 まだ、部屋には、彼の住んでいた跡が、そのまま残っている。そこに立つ度、あの瞳を思い出す。きつかったのかもしれない。何かに縋るような、震える目、だった。

 君は、愛された犬だ。次は、人間さ。ぜひ、笑顔で、天国への道を、駆けずり回って、進んでくれ。

 今、思うのは、それだけだ。

 名残惜しい、だけは、どうやったって、消えやしない、けれど。

 

 どこを行っているのだろう。ずっと、群れの向かう方に、体に埋められたレーダーに従って、海の中を回遊していたはずなのに。いつしか、どこを行っているのか? 分からない、状態になった。

 僕は、正しいですか? 聞いてみた。

 誰に? 

 そうだな。それも分からない。とりあえず、自分自身にだ。

 それは、信じた方へ、だと言った。確かに、それだけを頼りに進んでいた。けれど、現状、そこがどこなのか? も分からない、ところを、泳いでいる。

 泳がせてやっているんだよ。と誰か言っていた。それさえ、何の意味をなさないように、方向感覚を失っている。泳がせてやっている、と言うのは、目的を持っているから、通用する言葉だ。それが、感覚を狂った、魚では、何を目指しているのか? 何を打算しているのか? さえ、分からない。

 ああ、海の水は、冷たい。はずはない。ずっと、ここだ。ここに生まれ、ずっと、回遊していたんだ。それは、とても、順調に。同じことの繰り返しでも、疑問さえ持たずに。満足の顔を忍ばせ。回り、回っていた。けれど、今、僕をここに留めるものはない。ここがどこで、だから、どうしろ、と指示する、体の指針がない。

 生きている。それだけは分かっている。何をしている? それが分からない。何をすべきか? も当然繋がらない。糸の切れた凧、地上なら、そう形容されるだろう。

 まん丸の瞳を、ぐるぐる回して、逆さまに打ち上げられている。

 意図があった。そうだ。意図があったのだ。泳げているときは、ちゃんとした意図があった。それが、確かだったから、泳ぐのも気持ちがよかった。みんなのために、楽園を目指すのさ、何て言っていられた。それが、観念を損ねた。欠落した。

 いやー、仲間の群れも今どこにあるのか? 分からなくてね。何て言っている。群れに帰る気はないが、泳ぐ指針がなければ、逆さまにぷかぷか浮いているだけだ。

 けれど、完全に目が回っていて、正気を取り戻せそうに、しばらくない。

 海は広いな、大きな。何だか、いい気持になってきた。しばらく、魚らしくなく、ぷかぷか、浮いているか? 

 さァ、理想の楽園は、海底数千キロにあるそうだよ。